第三章 知沙 1.

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第三章 知沙 1.

「朝帰り? 女の人といたの?」  車を停めて朝陽が降りると、知沙が声をかけてきた。 「仕事だよ」 「仕事? ふーん、なんの仕事だか」  知沙の皮肉は無視して、知沙が連れていた伊藤家の番犬、というには頼りない愛嬌いっぱいの柴犬の太陽(たいよう)の前にしゃがんで、両手で撫でて朝の挨拶をした。太陽は嬉しそうに尻尾を振りながら、朝陽の手や顔を嘗め回す。 「私、お見合いするんだ」  知沙の言葉に、朝陽は一瞬手を止めた。 「へえ、相手はどんなやつ?」  朝陽は内心の動揺を隠して答える。 「銀行に勤めてて、県会議員の甥っ子で、ゆくゆくはおじさんの地盤を継ぐんだって」 「すごいな。玉の輿だ」  太陽に視線を向けたまま、知沙の顔を見ずに言う。 「それだけ?」  知沙はなかなか引き下がらない。 「がんばれ」 「もういい! 朝陽のばーか!」  とうとう知沙は怒ったようで、朝陽から離れるのを嫌がる太陽を引っ張って、自分の家の方に帰って行った。  朝陽は苦笑いしながら、知沙を見送った。知沙が怒って自分の前から去っていくのを見るのは、これが二度目だった。  知沙は、朝陽の幼馴染、妹みたいな存在だ。朝陽より二つ下だから、今年二十五になるはずだ。  小野寺家と伊藤家は隣同士――といっても、互いの畑を隔ててかなり離れている――で、母親同士の仲が良く、小さなころから兄妹のように一緒に育ってきた。
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