紅葉よりも色付いた

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 ツイ、と氷上を滑るように静かに走り出した車が制限速度に従い、徐々に速度を上げる。  紅葉スポットで有名な山の麓に広がる、閑散とした田舎町。最後に舗装されたのはいつだろうか、と眉を顰めるようなアスファルトのヒビと隆起、タイヤで磨り減った道も矢潮さんの運転に係れば、スムーズなものだ。段差の上を勢いよく走り、振動でお尻が浮くこともない。このひとが空いた道を猛スピードで駆け抜けるような真似をしたことも記憶になかった。  文句なしの安全運転。この穏やかな運転は身に覚えがある。 (私の運転に似てる)  赤信号から青に変わった後の走り出しのタイミングも、速度の上げ方もそっくりだ。  そう気付いた時、彼の口が薄く開き、耳なじみの良い低い声が発された。 「走り出しはスムーズ、走行も安全。段差を越える際の衝撃やカーブでの遠心力を抑える為の減速も確実に行い、同乗者の負担軽減に余念がない。なるほど、あなたの運転は見事なまでに安全です」 「まあ。お褒めいただきありがとうございます。評価なさるおつもりで、私の運転を真似されたの?」  私ったらいつの間に、自動車教習所の教官と旅をしていたのかしらね。 「……それから、やむを得ない急ブレーキの際、あなた、助手席の私の体が前のめりになってダッシュボードにぶつからぬよう、左腕で抑えてくれましたね、このように」  危なげない運転のさなか伸ばされた運転手の左腕が、私の体の前で止まる。 「はい。つい癖で」  以前、助手席に妹を乗せての運転中に、道路に飛び出してきたボールを避けようと、咄嗟に急ブレーキを掛けたことがあるのだが、その際、助手席の妹がシートベルトで胸を圧迫されて呻き声を上げた。  シートベルトが肩に食い込む衝撃に顔を顰めた彼女の、ボールの主への恨み言を聞いてからというもの、同様の状況において自分の腕で助手席をガードするようになったのだ。  今日はインターチェンジの駐車場で、発進しようとした矢先に隣の車の陰から幼い子どもが飛び出してきたのに反応して、急ブレーキを掛けた。勿論、腕は助手席の彼を守ろうと、横に伸びている。 「この行為は下手をすると、助手席の者のみならず運転手まで怪我を負い兼ねず危険です。今後はやめるように」 「わかりました。以後は控えます」 「結構」  うん、と軽く頷いた彼はその後、貝の口のように口を閉ざした。  それからしばらく、私達はカーステレオから流れるジャズに耳を傾けていたのだけれど、長めの曲がまるっと終わっても彼の口は一向に開くことはない。  次の曲が流れ出すのを聞きながら、私は首を捻った。 「え? 私が運転してはいけない理由、仰いましたか?」 「……ほら、ご覧なさい。外の景色が美しいですよ」 「ちゃんと会話しましょ?」  山沿いのドライブルートを辿る車の外では、鮮やかに映える紅葉の景色が窓一面に広がっているが、そんなことよりも一方的にパッタリと途絶えた話の方が気になって仕方がない。 「もー、矢潮さぁん!」  むっつり……とまではいかずとも、真顔で黙々と運転する彼に私の質問に答える意思はないと判断する。  一度、こうと決めたら、余程のことがない限りは曲げない頑固者。それがこの、御門矢潮なのだ。
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