桜田門外"は"変?

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 安政7年3月3日(1860年3月24日)、外桜田にある彦根藩邸を後にし、湿っぽい牡丹雪が降る中、雛祭りに参加するため江戸城に向かう60名余りの一団があった。 「おお、寒い。凍えそうじゃわい。城まで最速で頼む。スピードアップじゃ」  籠の中から指示を出しているのは、江戸幕府大老(たいろう)である井伊直弼(いいなおすけ)であった。 「了解です。おい、全員スピードアップだ。走って身体を温めようぜ」  傍使いの男性が大きな声で指示を送る。江戸特有の湿っぽい牡丹雪のため、着込んでいる防寒具は早くも湿り、より寒さを増していた。  そんな中、井伊直弼の一行を物陰から見つめる18人の姿があった。 「雪が降っている間にやっちまうべ」 「そうだな、絶好のシチュエーション、神様はわしらを味方してっぺよ」 「わかってっぺ、スピード重視だかんな。井伊の首の取り合い、譲り合いは御法度だかんな」  まず2人が列の先頭を歩く人々を急襲した。 「朝っぱらから、うっさいのぉ。おい、近所迷惑だから静かにしろって伝えろ。騒音被害とかで投書されたら、たまったもんじゃない」 「了解しました。でも、何やら問題が起きているような」  騒いでいる前方の方に視線を向けるが、雪のせいで視界が悪く状況が掴めない。  そんな時、一発の銃声が鳴り響き、それを合図に一斉に物陰から現れた刺客たちは井伊直弼ら彦根藩士に襲い掛かった。 「マジ、いきなりじゃん。ヤッバ」  彦根藩士も急いで刀を抜いて応戦しようとしたが、腰に差している刀にも束袋(つかぶくろ)を被せて、できるだけ濡れないようにしていたことが仇となった。
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