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冬の章 エリカの白い花 『越冬つばめ』
一、 エリカのお使い
「エリカ! これ、療養所に持って行ってちょうだい」
下校したエリカが、玄関のドアを開けるといきなり声を掛けれらた。母が四角い包みを持って玄関口に立っている。
「何これ? 何で私が……って寒空の中、今帰って来たばっかりだし!」
「まあ、まあ。いいじゃない。家でくつろぐ前にちゃちゃっと行ってきてよ。北之灘療養所に入院してる水島君ていう大学生のお兄ちゃんの所に、お見舞いのお弁当作ったから持ってってよ」
母は、引かない。
「はあ、誰? それ。入院してる人に、お弁当なんて持ってってもいいの? 療養所の先生に怒られちゃうよ」
「大丈夫だって。水島君は足の骨折で入院しているから、食べ物はいくら食べてもいいのよ。タキマリ先生には、ちゃんと了解を取ってるから大丈夫。ああそれから晴海兄ちゃんも療養所に行ってるから」
「えー。あーめんどくせー。あの療養所、山の上だし。寒いし」
そう言いながらも、弁当の包みをトートバックに入れ、ミトンをする。玄関のドアを開けると吐く息が白い。
「しゃあないから、いってきまーす」
「お願いね! ありがとうエリカちゃん」
「なんだよ、エリカちゃんって。子どもじゃあるまいし。私はもう中3だよ、ママ」
エリカは、小高い山の中腹にある『北之灘療養所』に足を向けた。九十九折れに上り道が続く。風は耳に痛いが、歩き続けていると全身が汗ばんで来る。
標高が高くなるにつれて海が見える。エリカは、ふと立ち止まって振り返る。ここから見渡せる北之灘の村は、香川県と徳島県の県境に近く、徳島県側にある小さな漁村である。目の前に広がる海は、12月の播磨灘。今日の瀬戸内海は穏やかで、沖行く小型漁船のエンジン音がここまで聞こえていた。眼下の住宅街の真ん中に、エリカの通う北之灘中学校がある。校庭では、部活をしているのだろう、右に左にボールを追って走る生徒が見えた。
「ついに3年間、なーんも部活をしなかったなあ。私の3年間は、なんだったんだろ」
学校みながらつぶやく。
中学校生活は、特に可もなく不可もなく。恋に花を咲かせたわけでもなく。それどころか友人との楽しかった思い出もさほどない。一応高校進学は考えているが、だからといって高校で何かをしようという目標もなく。当然ながら高校卒業後の将来の事など、脳みそをかすったことさえない。
「まあ、これが私の人生なのかな……」
気が付くと、エリカは北之灘療養所の前に立っていた。
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