二十九

1/1
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ

二十九

 タイチの白い軽ワンボックスカーは一度、栃木県の佐野藤岡パーキングエリアに立ち寄った。まだ緊急配備はされておらず、深夜とはいえ、意外に利用者が多かった。 「ユキナさん、お腹すいてませんか?」 「ああ、腹減ったな、アタシ、佐野ラーメン食べたい」 「何言ってんすか、無茶言わないで下さいよ。今、ユキナさんがふらっと食堂なんか行ったら、大騒ぎになるじゃないすか」 「わかってんよ、冗談だよ、冗談。それにお前、そんなことしたらアタシが逃げるかもしんねえだろ」  ユキナが楽しそうに笑う。 「ユキナさん、俺が恐くねぇんすか?」 「うん、微妙・・・・・・それよりタイチ、アタシ車の中にいて絶対逃げねぇからよ、何か温かい中華まんとかコーヒーとか買って来てくれよ。金はアタシが払うかんよ」  タイチがユキナの瞳の奥を覗き込んだ。黒くて吸い込まれそうだった。 「ユキナさん、本当に本当に逃げたりしねえっすか?」 「おう、嘘なんかつかねえよ」 「わかりました。ユキナさんを信じます」  タイチが車を飛び出して行った。 「あいつ、ダッシュしてやがる」  純粋でバカな男だなと思った。逃げようと思えばいつでも逃げられる。隙だらけで、とても自分が誘拐されているとは思えないほどだ。相手はまだほんの子供なのだ。昔から好きな子には指一本触れることができないタイプ。笑みがこぼれた。欲求を吐き出したければ、すでに何度もその機会があったはずだ。でも、しなかった。タイチはいづれ捕まるだろう。だから今は、アイツのしょうもない純粋な「夢」に付き合ってやることにした。 「男って本当、バカだよな・・・・・・」  タイチが売店の方からレジ袋をぶら提げて、猛ダッシュで戻って来た。息が切れ、肩で息をしている。 「お前、アホだな、そんな猛ダッシュなんかしたら、逆に怪しまれるだろが!」 「あっ、そっすよね、でも、ユキナさんが消えてしまうんじゃないかって俺、心配で、心配で」 「約束したろ、アタシはどこにも行きゃあしないよ。それより、例のブツ買って来たんだろうな? タイチ!」 「任せて下さいよ、肉まんとピザまん二個づつちゃんと買ってきました。それからホットコーヒー、こっちは走るとこぼれるので缶で我慢して下さい」 「おお、上出来、上出来、さあ、食うべ」  タイチが嬉しそうにユキナを見上げた。 「ユキナさん、東北弁、上手っすね」 「褒められてんのか? 一応、あんがとな」  タイチが肉まんを食べる手を止めた。 「ユキナさん、一つ聞いてもいいっすか? ユキナさんの彼氏って、どんな男っすか? やっぱイケメンっすよね?」  ユキナがタイチを見た。 「おう、超イケメンだよん」  タイチが苦笑する。 「何で刑事なんか好きになったんすか? 有名タレントのユキナさんと刑事なんて、何か釣り合わないような気がするっすけど」 「そうか? そんなことないだろ? 誰がどんな仕事してようが、アタシは全く気にしないけどね。アタシはショウが刑事だから付き合ったんじゃなくて、アイツが刑事になる前からの憧れの人だったのさ。アタシの一目惚れ」 「ユキナさんが一目惚れするような男って、一体どんな奴なんすか。俺、だんぜん興味あります。田舎者の俺には百年早いっすかね」 「バァカ、タイチ、田舎育ちのコンプレックスなんざ捨ててしまえよ。ショウはな、お前と同じ盛岡生まれだ。アタシの東北弁はショウの訛りが移っただけだよ」  タイチが口をポカンと開けている。 「ま、マジっすか! ユキナさんの彼氏さん、盛岡の人っすか」 「どうだ、少しはコンプレックス捨てられそうか?」  ユキナが微笑む。つられてタイチも微笑んだ。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!