嫌われ蛇の旦那様

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 完璧な人というのがこの世に存在するとしたら多分こういう人のことをいうのだと思った。  それに比べて、いかに自分が何も持っていない生き物なのかと同時に思った。  差し出せるものをすべて差し出して、その人のことを手に入れられるなら、すべて差し出せる。それが一番の幸せなのだから。 * * *  アマネの生きる現代は、伴侶というものは相性のいい人同士でなるものという考えが一般的だ。  獣人は昔は運命の(つがい)というものがあったらしいという伝説じみた話はあるけれど、最近そんな話は眉唾ものしか聞いたことがない。  けれど、番を求める本能は誰しも獣人にはある。その中で様々な面で相性のいい人をパートナーにするべきだとなったのは今から百年ほど前だという。  相性のいい人と番になって愛を育んでいく生き方にアマネはあこがれていた。  けれど、自分と相性のいい獣人なんてものは現れないとも思っていた。  アマネは蛇の特徴を引き継ぐ獣人だ。両親はともに蛇ではない。  混血が進んだ今の時代、親と子の性質が違うなんてことは珍しくもない。基本的に親は子を大切にする。  けれど、爬虫類だけは別だ。体温が他の獣人より低く、表情も顔に出にくい爬虫類は世間からあまりいい印象を持たれていない。その上爬虫類はよく怠けるしずるをすると言われている。  実際アマネの母は浮気の末にアマネを生んだという言いがかりをつけられ、検査の結果確かに両親の子だと認められたが、そのわだかまりは根深く両親は番を解消した。  その時にアマネは児童養護施設に預けられたがそこでも皆から遠巻きにされていた。どこに行っても蛇は嫌われ者だった。  嫌われることには慣れている。なんとか見つけた職場でトラブルがあったときいつも一番最初に疑われるのはアマネだ。  実際、嫌われ者の爬虫類は方々(ほうぼう)でトラブルを起こす場合も多いらしい。疑われても仕方がないのかもしれないけれど、アマネはそのたび泣きたくなってしまう。泣いて叫んでも、蛇はそうやって人に責任を押し付ける奴らだと言われるのがおちなこともよく知っていた。  非正規でなんとか入社した職場から夜遅く帰って狭い部屋でぺしゃんこになった布団で眠る。そんな毎日しかおくれていないけれど、もしかしたらどこかにこんな自分でも一緒になっていいと言ってくれる番がいるかもしれないなんて夢見ることはある。  だから、政府のやっている相性のいい番候補を見つけるお見合いサービスにアマネは登録していた。  いままで、一度もマッチングできたという知らせは来ない。  心のどこかでアマネは、当たり前だろうと思ってしまっていた。自分なんかとつり合いがとれる人間がいるとは思えなかった。  独りぼっちの部屋も安物の布団も冷たくて、いつもよりも体が冷たい気がした。  独りぼっちじゃなくなったらどんな気持ちになるのだろうとアマネはありもしないことを考えながら眠りについた。 「え? 見つかったんですか!?」  アマネはかかってきた電話に驚いて声を上げてしまった。  登録してから全く誰もマッチングされないまま年単位で放置していたお見合いセンターから電話がかかってきたのは、秋が深まって寒さが堪えるようになってきた頃だった。 「はい。お相手の方は一度お会いしてみたいということですが、いかがなさいますか?」   相手が会うと言っている。  アマネはその事実に驚いた。すべての個人情報を伝えた訳ではないだろうが、アマネが蛇の獣人だということは間違いなく相手に伝わっているだろう。それなのに実際会いたいという相性のいい相手なんてこの世にいるのかと思った。 「是非っ……!! あ、あの、お相手はどんな方なんですか?」  アマネは電話口のオペレーターに聞いた。 「トラ……いえ、白虎の方ですね。詳しくはメールで資料をお送りいたしますがよろしいでしょうか?」  そう聞かれてアマネは「はい」と答えた。  けれど、言われた事実がよく飲み込めなかった。  白虎といえば、幻獣と呼ばれるとても貴重な獣人だ。能力は高く、歴史上の偉人と呼ばれるような人にも幻獣は多い。見た目も美しいとされていると聞いたことがある。番探しに困っているとは思えない。  一般的に相性を重視する人が増えたとはいえ、同じ種族の中で番になる獣人や自分で選んだ人と番になる獣人もたくさんいる。白虎であれば自分から番を探す必要があるとはどうしてもアマネには思えなかった。  何故? と思った。