時間あわせ(前日譚)

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 自殺した子の苦しみの深さと、その四人の罪の重さは同じではないと思った。どれほど人を傷つけても、同じ制裁は与えられない。タリオの法で知られる「目には目を、歯には歯を」の同害復讐法が仮に現代にあったって、加害者は同様の方法で殺されるだけで、被害者が味わった苦痛や苦悩、不安や恐怖を味わうことはない。そして現代日本において、復讐行為は一切認められていない。  亡くなった子が手にするはずだった幸せ。美しく(えが)くはずだった未来。それを修正できないぐらいに叩き壊しても、謝罪するのは学校と先生で、ニュースで取り上げられるのは加害者たちの真摯な謝罪場面じゃない。  学生という集団の中にいると、どうしたってカーストは作られる。ここを飛び出していくまでに、本来不要だった傷を生涯(かか)えてしまうこともある。社会に出たら出たで、やっぱり上下関係は存在する。だから生きづらいと思うし、人間は悪い知恵をつけすぎたとも思う。理不尽という言葉にしたって、今は道理が道理として成立せず、強者の都合によって道理が()じ曲げられてしまっているのだから、私たちは理に尽くすことができない不尽の海に放り出された状態なのかも知れない。    と言っても、私に憤るほどの正義感があるわけでもなかった。亡くなった子の心情に共感してもいない。ただ、その子がいなくなった。冷酷と言われても、加害者をいじめ返す子はいないし、どこか遠くの痛ましい物語のように話を聞くだけだった。  被害者遺族の哀しみも、理解はするけど共感はしない。私たちにとっての最優先事項は、摩擦を起こさず出来るだけ平坦に過ごすこと。安全地帯にいられたら、進学して、少なくとも今のカーストからは脱出できる。そんな風に思っていた。
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