二十七

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二十七

 エリナが連れ去られた後のスタジオは静まり返っていた。エリナの身に起こることを想像しないように努めても、ため息が出るだけだった。シンドウマリコとタイチの姿も見えなかった。 「あたしらは置き去りかしら?」 「んなわけねぇだろ、順番じゃねえのか?」 「ユキナ、あんた恐くないの?」 「恐いよ」 「なら、よくそんな呑気なこと言ってられるわね。いつからそんな子になっちゃったのかしら?」 「さあな、しんねえけど、ショウと付き合うようになってから、世の中なるようにしかならねえって思えるようになった。まあ、それも、ショウと一緒にいれば何とかなるような気がしたからだけど」 「ほんとに、アンタの頭の中は、ショウ君のことでいっぱいなのね」 「イサオ、惚気るわけじゃねえけど、愛のパワーって凄いんだぜ。心から愛せる人がいるだけで、恐怖も、不安も、すっ飛んじまう」 「ハイ、ハイ、ごちそう様」  すると外の扉が開く音がして、誰かが階段を駆け下りてきた。 「ショウ?」  ユキナが立ち上がり、思わず声を上げた。しかし、部屋の扉から顔を覗かせたのはタイチだった。 「ユキナさん、俺と一緒に逃げましょう。俺、兄貴のやり方について行けねぇっす。俺、兄貴からユキナさんを栃木の工場まで連れて来いって言われてんすけど、兄貴はショウって刑事を誘き寄せた後、みんな殺す気なんだ」  ユキナが唾を飲み込んだ。 「栃木の工場だ?」 「はい、兄貴たち栃木の今市ってところにドラッグの精製工場を持ってるっすよ。そこでドラッグ製造したりして稼いでるんす。俺はいつもそいつを都内まで運ぶだけ」 「あいつら麻薬まで・・・・・・」 「とにかく急いでここを出るっす、グズグズしてると兄貴が戻って来ちゃいます」 「栃木に行ったんじゃなかったのか?」 「多分、違います」  ユキナが首を傾げた。 「エリナは無事なのか?」 「さあ、俺にはわからねえっすよ」  タイチが目を合わせようとしない。 「さあ、早く!」 「わかった。タイチって言ったっけ? 助かった、恩にきる」  タイチが手錠を外し、ユキナを促した。イサオが続こうとする。 「オジサンはダメっす。ただでさえ見つかりやすいのに、こんな図体のデカいオッサン連れて逃げられねぇっすよ」 「そんなぁ・・・・・・」  イサオが足をばたつかせた。 「なあ、タイチ、イサオも連れて行ってくれよ、頼む」  タイチが首を横に振った。 「いくらユキナさんの頼みでも、オッサンはダメっす」  タイチが背を向けた。ユキナは迷っていた。このままここに残って奴らが戻ってきたら、きっと殺される。けれども奴らよりも早く、ショウが気付いて駆けつけるかもしれない。二人とも残って殺されたなら、事件の真相は闇の中に葬られてしまう。だったら、どちらか一人でも生き延びてこの事件の真相を証言しなければ。以前のユキナであれば、きっとイサオと二人でこの場に残り、ショウを待っただろう。ショウを信じられなくなってしまったのだろうか? ユキナは首を横に振った。いや、そうじゃない。信じているからこそ、イサオをこの場に残して行けるのだ。 「イサオ、お前、ここに残れ! あいつらはアタシとタイチを追うはず。アタシはすぐに警察に行って、ショウにここの場所を伝えるから。きっと、それが全員が生き残る唯一の道だから」 「うん、何だかよくわかんないけど、わかったわ。あんたがそう言うんなら、きっと助かるわよね、行きなさいよ」 「待ってろよイサオ、ショウが必ず助けに来るかんな」  ユキナとタイチが階段を駆け上がって行った。  タイチの用意した軽ワンボックスは、隅田川沿いを北上した。 「おい、タイチ、どこ行くんだよ。万世橋署はあっちだぞ」 「ユキナさん、すみません。俺、やっぱり警察には行きません」 「マジかよ! じゃあ、どこ行くんだよ」  タイチが無言でしばらく車を走らせた。夜中の都内は思いの他空いていて、信号が変わる音まで聞こえそうである。暗がりの隅田川を横目に見ると黒く淀んでいて、急に不安が襲った。 「アタシを逃がしてくれるんじゃなかったのか? お前もまだ若いんだし、人を殺したわけでもねえんだから、今から自首したら罪が軽くて済むんじゃないのか?」 「俺、自首して刑務所から出て来ても、他に行くとこ無えっす。それに、いつかエビサワの兄貴たちに殺されます。そんなことになるくらいなら、ユキナさんと一緒にずっと逃げまわっていたいっす。そんな我がまま、ダメっすか? ユキナさんは、こんな腐った日本社会に戻っても、明るい世界が迎えてくれるでしょうけど、俺みたいな社会の底辺で生きてるクズは、もうどこにも戻れる場所なんて無えっす」 「タイチ・・・・・・お前」  タイチの車は首都高六号線向島インターから入り、一路北上を続けた。首都高から隅田川を見ると、上野、浅草周辺の街の明かりが反射して見える。首都高のオレンジ色の照明が、ユキナとタイチの瞳に映る。一寸先は闇。カーエアコンが唸りをあげる。暑過ぎる暖房で顔が火照った。 「俺、夢があるっすよ」  タイチの声は、遠くの暗闇を撫でるような優しい響きだった。 「夢?」 「そうっす。いつか恋人ができたら、俺、故郷に連れて行って、俺が育った街を案内してまわるっす。ヤンチャなことばかりしてきたすけど、生まれ故郷だけが俺の心の拠り所っす。もしかしたら、これからその夢が叶うかもしれねえっす」  ユキナは黙って聞いていた。不思議とさっきまでの恐怖心は無くなっていた。
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