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二十三
ひんやりとした冷気が頬に触れて目を覚ました。両手が後ろ手に手錠で拘束され、両足がロープで結ばれたままソファに横になっていた。まだ頭の中がボウッとする。体を何とか起こし、着衣に乱れがないか確認する。ホッとして一つ溜息をついた。目の前にイサオがロープで縛られて、椅子に座らされているのが見える。項垂れたように気を失っていた。そして、イサオの向こう側にエリナの姿も見えた。エリナは下着のまま、上半身はTシャツを身に着けているだけだった。ユキナは見張りがいないことを確認し、声をかけた。
「おい! イサオ、起きろ」
イサオは眠ったままである。
「エリナ! 目を覚ませ」
するとエリナが目を覚ました。
「ユキナ」
と思わず声を上げたが、その後の言葉を失って、ただユキナを見つめていた。
「ここはどこ?」
「地下のスタジオ」
と搾り出した。そして自分が下着姿であることに気付き下を向いた。
「スタジオか、叫んでも聞こえねぇな」
ユキナが部屋を見まわした。天井にスポットライトが見え、部屋の壁は防音のパネルが張り巡らされている。
「エリナ、お前、いつからここに?」
「二日前」
ユキナが肩を揺らすと手錠の鎖が鳴った。苦悶の表情が浮かぶ。
「痛てぇ、参ったなこりゃ」
「ユキナ、ごめんなさい。私のために、こんなことに」
「エリナ、別に気にしてねぇよ、アタシが勝手にアンタのことを捜しに来ただけだし。それに友達だろ、ゴメンとか言うなよ」
「ごめんなさい」
ユキナが目を細める。
「何者なんだ、あのエビサワとかいう男」
エリナが下を向いた。
「やっぱアイツがお前の彼氏なのか? 今更だけど、アイツはダメだ。今すぐ別れろ。恋人のお前をこんな目にあわせるなんて、とんだクズ男だぜ」
エリナが力無く頷いた。視線がふとイサオに注がれる。
「ユキナ、その人は?」
「ああ、コイツはイサオといって、専門学校時代の同級生。ちなみにオカマ。一応、ボディガードとして連れて来たんだけど全く役に立たんなコイツ」
エリナがクスッと笑った。
「イサオさんっていうのね、最初、ユキナの彼氏かと思っちゃった」
「バカ言うなよ、こんなカバみたいなオカマと付き合ってんわけねぇだろ、コイツが刑事に見えるか?」
ユキナも白い歯を見せた。
「心配すんな。ショウが必ずアタシたちを助けに来てくれんから、もうちょっとの我慢よ。ひょっとするともう近くまで来てるかもしんねぇぞ。そういう奴なんだ、アイツは」
エリナが羨ましそうに微笑んだ。
「心から信頼しているのね、彼氏さんのこと・・・・・・何だか羨ましい」
するとイサオがうっすらと目を開けた。
「おい! イサオ、起きろ」
「イタタタ、あれ? ユキナちゃん、ここはどこ?」
「ばーか、お前、いつまで寝てんだよ。ここは地下スタジオだとさ。奴らに捕まっちまったんだよ」
「イサオさん、ごめんなさいね、私のために」
イサオが目をパチパチさせてユキナを見た。ユキナが頷いた。
「エリナ、ところで、ここって逃げ道は一つしかないのか?」
「うん、正面の扉から階段を上って地上に出る以外にないの。それに、ここは秘密の撮影をするスタジオになっていて、外からはわからないようになってる。音も漏れないし」
「あの赤いランプは何だ?」
「ん? あれは消防用の設備じゃないかしら? 以前はちゃんとしたスタジオだったらしいけど、今も作動するのかどうか」
「ふうん、消防用設備か」
すると底の硬い靴で階段を降りてくる足音がして、扉が開いた。
「そろそろ目覚める頃だと思ってね」
エビサワユウジだった。ユキナが眉間に皺を寄せた。
「おい! どういうつもりなんだよ、テメェ!」
エビサワが苦笑した。
「ミウラユキナさんよ、可愛い顔に似合わず言葉遣いが乱暴だねえ。テレビで観たまんまだ。そのギャップが堪らないという男性も多いようだが」
「知るかよ、そんなこと。こっちは生まれつきこうなんだかんよ」
エリナが身を乗り出す。
「ユウジさん、お願いだからユキナだけは帰してあげて! 私、絶対に誰にも言わないから、だからお願い!」
エビサワが声を上げて笑う。
