派遣会社

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「社長、明日の現場はどこですか?」 「廃病院のロケが一本。リポーターの後ろをちょちょっと歩くだけだからさ。髪の長い中年女性を希望だって。恵子ちゃんにぴったりでしょ? テレビの仕事だからギャラもいいし頼んだよ」  社長はいつもの軽い調子で、コンピューターとにらめっこをしたまま答えた。  夏が近づいてきたので忙しいのは分かるけど、社員に労いの言葉の一つもかけられないかな?  私は坂本恵子、四十五歳。東京都練馬区出身。ここ『ゴーストリゾース』に勤めて五年になる。クライアントの要望に沿って、本物の幽霊を派遣するのがこの会社の仕事だ。社長と、社員の幽霊が十人だけの吹けば飛ぶような会社だ。  私は事務所のソファーにどっかりと腰を下ろすと、お茶を飲みながら明日の仕事の確認を始めた。 「バン!」  突然すごい音がしてドアが開いた。驚いて振り向くと、そこには青筋を立てた同僚の持田さんが仁王立ちしていたのだ。彼とは歳も近く、たまに夫婦幽霊役で共演する。  「どうしたの? 確か昨夜の現場は幽霊トンネルだったよね? なんかあった?」  社長はすぐに立ち上がると、こちらにやってきた。 「どうもこうもないですよ!」  普段の温厚な彼からは想像できない態度だった。 「とにかく落ち着いて」と、私は彼を自分の隣に座らせ、お茶を入れた。社長は慌てて向かいに腰かけた。 「久々のテレビの仕事だから、気合いを入れて一時間前から真っ暗なトンネルの中でスタンバイしてたのに、撮影クルーは二時間の遅刻ですよ」 「それは申し訳なかった。向こうにはちゃんとクレームを入れておくよ」  社長はテーブルに手をついて謝った。  霊感のないクルー達には、彼の姿は全く見えない。声も聞こえないし気配も感じない。こればっかりはどうしようもないのだ。 「僕くらいになると、ビデオカメラを止めたり、照明を点けたり消したりは朝飯前なんです。張り切って演じたのに、序盤でリポーターの女の子が泣き出して失神……。そこでロケは中止ですよ。台本には、『その後、声を少し出し、壁に影をちょっと映し、最後はカメラに顔を半分出す』って書いてあったのに、全部おじゃんですよ!」  彼は堰を切ったようにまくし立てた。 「持田ちゃんの幽霊としての実力は僕が一番よく分かってる。今後は、こんなことがないようにちゃんと確認する。ギャラは大丈夫だから安心して」  社長の言葉を聴き終わると、彼の表情は幾分和んだ。そして、お茶を一息でグッと飲み干すと席を立った。 「霊界は不景気だからな」と、社長は苦虫を噛み潰したような表情になった。 「どんな仕事も受けなくてはいけないし、大変ですよね。忙しいのは夏の今だけ……」  持田さんの背中を見送った私は、溜息交じりに呟いた。  最近は、心霊写真も心霊動画もコンピューターで簡単に製作できるので、仕事の依頼も減少傾向にある。こっちは本物の怖さってもんを思い知らせてやりたいんだけど……。 「仕事が減ったからって、『闇営業』はダメだよ。許可なく下界に行くと、どうなるかわかってるよね?」  社長が軽口をたたいた。しかし、その目は全く笑っていなかった。霊界のガバナンスは厳しいのだ。 「わかってま―す」と、私はおどけて答えた。  そう、分かっている。もしそんなんことをしたら、二度と……。  すっくと立ち上がり、帰る準備を始めたその時だった。 「恵子ちゃん、毎年恒例ノーギャラの仕事。お盆の間、泊まりで練馬の坂本陽介さん宅だけど、受けてくれるね?」 「もちろん!」  間髪を入れずに返事をした。  今年も逢える。夫と子供達に――。  私は社長に深々と頭を下げると、踊るような足取りで事務所を後にした。  
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