三十

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三十

 警視庁、第五方面本部長オニズカロクロウの携帯電話が鳴った。 「夜分すみません、シンドウですけど」 「直接電話されると困るんだがね」 「オニズカさん、私たち、ちょっとマズいことになりそうなの。また手を貸して下さらないかしら?」 「今度は私に何をしろと?」 「最近、秋葉原で起きた芸能プロダクション社長殺害事件、ご存知よね?」 「ああ勿論だ。残念だが君らも容疑者になっとる。まさか、それを見逃せとでも言うんじゃないだろうな?」 「そうだとしたら?」  オニズカロクロウが咳払いした。 「無茶を言わんでくれよ。いくら私でも、殺人事件を無かったことにはできん。誰かが逮捕されるまで捜査は続く」 「ええ、そんなことわかってますわ」 「では、どうしろと?」 「実はさっき、万世橋署のタザキっていう刑事に全部知られてしまったの。明日には私たちの元に警察が押し寄せてくるでしょう? でも幸い、私たち兄妹の誰が実際に手を下したのか、誰も知らない」  オニズカロクロウが唸った。 「オニズカさん、私ね、これから羽田に行って、妹を出国させるつもりなんだけど、それが上手く行くように計らってくれないかしら?」 「君の妹が手を下したということか?」 「それは言えないわ。明日になれば、もう一人、別の女の死体があがる。私はそのタイミングを見て、池袋北署に出頭するつもり」 「身代わりに自首するつもりか? 人生を棒に振ることになるが」 「ええ、それでも構わない。妹さへ無事に逃がしてくれさへしたら、あなたも、私たちの言うことを聞く必要が無くなる」 「SDカードをどこに隠した?」 「さあ、それはまだ言えないわ。あのカードは私たちの切り札ですもの。妹が無事に出国し、私が収監されたら、当分の間は誰も手出しできないところに預けるわ」 「わかった。万世橋の捜査は私の方で遅らせる。だが、明日の朝には所轄署が一斉に動き出すだろう。それまでに出国させることだ」  それだけ言うと、通話が切れた。  シンドウマリコが運転するメルセデスの助手席に、呉美華が座っている。深夜の首都高一号線を羽田に向かっていた。シンドウマリコは何も言わず、ただ前を見てハンドルを握っている。サングラスに外灯の明かりが次々に反射して通り過ぎる。やがて工場地帯の夜光に縁取られた東京湾が見えた。 「姉さん、私だけ本国に帰るのなんて嫌、一緒に逃げましょう?」 「人が二人も死んでいるのだから、一生逃げて暮らさなくてはならないのよ。あなたにはその覚悟がある?」 「私は平気よ。姉さんと一緒だったら、どこへでも逃げてみせるわ」  シンドウマリコが溜息をつく。 「私は嫌よ。一生逃げて、不安に怯えながら暮らすのなんて」 「姉さん・・・・・・」  呉美華が姉の横顔を見つめた。 「それにユウジを一人置いて行くわけにはいかない。今回のことでユウジも警察に捕まるかもしれない。あのタザキという刑事が全てを知ってしまったわ」 「あの刑事は私がしたことも知っているの?」 「エリナは最期までミウラユキナを庇って死んでいったわ。真実を誰かに話せば、その誰かの命も狙われると知っていたようね」 「でもどうして姉さんが、私の身代わりに」 「状況を考えれば、私ら姉妹に捜査の手が及ぶのは避けられないわ」 「姉さんは十五年前のことで、まだ自分を責めてるの?」  シンドウマリコがチラと美華を見た。 「私、姉さんには幾ら感謝しても足りないくらいよ。ユウジだって同じ気持ちだと思う。私、今からでも自首するから、姉さんは自分のために、自分の人生を生きて」 「美華、有難う。私はそのあなたの言葉だけで充分、これからの人生を生きて行ける。母親らしいことなんて何一つしてあげられなかったけど、心の底から、あなたたち二人には幸せになって欲しいと思っているわ」 「どうしても一緒に行ってくれないのね」  シンドウマリコは答えなかった。 「姉さん、このSDカードはどうしたらいい?」 「美華、あなたが持っていなさい。私が捕まれば、オニズカロクロウは私の全てを調べ上げて、血眼になってそのカードを探すでしょう。だから、今は日本国内に置いておかない方がいい。またいつか、そのカードが役に立つ日が来ると思うから、それまで大事にあなたが持っていなさい」  呉美華が頷いた。メルセデスが加速する。空港は間近だった。
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