騙されているとか何かの間違いだったとかではないよな? とアマネは思った。けれどお見合いセンターは行政のサービスだそんなこと無いはずだ。  アマネはドキドキとなる胸に手を当てる。  顔合わせのために、指定された場所は一流ホテルのラウンジで、アマネはああやっぱり住む世界の違う人なのかもしれないと思った。 * * * 「初めまして。ヒイラギ・クゼと申します」  アマネの目の前にいたのはアッシュグレーに一部白い毛の混じった不思議な色合いの髪の毛に猫よりも少しだけ丸みを帯びた耳が目立っている。  アマネよりも頭一つ高い身長に、見るからに高級そうなスーツを着ている。  もらった釣り書きに書かれていた職業は弁護士だったはずだ。  しわ一つないスーツの後ろでは黒と白の縞のしっぽが揺れている。  名前と苗字がどちらがどちらかわかりにくい名前だけれど資料ではヒイラギが名字になっていた。 「は、はじめましてっ」  アマネは勢いよく立ち上がると椅子がガタンと音を立ててしまい慌てる。  ブルーグレーの瞳がアマネを見た。  顔はとても整っていて、顔だけで多分とてもモテるというのがわかる。  少し吊り上がった瞳は冷淡な印象も感じられるが、それに反して優し気な声がした。  アマネはこんなにも美しい人を見たことはなかった。  家にテレビは無いけれど、芸能人と呼ばれる人たちよりもきれいなんじゃないかと思った。  それに比べてアマネは背が低く、顔は特徴という特徴がなく表情も変わりにくい。  顔色は低体温のためいつもあまりよくない。特徴といえば一つだけアマネには思い浮かぶことはあるけれど、どう考えても気持ちが悪いのでコンタクトレンズでかくしてしまっている。  実際に会って期待外れだと思われただろうか。元々悪かった印象が最悪に変わったかもしれないとアマネは思った。 「大丈夫ですか?」  優し気に言われてようやくアマネは我に返った。  見た目も最上級で性格も優しい。そんな人が世の中にいるのかとアマネは思った。 「は、はい」  椅子をおろおろと直そうとアマネがしているとホテルの人がてきぱきと戻してくれた。  その人にお礼を言ってからもう一度アマネは彼のことを見た。  それから「トキトウ・アマネと申します」と言って頭を下げた。  その場に居たお見合いセンターの人が、ほほえましいものを見るみたいにクスクスと笑っていた。  挨拶を済ませると仕事は何をしているのかとか、普段休みは何をして過ごしているのかとかを話した。  アマネはどれもとてもつまらない返答しかできなかった。  クゼは弁護士としてもう独立していて、休みの日は自分で料理も作るらしい。  おととしアメリカに留学して、アメリカの弁護士資格を去年取得した。  彼の口から出てくる言葉は、同じ場所に生きている人とは思えなくて、自分のことを話すのがアマネは少し恥ずかしくなった。 「トラは体力があるので、根をつめればなんとか」  と彼は謙遜していたけれど、それが体力の問題なのかは何も持っていないアマネには分からなかった。  そして、彼が今日ここに来たのは、やはり番には相性を重視しているらしく、種族などのこだわりはあまりないのだそうだ。  相性のシステムにもかなりの信頼を寄せているらしく「弟も番と相性がとてもよかったんですよ」と笑った。  アマネは「はあ」とか「へえ」とかそんな返事ばかりしかできず、気の利いたことの言えない自分が本当にこの人と相性がいいのだろうかと思った。  獣人は勘を重視する人間が多い。  最初の感覚でダメなものはダメ。いいものはいいとなる人が多い。  アマネは最初から周りにダメだとされる側だ。  だから、この後すぐに番契約を決める人も多いと聞く。  しかし、こんなすごい人がアマネを選んでくれるとはどうしてもアマネには思えなかった。  ホテルには料亭が併設されていて、日本庭園もあるらしく、そこを二人きりで散歩した後もアマネにはよくわからなかった。  クゼにもアマネがいいという強い意志は見えない。  小刻みにプルプルと揺れるクゼのしっぽが目に映るばかりだ。  「どうでしたか?」と行政の仲介役の人に聞かれてもアマネはうまく返事ができなかった。クゼが断りの返事をするのを自分自身の手をぎゅっと握りしめて待っていた。  仲介役の人が「とりあえず“お試し婚”をしてみたらいかがですか?」と言った。  相性のいいもの同士とりあえずお試しで一緒に仮の番として暮らしてみるのが最近の流行らしい。  友達らしい友達もいないアマネは今、そんな風に仲を深めていくことを知らなかった。