「エリナ、お前、今、自分がどういう立場にあるのかわかってないようだな? お前が彼女面して、俺に頼みごとできるとでも思っているのか? だとしたら本当に幸せな女だ。俺たち兄妹の秘密を知ってしまったからにはな、ハイそうですかと帰してやるわけにはいかねえんだよ」
「エリナ、秘密って?」
目を逸らした。
「そ、それは」
エリナが口を噤んだ。するとエビサワが手を叩いた。
「おお、素晴らしい友情だこと。AV女優のお前にも、まだそんな優しさが残っていたとはな、少し感心したよ。前はあんなにミウラユキナが憎いと言っていたのにな」
「エリナ・・・・・・お前」
その視線に耐えられなくなってエリナがうなだれた。
「ユキナさんよ、あんたみたいな陽の当たる人間にゃあ、俺たちやエリナのような日陰を歩いてきた人間の気持ちなんざ、わかりっこねえよな。コイツはコンプレックスの塊なんだ。男どもに自分のセックスを見せることでしか、注目されない人間なんだよ」
ユキナが睨みつけた。
「ヤメロよ、クソじじい! これ以上言ったら、ぶっ殺す」
「おうおう、怒った顔がまた魅力的だ」
「うるせぇ、変態が」
エリナの目が真赤に染まっている。エビサワが鼻を鳴らした。
「ところでユキナさんよ、あんたの彼氏とやらは助けに来てくれるのかね? こっちとしては向こうから来てくれた方が手間が省けるってもんなんだが」
「ショウは必ず助けに来んよ! 必ず」
「たいした自信だな、その彼氏とやらに、もう一度、会ってみたくなったよ。そして今度は遠慮なく勝たせてもらう」
その横顔を見て思い出した。以前、六本木のバーでショウと飲んでいる時に声をかけてきた男だった。
「お前、あの時の」
エビサワが不敵な笑みを浮かべた。
「思い出してくれて光栄だな。あの時はお前の彼氏だとは知らず、どこかの組の奴だと勘違いしてしまった。それがまさか刑事だったとはな」
するとイサオが口を挟んだ。
「何よ、あんた、今に見てなさいよ。ショウ君が来て、あんたなんかボッコボコにして、逮捕してくれるんだからぁ。それにショウ君はあんたなんかより、ずっとずっとカッコイイし」
エビサワが苦笑する。
「お前、マネージャーじゃないな? 一体、何者だ?」
イサオが顔を赤くした。
「あ、アタシは・・・・・・イサオっちゅう者よ」
ユキナが溜息をつき、片目を瞑った。
「何だ? このカバみたいなオカマ、黙ってろ」
「まあ、カバみたいだなんて、失礼な」
するとエビサワがポケットから折りたたみのナイフを出し、イサオの顔に押し付けた。
「静かにしろってのが、聞こえねぇのかコラ」
イサオがナイフから顔を背けようとした勢いで後ろに仰け反り、椅子ごと倒れた。
「おい! イサオ、大丈夫か」
エビサワが今度はユキナにナイフを向けた。鼓動が耳元で鳴っていた。身動きできないユキナに近寄り、ナイフの先でブラウスのボタンを一つ弾いた。
「結構いい胸してるじゃねえか」
「何しやがんだ! このエロオヤジ」
「ユウジさん、やめて! お願いだから、ユキナには手を出さないで」
エビサワがイラついたようにナイフを畳み、そしてまた開いた。
「なら、お前が身代わりになるんだな?」
エリナを無理やり立たせ、ナイフでTシャツを切り裂いた。白い乳房が現れた。そして強引に下着に中に手を入れた。ユキナとイサオは目を瞑った。
「俺は刑事の恨みを買うほど、バカではないんでね」
エビサワがエリナを連れて部屋を出て行った。
数時間が過ぎた。ユキナとイサオは一言も交わさなかった。ただうなだれて冷たい床を見つめていた。空調のファンの音だけが、どこか遠くで鳴っていた。今頃、エリナがどうなっているのか考えまいとしても、知らず知らずのうちに想像を巡らしてしまう。恐らくイサオも同じだろう。エリナが自分に対してコンプレックスを持っていたなんて考えたこともなかった。エリナの笑顔の裏に、自分への憎しみが隠れていたなんて・・・・・・胸が痛んだ。あのエビサワという男はただの芸能プロダクション社長ではなさそうだ。ヤクザだろうか? ショウに連絡を入れていなかったことを後悔した。
ビルの外へと通じる階段を軽やかに降りてくる足音がして、錆び付いたスタジオの扉が開いた。すると、顔を真赤に紅潮させた二十歳くらいの男が顔を覗かせた。
「わぁ、本物のミウラユキナさんだ!」
手にファストフードの袋をぶら提げている。
「差し入れっす! 一緒に食べませんか?」
