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目を開けると、いつもの天井が見えた。
「お姉さま! ああ、もう、よかった。部屋にいてって言ったのに、なんで出ていっちゃうのよ、もう!」
妹が涙声でまくしたてながら、わたしの額に手をやり、首筋の脈をとりとあわただしく動く。その足元に黒猫がいて、するりとわたしにすり寄ってきた。
「わたし、どうしてここに」
「この子が教えてくれたの。お姉さまが里にいるって。にゃあにゃあにゃあにゃあ、うるさかったのよ」
「そう……」
「なんのために里に行ったのかは知らないけど、お願いだから、今度こそ、ぜったい出歩かないで。ぜったいよ」
薬を飲んですぐに寝て、と強く言い聞かされて目を閉じる。言われるまでもなく、熱でぼんやりとするわたしは、すぐに眠りにおちた。
どれだけ寝ていたのか、黒猫がふわりとしっぽでなでてくるのを感じ、もう一度目を覚ました。わたしの熱いのどからは苦しい声しか出ないけれど、語りかける。
「とつぜんいなくなったと思ったら、家に知らせてくれていたのね。ありがとう。あなた、本当はもうとっくに猫又なんじゃない?」
猫のしっぽがぺしんと額をたたく。苦笑したわたしの見るものすべて、じわりとにじんだ。熱のためだけでなく、涙が瞳にはっていた。
「もう一度、彼に会いたかったの。またね、って約束したのに」
ずっと友と呼べる人がいなかった。またね、の約束は彼がはじめてだった。はじめてで、さいごの約束だった。それなのに叶わない。
「ねえ、障子を開けて」
黒猫は「なんでわたしが」というような顔をしたけれど、するっと障子に手をかけて器用に開く。とたんに冷えた空気が忍び込んだ。
雪を羽織った白い庭。椿の下で、たしかに約束をしたのだ。それが叶わないのだとしても、抱えて生きていたい。
――あ……。
ふわり、と。
椿の花が舞った。
風に乗ってまっすぐにこちらに向かう、朱色の花。
池をこえて、白い雪のうえを鮮やかに彩った。
わたしは布団から起き上がろうとして、けれど倒れ込んでしまう。
「お願い。あの椿、もってきて」
猫はすとんと庭におりたった。椿に駆け寄り、なにを考えているのか、花と椿の木を見つめる。そのとき風が吹いて新しい花が舞った。さらさらと粉雪とともにこちらに向かってくる。
猫はしばし間をおいてから、椿の木まで駆け寄り、いくつか花をくわえた。そうして雪の上に椿を落としながら歩いてくる。まるで椿の木とわたしをひとつの線でつなげようとするように。
わたしのもとに、ひとつの花が届いた。
そっと花びらに触れる。冷たく、美しい花だった。
まざまざと、むかしのことを思い出す。
そうして――、わたしの目がなにかをとらえた。
庭を見る。
はっとした。
椿の木の、その下に。
彼がいた。
朱色の衣、黒髪に白い肌。大人びた青年になっていたけれど、たしかにむかし庭で出会った彼だった。
彼はとんと雪を蹴ると、池の上に浮かぶ椿の花につま先を置く。花がわずかな光を放ち、少年を受け入れた。水に沈むこともなく、彼は花を軽く蹴り、また次の花へと舞いおりる。
ぽつりぽつりと続く花の道をたどる彼の足どりは、羽のように重さを感じさせない。それはとても人のなせるわざには思えなかった。最後の花をたどって、彼はわたしの枕元にまでくると、ふわりと微笑んだのだ。
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