第四章 トラブル 6.

1/2
前へ
/100ページ
次へ

第四章 トラブル 6.

「え? どうして」  朝陽は母の意外な言葉に、問い返した。 「こんなこと、息子に言うことじゃないかもしれないけど……」と母は逡巡したが、「あんたももう大人なんだからいいよね」と朝陽の顔を見た。酔いもあって、母は普段より饒舌になっていた。 「真知子さんの旦那さんの(たけし)さん、真知子さんとかなり歳が離れていたでしょ? 知沙ちゃんが生まれて少しして倒れて半身が不自由になっていたから、若くて綺麗な奥さんが心配だったと思うの」  母はビールを朝陽のグラスに注ぎ足しながら続けた。 「もともと嫉妬深い人だったみたいだけど、それがひどくなって束縛がすごくてね。配達の男性と少し立ち話しただけで、あとが大変だって言ってたわ……」  母は真知子からいろいろ聞いていたようだった。 「もし、お父さんと昔から知り合いだってわかったら、嫉妬して変な疑いをかけられて大変だったと思うよ」 「そうなんだ……」  初めて聞く話だった。  知沙の父親は知沙が生まれて間もなく脳梗塞を患い、その後は寝たり起きたりの生活で、知沙が高校生の時に亡くなった。     朝陽にとっては幼い頃、伊藤家の中庭で知沙と遊んでいると、縁側でにこにこ見守ってくれていた優しいおじさんというイメージしかなかったが、そんな別の顔を持っていたのだ。  それにしても、母は父と真知子のことを、まったく疑っていない。不思議だった。  「今度の土曜日に、知沙ちゃんお見合いですって」  最後に母がぼそっとつぶやいた。  しばらく飲んでから片付けをして母におやすみと言い、朝陽は二階の自分の部屋に上がった。  男は皆、別の顔を持っている。父にも別の顔があったのではないか……。  普段は真面目で誠実な営業マン。客に言いがかりをつけられて、ペコペコ謝った夜、街はずれのラブホテルに女を呼んで憂さを晴らす。  東京では家族思いで頼りになる夫や父親も、出張先のホテルで一夜限りの女に羽目をはずす。
/100ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加