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「そのハイネックも、隠すため…ですよね」
丸いハゲのある頭が、ゆっくりと縦に動く。
雪野さんはわざわざ袖や襟を捲ることはしなかったが、髪を解いた時にズレた袖口を戻すこともしなかった。ちらりと覗く手の甲や指の付け根が青紫に染まっている。小春日和に着てきた日は、きっとこの痣も黒かったのだろう。酷い内出血が黒から青紫、紫、赤へと色を変えていくことは、身をもって知っている。
「悪い人ではないの、父は」
と、消えてしまいそうな声が言った。ただ少し疲れているだけなのだと呟きながら金色の髪を耳に掛ける指は、まだ小さく震えていた。
「でも、残念ながら君は一番乗りじゃないよ。さっき洗い浚い白状してきたところだから」
割り切ったように顔を上げ、早口に紡ぐ唇が時々無理に笑おうと引き攣るから、僕は何も言えなかった。打ち明けたかった謝罪すら、胸につっかえて出てこなかった。
ごめんなさい。雪野さん。
本当は、たぶん、あのブックカバーを見た時に全部わかってたんです。
中学時代の僕のシャツは、汗も血も袖で拭ってしまって、洗っても全然落ちないから、いつもあのカバーの色によく似た黒っぽい赤に染まってたんです。
窓辺の席からカウンターの雪野さんを見ると、ドアの小窓から差す西日に照らされて、首の後ろの紫色の肌がうっすら見える時があったんです。
僕はそれをずっと、見ないフリを続けてたんです。
巻き込まれるのが怖くて、気付かないフリをしてたんです。
「…なんで君が泣いてるの」
「うう…っ、…う、…っ」
喋れない代わりにどうにか頭を下げたけれど、嗚咽を漏らす僕の姿勢は項垂れるようにしか見えなかったかもしれない。
それでも、雪野さんは何も聞かずに優しい声で囁いた。
「…ありがとう。気付いてくれて。」
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