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* * *
それから、アマネは造園業に就くための本を何冊か買った。
図書館の場所は聞いていたけれど開館時間中に立ち寄ることがアマネには難しかったからだ。
家賃は結局受け取ってもらえていない。
「今までも、払っていたものだから」とクゼに気にしないでと言われてしまったのだ。
そのため経済的な余裕が少しだけできた。
この生活が終わるときに少しだけお礼としてお金を包めたらとは思うけれど、本を数冊買うくらいの余裕はできた。
本で調べてみた限り、造園の仕事はアマネにとってとても魅力的に見えた。
本には冬が繁忙期ではないので冬眠をするリスなどの獣人も多く勤めていると書かれていた。
庭園全体を調和させるように設計して、樹木の知識を多く持っていなければならない。
難しい仕事だけれど、調べれば調べるほどアマネは興味をひかれていた。
「知り合いにガーデニングのプロがいるけど紹介しようか?」
朝出勤する時間より少し前、熱心にアマネが本を読んでいるとクゼがそう言った。
本当に今までと全く違う世界で生きていけるのか、不安がないわけではないけれどアマネはその人の話が聞いてみたかった。
「ありがとうございます!」
アマネが元気よく返すとクゼは「……妬けるなあ」と小さな声で言った。けれど、その知り合いに会ったら何を聞こうかと考え始めてしまったアマネの耳にその言葉は入らなかった。
その庭師に二人で会いに行ったのはそれからすぐのことだった。
彼の自宅の庭はとても美しく、けれど自然のまま整えられていて、アマネは感激した。
中学の時学校の図書館で読んだ秘密の花園を思わせる整った洋風の庭と自然のままの部分が融合しているようにアマネには見えた。
その人に紹介するときにクゼはアマネのことを「婚約者です」と紹介してくれた。仮なのにも関わらずそういう風に紹介してくれてアマネは胸の中が暖かくなった気がした。
クゼの友人だという庭師はアマネを見ても爬虫類の獣人を嫌悪するような顔はしなかったし、何もそのことについては聞かれなかった。
帰り際に、「これからの季節は大変だろうけど、よかったら年明けから少し手伝ってみない?」と聞かれて驚いた位だ。
この人はもしかしたらクゼから蛇は冬が苦手だと聞かされていたのかもしれない。
「さっき言った通り、庭師にはいろいろ資格があるから勉強しながら、少しずつ実地で経験を積むのがお勧めだから」
うちでよかったら是非と言った後庭師は笑った。
「アマネ君みたいな人なら大歓迎だよ」
胸のあたりがムズムズとしてアマネは思わず、クゼを見た。
お試し期間の後について彼と話し合ったことは一度もない。
きっとまた一人に戻って生きていくのだろうとアマネは思っている。
別れた後にクゼの友人との関係が続くのはどうなんだろうという気持ちでアマネはクゼを見上げたのだけれど、クゼはとてもやさしい笑みでアマネを見ているだけだった。
「アマネのやりたいことをやればいいと思うよ」
クゼがアマネにそう言った。
庭師の人がクゼを見てにやにやしている。
やりたいこと。とアマネは考えた。
「よろしければ、年明けからお願いしたいです」
それまでに今の職場を退職しなければいけないし、多分きっとやることは多い。けれどクゼの言葉がアマネの背中を押してくれた。
そんな人はアマネにとって初めてだった。
帰り道、あの公園に寄り道をする。
二人で公園内の小道を歩いていると、ひらひらと舞う白いものが目に映った。
「冷え込むと思ったら雪か」
クゼはそう言った。
小さな雪の粒が淡い光を放つみたいに空から降ってきていた。
クゼは、まるで当たり前みたいに、自分のしていたマフラーを外してアマネに巻いた。 クゼの体温が残るそれはほのかに暖かい上に柔らかな肌触りで、それからクゼの匂いがした。
ドクン。とアマネの心臓が強く鼓動を打った気がした。