「お前、誰?」
「俺、ワタナベタイチって言います。前からユキナさんのファンでした」
「お前も、あの男の手下なんだろう?」
タイチが顔を紅くして頷いた。
「敵からの温情は受けねぇよ、別に腹減ってねぇし」
するとイサオの腹が鳴った。
「そっちのオジサンはお腹すいてるみたいっすよ」
ユキナがチッと口を鳴らした。
「ユキナさんって本当にそういうしゃべり方なんすね。生で声聞けて、俺、感動しちゃいました。キャラ作ってんのかと思ってたっすよ」
「キャラなんて作れる柄じゃねぇよ。それより、あんたら、アタシたちを監禁して一体どうしようってんの?」
「俺みたいな下っ端に、兄貴が考えてることなんてわかんねぇっす。兄貴には好きなようにしていいって言われてんすけど、姉さんには手を出すなって言われてんし、あの兄妹、結構面倒臭いんすよ。でも、俺、ユキナさんのことリスペクトしてますから」
ユキナの強張った表情が緩んだ。
「お前、今、兄妹って言ったのか?」
タイチが慌てて手で自分の口を塞いだ。
「ああ、やべっ、今の聞かなかったことにしてくれませんか?」
ユキナがクスッとした。
「いいよ、その代わり、そのバーガー貰うぞ。隣のおっさんが今にも死にそうな顔してんから。でも、アタシたち両手を縛られてんけど、食べる時くらい外してくれよな」
タイチは腕組みした。
「ユキナさんはいいっすよ。でも、その力の強そうなおっさんはダメっすね、そのおっさんにはユキナさんが食べさせて下さい」
「わかった」
すぐにタイチがユキナの手錠を外した。水商売の女とは違う、大人の香りがした。
「おお、痛てぇ、手首に痕がついちまうぜ」
タイチの視線が一つボタンが外れたブラウスに注がれている。ユキナがそれに気付くと、タイチが慌てて視線を逸らした。バーガーとドリンクに手を伸ばした。
「あんたさぁ、幾つ?」
タイチが口の中のものを飲み込んだ。
「俺っすか? 二十歳っす」
「なんか、その独特のイントネーション聞いたことあるんだよね。あんた生まれどこ? 東京じゃないでしょ」
タイチが顔を紅らめた。
「い、岩手っすよ、盛岡ってとこっす」
「ああ、知ってる、知ってる、行ったことあるぞ」
タイチが目を丸くした。
「ええっ? ユキナさん盛岡に行ったことあるんすか」
「おお、あるよ。南部会館ってとこで、わんこそば食ったぞ」
「俺、嬉しいっす。こっちに来てから故郷の話なんかしたことなかったから。ユキナさん、わんこ何杯食べたんすか?」
「ああ、百杯でやめといてやった」
「マジっすか! 俺、八十杯が最高っすよ、凄げぇ」
「ん? そんな凄いのか?」
「凄げぇすよ、女子では有り得ねぇっす」
ユキナが白い歯を見せた。
「盛岡って綺麗で良い街だよな。食い物も美味いし」
「そうなんすよ、そうなんすよ、いつかユキナさんと一緒に盛岡行けたらいいな」
ユキナが力無く笑う。イサオが黙って聞いていた。
「なあ、エリナはどうしてる? 無事なのか?」
するとタイチの顔に影が差し、視線を床に向けた。
「姉さんのことは知らねぇっす、兄貴の女っすから」
「エリナはアタシのダチなんだよ」
「知ってます。姉さんから聞いてましたから」
「なら、お前もわかるだろう? アタシはエリナを助けたいんだ」
「ユキナさんのお気持ちはわかるっすけど、いくらユキナさんのお願いでも、それだけは無理っす。俺が兄貴に殺されっちまいます」
ユキナが小さく溜息をついた。
「アタシの携帯、どうなった?」
「ユキナさんの携帯は兄貴が持ってます。俺、パスコード聞いてくるように言われてんすけど」
「アタシの携帯覗いてどうすんだ?」
「さぁ、わかりませんけど、ショウって人から電話とラインがあったみたいっすよ。ショウって人、誰っすか?」
ユキナが黙っていると、イサオが口を開いた。
「事務所の先輩よね、ユキナ」
「お、おう、今頃、大騒ぎだろうな、きっと」
「そ、それはマズイっすね。大騒ぎになる前にどっか移動しないと。かと言って、ユキナさん連れてだと目立ち過ぎるし。兄貴んとこ行って相談してきます。ユキナさん、ちょっとだけ我慢しててください」
タイチが再びユキナに手錠をはめ、急いで部屋を出て行った。
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