「そうですね、二人でどこかにマンションでも借りて住んでみてもいいかもしれない」  クゼはそう言って、アマネを見た。  アマネの顔は一気に真っ白になって、それから赤くなった。 「……あの、僕、すみません。そ、そんなお金が――」  無いです。まではうまく音にできなかった。恥ずかしさに体中の血がぐるぐるとめぐっている感覚がする。  お金がなくてお試しができない。なんて、自分は無能ですと言っているようなものだ。 けれど、事実そうで、生活に余裕なんてアマネにはなかったし、借金をする方法も思い浮かばなかった。  この人にとっての当たり前が自分にはない。  この人は住んでる家以外に家を買うこともできるちゃんとした人なのだとわかる。  何もかも自分とは違う。本当にこの人と自分は相性がいいのだろうか。 「なら、俺の家で一緒に暮らそうか。一部屋余っているし」  うつむいて羞恥に耐えていたアマネがぱっと顔を上げた。  アマネを見ていたクゼの表情はアマネを馬鹿にしている訳でも、からかっている訳でもなく、至極まじめな表情をしていた。  自分のことを馬鹿にしていないのだろうか、とアマネは思った。  自分を嫌悪していたり馬鹿にしていたりする視線は割と気が付くものだ。けれどクゼの視線には全くそれがなかった。  だからだろうか。ただ相性がいいと言われただけの全く自分とは違う世界の男との同居生活をアマネは了承してしまった。  弁護士だと教えられていた通り、クゼはすぐに二人のお試し婚についての細々とした取り決めを契約書として書き起こしてアマネに渡した。  アマネが見た限りおかしなことは何も書かれていないように見えた。こんなところまでしっかりとしているのかとアマネはクゼをもう一度見てからその契約書に自分の名前をサインした。  二人の名前が並ぶ契約書は仮とはいえまるで番の契約のようで、アマネは少しだけ嬉しかった。  同居生活にあたって、アマネの使う家具や細々とした荷物は、見合いの場で交換したクゼの自宅に送ることになっていた。  クゼの自宅として書かれていた住所に送る荷物を何にしようかアマネは悩んでいた。そもそも荷物らしい荷物をアマネは持っていなかった。 『近くまで来ているので家によってもいいですか?』  丁寧な文面で書かれた文章がメッセージアプリに届いた。  寄る!? 何を言っているのか最初はわからなかった。  おもてなしをするためのものも、何ならコップすらこのうちには一つしかない。  ジー、という間抜けな音のインターフォンが鳴る。  その音を聞いて、メッセージは念のためでもうクゼが家の前にいることに気が付いた。 居留守を使うことは多分むつかしいだろう。  本当に留守ならきっと帰るつもりだったのだろう。  どうしたらいいのかわからなくなりながらもアマネは玄関を開けた。 「どうも。……いらっしゃいです」  普通家にはなんて言って人を招くのだろう。 「わるいね、突然……」  そう言ってからクゼはアマネの部屋の奥を見渡した。 「荷物はもう送ってくれたのかな」  アマネはホテルのラウンジで感じたのと同じ羞恥を覚えた。  また、察してもらわねばならないのだろうかと思った。  そんなことでこの人と暮らしていけるのかと。 「僕の元々の持ち物はここにあるものですべてですよ」  自嘲気味にアマネが笑うと、今度はクゼが困ったように視線をそらした。  爬虫類特有の不器用な笑みがそんなに不出来だっただろうか。アマネはそう思った。 「……それで、あれば、いっそここを一旦引き払ってはどうだろう」  どうせ、お試し婚ようにダブルベッドは買う予定なのだから、ともごもごとクゼに言われてアマネは驚いてしまう。  お試し婚は半年間の予定だ。 「やっぱり、家賃をクゼさんにお支払いした方がいいですもんね」  名字でなく、名前で呼んでくれと言われているため名前で呼ぶけれど、それだけでなんだかくすぐったい気分になりながらアマネは言う。 「そういう意味じゃなく」 ――この部屋はさみしすぎるだろう。  そうクゼが言った。  言われた意味がアマネにはわからなかったけれど、唯一見つかった番候補の言うことだ。そうしてみてもいいかもしれないと思った。  そんな事を考えていたため、アマネはダブルベッドの件を確認し忘れてしまった。 「じゃあ折角だから、荷物をまとめるの手伝うよ」  クゼはそう言って二人で荷物をまとめた。  段ボール箱二つと薄くなってしまった布団一式。アマネの荷物はそれで収まってしまった。
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