時間の色に染まる

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だからといって、決して引きこもったり、厭世的な暮らしをしていたわけではなく、時々、下宿時代の店子さんだった元学生さんが遊びに来たり、「市の担当者」という人の訪問も定期的にあった。 祖母は多趣味な人で、図書館で借りてきた本を読んだり、俳句をひねって新聞に投稿したり毎日結構忙しく過ごしていたと思う。 私が中学生になったころからは、古いハリウッド映画をレンタルして、二人で見るのが、私と祖母の共通の趣味になった。 休日は、バスに乗って二人で映画を見に行ったり、温泉に一泊旅行に行ったこともあった。一緒にいるのが祖母、というだけで、ごく平均的な、幸せな子供時代を過ごさせてもらったと思う。 祖母は、長年大学生向けの下宿を営んでいただけあって、結構教育熱心なところがあった。祖母自身、結構な読書家で、小学生の私の些細な疑問は、たいていすぐに答えてくれた。 「知識と資格は、たくさん持っていても重くなることはない」 というのが口癖で、中学からは、家から少し離れた、進学実績のある私立の学校に通わせてくれた。 少し成長して、金銭的な遠慮をし始めた高校生の私に、 「お金の心配より、ちゃんと自分の学びたいことを考えなさい」 と言って、県外の大学進学を勧めてくれたのも、祖母だった。 4年間の学生生活を終えた私は、結局地元が恋しくなって、地元で公務員になったのだけど、そのことを一番喜んでくれたのもやっぱり祖母だった。 私は恵まれていたけれど、祖母はどうだっただろうか、と、私は考えることがある。準備万端で迎えた、充実した老後の生活に、突然孫を押し付けられて、 もう一度予定外の子育てをすることになった時、祖母は一体どう思ったのだろうか。 今となっては、もう、答えを聞くことはできない疑問からこそ、私は、繰り返し、考えてしまう。
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