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原川のことをどうしてもいつも考えてしまう。家でも職場でも「今日は会えるかな」「明日は会えるかな」「ああ、今日は会えなかった」「もう三日も会って無い」とその日会えたかどうかだけで言葉を交わせたかどうかだけで一喜一憂してしまう。四六時中考えているものだから頭の隅に追いやられそうになる結婚や引っ越しの手続きにまで考えが廻らない。
自分のお弁当を作っているときでさえ原川はきちんとご飯はたべているのだろうか。買ってきたものばかり食べていないだろうか。肉ばかり、炭水化物ばかりになっていないだろうか。まるで母親か奥さんのようなことを考えてしまう。原川も大人なのだし自分がそんなことを心配する必要はないのに。
「なんか、元気ないですよね。なんですかマリッジブルーですか」
コーヒーを飲み終えた原川はスマホをいじりながら聞いてきた。私の箸が進まないからだろう。
「いろいろ準備が大変だからね。新しい彼女はつくらないの?」
原川の前で結婚の話をするのは避けたかった。結婚する身であるという自分の立場を忘れたかったのだ。顔を合わせているときはただ話がしたい。何も考えることなく楽しい話がしたいだけだ。
話題を替えられたと気が付かずに原川は「あー、まぁ、なかなかですよ。それは」と言って顔をしかめた。
「ここの会社広いから他の部署の子を狙うってのも考えればいいのに。他の部署なら何かあってもいいでしょ」
意地悪くそう言う。本当はそうは思っていない。原川に彼女なんてできなけばいい。
「そうは言っても出会いがないですよ。他の部署なんてよっぽど何かないと会うことないじゃないですか。難しいですよ。友達の紹介っていってもこっちがタイプでもあっちがタイプじゃなかったら意味ないし。学生終わると出会いってあんまりないんすよね」
「たしかにねぇ。私の友達も学生からの付き合いで結婚する子が多いし、社会人で出会った場合はだいたい同じ会社か紹介か。マッチングアプリなんて手もあるけどあれはちょっと、私はよくわからないな」
スマホを使いこなす世代であってもマッチングアプリを使うことはなんとなく軽い感じがした。ひと昔前は「出会い系」サイトということだ。「マッチング」とはずいぶんマイルドな表現になったものだと思う。
マッチングアプリで付き合う相手を探す人もいるがどうもあれは軽い印象がある。なんとなくいやらしい感じがして肯定的な気持ちにはなれない。
表情には出さずに複雑な思いを抱えているとなんでもないように原川が風船より軽い口調で言った。
「それもやってみたんですけど」
「え、したの?いつ?」
反射的に否定的な声音で話してしまう。一瞬やばいと思ったが原川は気が付いていない。
「別れてすぐ、くらいかな。何人かとやり取りしましたけど全然発展無くて。メッセージだけで終わりました。実際には会っていません。メッセージでは盛り上がるんすけどね。なかなかっすよ」
「そう、なんだ。意外と行動的なんだね。出会いに」
「そうですね。やっぱり結婚はしたいし周りの友達も結婚し始めてますからね。人間、大体同じですよね。時期的にというか。年齢的にというか」
周りの子と同じ流れで過ごしているとやはり結婚も子供を持つことも同じ時期を望んでしまう。それは自然にだ。型にはまった人生は誰だってできないけどその差は驚くほど違わない。時期が一、二年違うだけだったり数か月だったり、長い人生で見ればどれも大したことはないのだ。
それでも焦ってしまうのはやはり平均並みを望んでしまうからだろう。
原川ならすぐにでも付き合う相手はできそうということを言いたかったが、自分の気持ちを考えるとそう言うのはしらじらしいと思いできない。
私が何か言おうとしたがその前に原川はスマホを見ながら立ち上がった。そしてポケットから何かを取り出してテーブルの上に置く。
「これ、あげますよ。同じ部署の人からもらったんです。僕、行きますね。お疲れ様です」
「あ、うん」
急ぎの仕事でもあるのか原川はさっそうと去っていった。テーブルの上にご当地土産のクッキーを置いて。誰か出張にでも行ったのか北海道のメロン味のクッキーだった。
私はそれをすぐには食べずに大切にお弁当バッグに入れた。
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