先ほどまでと何も変わらない世界。
いつものようにただ、クゼは優しくて、仮番であるだけのアマネに誠実で、ただそれだけのはずなのに、アマネは先ほどまでと激変してしまった世界を見ているようだった。
今までと何もかも違う。
マフラーから香るクゼの匂いが、目の前で当たり前のように「寒くない? ジャケットもいる?」と聞いてくるクゼが、何もかも特別なものに見える。
表情があまり変わらなくてよかった。と思う日が来るなんて思わなかった。
ドキドキと心臓が高鳴る。
思えば最初からアマネは目の前の人に好感は抱いていた。
蛇だからと嫌悪もせず、馬鹿にもせずアマネのためにと笑顔を浮かべてくれるこの人が特別になるのなんて当たり前だ。
今気が付いたばかりの恋心にアマネは動揺していた。
恋していない相手であればお試し期間終了後、別れが来ても乗り越えられる気がするけれど、気持ちが伴ってしまうときっととても辛くなる。
クゼがアマネにくれたすべてのものを胸にそれからのずっと耐えていけるのだろうか。 アマネには分からなかった。
「どうした?」
「え? ああ、これから忙しくなるなあって思って」
仕事の関係もそうだけれど、二人の最後の日まで忘れないように少しずつ思い出を作ろうとアマネは思った。
「そうだね。それじゃあ今日はアマネの未来を祝おうか」
アマネの気持ちに気が付かないでいてくれたクゼはそう言って、またアマネに優しくしようとした。
* * *
クゼの実家から、二人で顔を見せろと連絡が来たのは、アマネの退職がちょうど決まった頃だった。
クゼは家族に話をせず見合いをして仮番を作ったらしい。
普通の家庭はどの段階で家族に話をするのかをアマネはよく知らない。
けれど、まるで隠していたような恰好となったクゼはずいぶんと家族に責められたらしい。
「一度ちょっと顔をだして挨拶するだけだから」
クゼはそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。
アマネは好きな人にそんな顔をさせたくはなかった。
「わかりました。クゼさんの実家楽しみです!」
アマネはいつもより明るい口調でそう言った。
「実家には、父と母と、……それから結婚して家を出ているんだけど義弟が来る予定だよ」
「弟さんですか! クゼさんお兄さんなんですね」
クゼがアマネを甘やかす理由の一つがわかったかもしれないとアマネは思った。
「はは、そうかな」
弟はユラハというんだけどねとクゼは目尻を下げた。
クゼの実家を訪れる。
アマネのスーツは就活の時に買ったものだ。
クゼの生活の様子から予想していたことだったけれどクゼの実家の建物はとても大きくて豪華なものに見えた。
弟のユラハが玄関で出迎えてくれた。
ユラハという人はとてもきれいでかわいい。それに教養も備わっていることにアマネはすぐに気が付いた。
何も持ってない自分と、とてもかわいらしいユラハをつい、いけないと思いながら、比べてしまう。
クゼの両親はそろって二人を待っていてアマネを無遠慮に見つめてそれから溜息をついた。
「この人がクゼの番候補っていうのは本当なのか?」
聞かれたクゼが「ああ」と答える。
クゼの母親がアマネを見た。とても残念そうなものを見る目だ。
「あなた本当に爬虫類なの? 雑種じゃなくて?」
失礼な物言いに、クゼが「おい、母さんっ!」と止める。
ああ、やっぱりいやだよな。
ユラハという人はオオカミの伴侶がいるらしい。そうやって理想的な家族を作ってきた人たちなんだ。
アマネみたいなダメな奴はいらないと思うに違いない。
「すみません」
アマネには謝ることしかできなかった。
「ほんと、他にもっといい人は――」
「ねえ、そんなことより義兄さんの持ってきた手土産あけていい?」
かわいらしい声でユラハさんが言った。
かばわれたのだとすぐに気が付いた。
見た目もよくて、頭もよくて、それで優しい。
機転も利くなんて、とアマネは思った。
