1人が本棚に入れています
本棚に追加
「私はこういう者でしてね……」
ハンサム男が取り出したのは、大きさも形も名刺とは異なる紙片。
よく見ると、それは演劇のチケットだった。
彼は小さな劇団に所属しており、この生首は次の公演で使う小道具。今日はいつもと違う場所で舞台稽古があるので、小道具を持ったまま移動していたという。
「なんと人騒がせな……」
先ほどの駅員が呟いている。彼だけでなく私にも視線を向けているので、私も「人騒がせ」の一員とみなしているらしい。
一方、簡単な説明を終わらせたハンサム男は、集まった野次馬たちに演劇のチケットを配り始めていた。
そんな様子を見ていると、何か一言、言ってやりたくなる。
「もしかして、宣伝のためにわざとこんな騒動を……?」
私の声を聞きつけて、彼は慌てて振り返る。ハッとした様子で、こちらに駆け寄ってきた。
「そんなわけないです! これ失くしたら大変でしたから……。本当にありがとうございました!」
整った顔に温和な笑みを浮かべている。心からの感謝という表情に見えて、先ほどの嫌味を後悔するほどだった。
「いえいえ、どういたしまして。では、私はこれで……」
「待ってください! 是非お礼をさせてください!」
立ち去ろうとする私を、彼が引き止める。
「といっても今は時間がないので、また日を改めて。だから連絡先を交換……」
自分で言いかけておいて、その提案を引っ込めるハンサム男。
「いや、それではナンパみたいですね。あなたのような親切で美しいお嬢さんから連絡先を聞き出そう、なんて」
彼は結局「ここへ来ていただければ、確実に会えますから」と私に演劇のチケットを押し付けて、去っていくのだった。
後日。
彼の口車に乗ったつもりはないが、渡されたチケットの公演を観に行ってみた。
舞台演劇なんて観るのは初めてだったし、自分も少し関わった生首がどう使われるのか、その点も興味深かった。
しかし、何よりも重要なのは劇が終わってからの出来事。
あのハンサム男から「先日のお礼に今日はおごります」と言われたのだ。
「男女二人きりでは失礼でしょうから、そんなつもりはありません。この後打ち上げがあって、みんなで飲みに行くので、あなたもご一緒に」
彼の笑顔を見れば、下心なんて一切存在せず、純粋な気持ちで言っているのがわかった。
だから提案に従って、私は飲み会に参加。とはいえ部外者なので、彼が気を遣って、ずっと私の相手をしてくれて……。
そこから彼との付き合いが始まり、紆余曲折を経て結婚にまで至るのだから、人の縁とは不思議なものだ。
「なれそめは忘れ物の生首でした」なんて夫婦、世界で私たちだけではないだろうか。
(「生首が鞄の中から私を睨む」完)
最初のコメントを投稿しよう!