雪上花の散りゆく日に

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「ああ、もう。また花が……。はやく掃いてちょうだい」  妹の声がする。とっぷりとした眠りから起きると、枕元で妹が薬を煎じていた。苦い香りがただよってくる。 「また椿?」  わたしが訊くと、妹は眉をひそめる。 「そう。縁起が悪いんだから。なにか悪いものでも憑いているのかしら。まじない師さまを呼んだほうがいいのかも」 「大げさじゃない? ただ風で飛ばされたんでしょう」 「でも呪いや、あやかしの類がお姉さまを苦しめているのなら、わたしの薬も効かないのよ? ここのところ、お姉さまったら具合が悪い日ばかりじゃない」  池をこえてわたしの部屋まで忍び寄ってくる椿の花。ぽつりぽつりと落ちる花は、まだ部屋に届いたことはないけれど、そのうち届くかもしれない。死人を愛す花がここまでたどり着いたなら、わたしは死ぬんだろうか。すくなくとも妹はそんな考えに縛られているようだった。 「また熱が上がったみたいね。今日は寝ていて。ぜったい起きちゃだめだからね」  妹はあれこれとわたしの身体を診て、薬をつくっていく。むかしは泣き虫だったのに、今ではすっかり美しい薬師になった。  彼女の黒髪をまとめる椿のかんざしは、家を継いだ証に母から譲り受けたものだ。ほんとうなら、わたしがもらうはずだったもの――。  そっとため息をつくと、むかしからこの屋敷に住みついている黒猫がしっぽでふわりとわたしの腕をなでた。とても長生きの猫で、そろそろ猫又になるんじゃないかと噂している。見上げてくる黒い瞳は「ため息をついていたら、幸せが逃げるわよ」と言っているみたいだった。 「わたしの世話はいいから、恋人に会いに行ったらどう?」 「あの人より、姉さまのほうが大事よ」 「あなたがそんなだから、彼、泣き言をこぼしていたらしいわ。優しくしてあげて」  唇をとがらせる妹をなだめて、なんとか部屋から追い出した。妹の煎じた薬を飲み干して、布団に横たわる。するりと黒猫が枕元で丸くなった。 「ねえ、わたし、死ぬのかな」  薬を飲んでも、このごろ身体が思うように動かない。起き上がることすら苦しくなった。猫はわたしの頬にすり寄り、それから、ぺしんと額を叩いてくる。「なにばかなことを言ってるの」と言いたいのかもしれない。ごめんね、とこぼしながら瞳を閉じた。  まどろみのなかで、妹は恋人と会っているだろうかと考える。すると胸の奥がちりちりと傷んで、眠ろうと思うのに反して目が冴えてしまった。外を走り回る健やかな身体に、親しい人との交わり。母から継いだあの椿のかんざしも――。  わたしがほしいものを、妹はすべてもっている。  わたしが手に入れられなかったものを、すべて。  ぽとりと、なにかが池に落ちる音がした。  障子を開ければ、雪の舞う池に椿の花が浮かんでいる。死の匂いをまとった花が、また、こちらに忍び寄ってきているのだ。それでも、おそろしいとは思わなかった。美しい朱色が目に鮮やかに映り、かつての少年の姿を思い起こさせた。  あの子は、だれだったんだろう。里のどこかに、いるだろうか。また、会えるだろうか。  ――またね。  交わした約束がふっと浮かぶ。  気づけばわたしは重い身体を引きずるようにして、部屋を抜け出していた。
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