生首が鞄の中から私を睨む

5/5
前へ
/5ページ
次へ
    「私はこういう者でしてね……」  ハンサム男が取り出したのは、大きさも形も名刺とは異なる紙片。  よく見ると、それは演劇のチケットだった。  彼は小さな劇団に所属しており、この生首は次の公演で使う小道具。今日はいつもと違う場所で舞台稽古があるので、小道具を持ったまま移動していたという。 「なんと人騒がせな……」  先ほどの駅員が呟いている。彼だけでなく私にも視線を向けているので、私も「人騒がせ」の一員とみなしているらしい。  一方、簡単な説明を終わらせたハンサム男は、集まった野次馬たちに演劇のチケットを配り始めていた。  そんな様子を見ていると、何か一言、言ってやりたくなる。 「もしかして、宣伝のためにわざとこんな騒動を……?」  私の声を聞きつけて、彼は慌てて振り返る。ハッとした様子で、こちらに駆け寄ってきた。 「そんなわけないです! これ()くしたら大変でしたから……。本当にありがとうございました!」  整った顔に温和な笑みを浮かべている。心からの感謝という表情に見えて、先ほどの嫌味を後悔するほどだった。 「いえいえ、どういたしまして。では、私はこれで……」 「待ってください! 是非お礼をさせてください!」  立ち去ろうとする私を、彼が引き止める。 「といっても今は時間がないので、また日を改めて。だから連絡先を交換……」  自分で言いかけておいて、その提案を引っ込めるハンサム男。 「いや、それではナンパみたいですね。あなたのような親切で美しいお嬢さんから連絡先を聞き出そう、なんて」  彼は結局「ここへ来ていただければ、確実に会えますから」と私に演劇のチケットを押し付けて、去っていくのだった。  後日。  彼の口車に乗ったつもりはないが、渡されたチケットの公演を観に行ってみた。  舞台演劇なんて観るのは初めてだったし、自分も少し関わった生首がどう使われるのか、その点も興味深かった。  しかし、何よりも重要なのは劇が終わってからの出来事。  あのハンサム男から「先日のお礼に今日はおごります」と言われたのだ。 「男女二人きりでは失礼でしょうから、そんなつもりはありません。この(あと)打ち上げがあって、みんなで飲みに行くので、あなたもご一緒に」  彼の笑顔を見れば、下心なんて一切存在せず、純粋な気持ちで言っているのがわかった。  だから提案に従って、私は飲み会に参加。とはいえ部外者なので、彼が気を遣って、ずっと私の相手をしてくれて……。  そこから彼との付き合いが始まり、紆余曲折を経て結婚にまで至るのだから、人の縁とは不思議なものだ。 「なれそめは忘れ物の生首でした」なんて夫婦、世界で私たちだけではないだろうか。 (「生首が鞄の中から私を睨む」完)    
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加