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別に人に取り入るためにそう接しているわけではないようで、物をあげたり誰かを気遣ったりして声をかけるのは原川にとっては自然な事なのだ。
同じ部署の社員たちにもよく何かをあげたり気さくに話をしているらしい。誰にでも平等。私にとってはその振る舞いがどれほど残酷でやさしいことか。原川にはわからないだろう。
小さな接点が積もっていき私と原川は親しい関係という仲になっていた。
たまにこうして世間話をしながらご飯を食べる。私は代り映えの無い自分で作った弁当。そして原川は社員食堂のメニュー。それが当たり前光景だ。
だが、それもあと少しだ。
私は結婚したら今とは違う支店に異動する。それは結婚と同時に引っ越しもするからだ。引っ越し先から今の職場に通うのは困難だった。
今は引継ぎの仕事をこなしている日々だ。
「あーおいしかった。コーヒー買ってくるけど飲みますか」
早々と食べ終えた原川は立ち上がりながら言う。私は「私はいいよ」と言って首を振り自販機に向う原川の背中を見つめた。
決して厚いとは言い難い背中だが青年らしい、頼りになる背中だと思う。目に焼き付けるように私は見つめた。
私は一か月後には彼氏と結婚する。それなのにこの男が好きだ。
人を好きになったことはあるしその人と付き合ったこともある。だが私は恋焦がれるタイプの人間ではなく、楽しいないい子だなと言ったような文字をなぞるだけの「好き」しか経験していなかった。気持ちがそこに全くなかったわけではないけれど少なくとも恋焦がれるは経験したことがなかった。
「ふーん、じゃぁ俺でもいいってことかな」
そう言って言い寄ってきたのが今の彼氏だ。ナンパみたいな言い方だがのちに聞いたところによると割と緊張していたらしい。とりわけ美人でもない私に言い寄る男がいるのかとびっくりしたが私もあまり真剣に考えずに彼の申し出を受けた。
誰と付き合っても一緒だ。ある一定の好きの枠を出ない。
今まで付き合ってきた人と同じように過ごすだけだと思っていたが彼氏、京弥は違った。
自分でも驚くほど一緒にいて居心地がいい人だった。
食べ物の好み、映画のジャンル、好きな芸能人、番組、好きな季節に好きなファッションどれをとっても全く一緒ではないが同じ系統のものを好んだ。
それに私がその時々でやさしくしてほしいと思えば京弥はそれを察して私の気分があがるものをなんでも用意してくれた。
話題になっているスイーツや欲しがっていた服、ちょっと高いコーヒーやおしゃれな入浴剤。雑貨屋に売っているちょっとしたかわいい置物。
私の親よりも私のことを子供のように甘えさせてくれる存在だ。何も言わなくても察してくれる。とてもありがたい存在。
お互い一人暮らしをしているから家を行ったり来たりしているのでもう半分夫婦のような関係だ。洗濯も一緒にするし一緒にご飯を食べることだって多いし、お互いの勤務日を把握していることだって当たり前だ。
だからだと思う。安定した暮らしをしているからか私は京弥の次に親しい異性である原川に惹かれてしまったのだ。
なんて、いやらしいんだろうと自分でも思う。
だが気持ちは止められない。好きになりたくてなったわけではない、と浮気をする人は言うけれどそれが今はとてもわかる。
好きという感情はもう気が付いたら生まれているから。その人のことを好きになろうとしていなかったから、どうしようもない。
浮気をする人たちの気持ちがどの程度の好きなのかわからないけど私の好きはいい加減な気持ちで動いていない。それだけは言える。
だからなおのこと厄介だ。早く気持ちに蹴りをつけたかったが私はどうしても原川に対する「好き」を解放したいという欲に負けそうになっていた。
誰にも相談できない。結婚については友人にも言っているし親なんてもってのほかだ。このまま押し殺せばいいのかもしれないが私にはそんな強い気持ちがどうしても起こらない。
私はなんてなさけないんだろう。大切にしてくれている彼氏がいるのにちゃんと働いてきた仕事があるのに、どうしてそこに集中できないんだろう。
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