「ユラハがあのままクゼの婚約者になっていてくれればねえ」
クゼの母親が言った。
「やめてよ、義母さん。俺は番と幸せにやってるんだから」
ユラハがそう言った。
彼女たちのしている会話の意味がアマネには分からなった。
「二人は昔、許嫁同士だったのよお」
クゼの母親が楽しそうに言う。
クゼは止めていたけれど、それを気にした様子もなく彼の母親は二人の事情を話す。
曰く、二人はもともと番になる予定だったけれど、ユラハに別の番ができたため、ユラハはヒイラギ家の養子になったそうだ。
その位この家に気に入られているし、今もクゼの両親はユラハならばと思っているらしい。
自分には何も勝てるところなんてない。
アマネはそう思ってしまった。
見目麗しくて、教養があって、クゼの両親にも好かれている。
ユラハはすべて持っていて自分は何も持っていないようにアマネには思えた。
惨めだった。割といつも惨めに暮らしていると思っていたけれど、クゼと出会ってから優しくされて甘やかされて自分がそういう生き物なのだと忘れてしまっていた。
「やめろ」
低く静かな声でクゼは言った。
それから「だからここには来たくなかったんだ」とも言った。
クゼは少し腰を落としてアマネの視線と同じ高さに自分の顔を置くと「大丈夫だから。だから、帰ろう」とだけ言った。
アマネはうなずくことしかできなかった。
最悪の実家訪問はクゼが怒ってしまったことで途中で切り上げになった。
アマネは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。アマネが蛇でなければこんな風にならなかった。
ユラハさんの様に素敵な人間であればこんなことにならなかったはずだ。
「ごめんなさい」
家に帰った瞬間、こみあげた気持ちがあふれる。
「僕の所為でごめんなさい……」
アマネの目から一筋涙がこぼれる。
今日アマネがあの場に行かなければクゼたちはずっと仲の良い家族だったと思う。
アマネの生まれる前の両親の様に。アマネがいなければ、せめて蛇でなければきっと多分こんなことにはならない。
「アマネが気にしなきゃいけないことは何もないよ」
両親には俺からちゃんと言っておくから。
そう言ってクゼはアマネの瞼をぬぐった。
多分お試し婚が終わったらお別れだ。アマネはそう再認識した。
家族に嫌われている伴侶なんてきっと望まない。
相性がいいといっても家族との相性まで確認している訳ないのだ。
いくらアマネが蛇の獣人であるという前提をクゼが気にしていない様子でも、クゼ以外の人間はやっぱりどうしたってアマネが爬虫類の系統であることを気にしてしまう。
そんな中で生活を続けるのはきっととてもストレスになる。そんな生活を望む人なんていない。
あと数か月でこの人とお別れだ。そう思うとアマネは『好きです。だから思い出に抱いてください』と言ってしまいたくなる。
自分にそんな欲があったなんて驚きだった。
静かに息をひそめて暮らしているのが普通だったのだ。今までずっとそんなことを考えたことすら無かった。
けれどそう言って、今すぐに今の関係を解消されるのは怖かった。
本気で好きになってもいいはずの関係だけれど、彼が何を考えているのかはわからない。一方的に思いを寄せられて重いと言われるのは嫌だった。
家に帰りついて二人で食事を作って食べる。
お互いにわざと今日の話は避けている。そのことにお互いに気が付いているけれどそれ自体触れてはいけないことの様な気がする。
それに、彼に謝られてしまったらアマネはどうしていいのかわからない。
そうしてぽつりぽつりと話をした後交代で風呂に入ってそれから同じベッドに入った。
クゼがアマネにのしかかる。
今日も触れてもらえるのかとアマネの胸はときめいてしまう。
キスはしたことがない。
触れれば許してもらえるのだろうか。
そんなアマネの気持ちを知らないクゼは、口を避けるように首筋に口づけを落としてそれから丁寧にアマネの服を脱がした。
丁寧に体を撫でられて、なめられて、アマネは高まっていく。
途中で触れる指がぴたりと止まって何かを探すようにクゼがベッドサイドを探っていた。
すぐにクゼは体勢を戻すと、アマネの手のひらに小さな包みを渡した。
「何ですか? これ」
「種だよ」
アマネが聞くと軽い調子でクゼは答えた。
種、というのは獣人同士が子を成すために飲む薬の総称だ。
同時に発情を促す効能があるので、避妊をしていれば子はできず個人で楽しむために使うものもいるという知識はあった。
それはカプセル状で一般的なほかの薬との違いはなさそうに見えた。
「今度さ、これ飲んでしてみようよ」
うきうきとしたという調子で言われて、少し驚く。
種は、今日飲んですぐに効果が出る訳ではないらしい。
その獣人の体質にもよるけれど、少ししてから効果を発揮する。
その時にはちょうど発情期の様な効果が出るらしい。
断る選択肢はアマネにはなかった。この人がしてみたいのなら、そうさせたかった。
それに多分この人はアマネとの子供は欲していないだろうから、性行為の楽しみとして発情期を迎えて欲しいだけだろう。
いい趣味とは思えなかったけれど、それを帳消しにできる位もうアマネはクゼのことがもう好きになっていた。
「わかりました」
そう言ってアマネは種を飲み込んだ。
クゼはそれを満足げに眺めると、「楽しみだねえ」と言った。
蛇の獣人がいつ効果が出るのかは分からないけれど、その時は少しはクゼを満足させられればいいとアマネは思った。
「じゃあ、今日はその時のために後ろを少し慣らそうか」
そういうとクゼはアマネをうつぶせにひっくり返して、この前も使ったローションを尻のあわいにかけた。
そんなところを誰かに触れられるのは勿論アマネにとって初めてのことだ。
クゼは何度か入り口を撫でた後、長い指をアマネの中に入れた。
くちゅくちゅというローションが泡立つようにかき混ぜられる音が恥ずかしい。
何かを探るように中を撫でられる。
異物感にぶわりとアマネは汗がふき出した。
「この辺かなあ」
おなか側のあたりをトントンと何か所か押すように撫でられる。
その中の一点を撫でられたとき、アマネは思わず「あっ……」と甲高い声を上げてしまった。
ふっ、とクゼの喜ぶような吐息が聞こえた気がした。
クゼはそれからそこばかり触れてくる。
指が二本に増えると両方の指で挟みこむようにこねられると、アマネはたまらず、何度も喘いだ。
そこに触れられるたびにぱちぱちと泡がはじけるように快楽を体が拾ってしまう。
アマネは生まれて初めての経験に思考が追い付かずただひたすら言葉にならない喘ぎ声をもらした。
気持ちよくてどうにかなりそうなのに、そこだけでは達せない。そういう時間がいくらか続いた。
アマネは思わず自分の昂ぶりに手を伸ばすと、クゼが嬉しそうに笑う。
クゼはアマネの手ごとアマネの昂ぶりを中をなぶる手と反対の手で包み込むと、すでに涙を流して悦んでいるそこをこすった。
前と後ろ、両方同時に触れられて、アマネは瞬く間に達してしまう。
クゼがアマネの吐き出したものがべっとりとついた己の手を見る、それからそれを少しだけ口に含んだ。
けれど、初めての内側からのものを含む快楽にアマネは気絶するように眠りに落ちてしまった。
翌朝になって初めてクゼは何も気持ちよくなっていないということにアマネは気が付いたけれど、夜の情事の話を気軽に出せるほどアマネは人と関わってきたことがなかった。
クゼはそのことを気にした風でもなく「今日は特製のフレンチトーストだよ」と言ってアマネを起こした。
「アマネはちゃんと食べてもっと健康的になろうね」
そう言ってクゼはアマネの頭をそっと撫でた。
がりがりの体はやはり見た目が悪いのだろうかとアマネは思った。
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