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03
馬車が停まり、処刑場にいた衛兵から声をかけられた。
ルルはベルフレアを支えながら、彼女と共に荷台から降りる。
そして、ハンカチーフを出すと、ベルフレアの雨で濡れた顔を拭った。
「失礼。折角の綺麗な顔が台無しですよ。そんな顔をしていては」
ルルは顔だけでなく、ベルフレアの乱れた髪も直した。
もちろん手櫛でできることなどたかが知れているが、それでも彼女はやらずにはいられなかった。
この善良な心を持った少女に、できる限りのことはしてやりたい――。
そういう衝動に駆られたのだ。
「あなたは不思議な人ですね。つい何もかも話してしまった。おまけに私のほうが慰められてしまうとは……恥ずかしいです」
ルルは、ベルフレアに向かって微笑んだ。
ベルフレアは何も答えず、これまで見せていた笑みとは違う、年相応の無邪気な笑顔を返す。
激しい雨と民衆の声が混じる音の中で、二人は見つめ合っていた。
まるで時間が止まってしまったかのように。
ただ互いの瞳を向け合っている。
その時を打ち破ったのはルルだった。
彼女は名残惜しそうな表情になると、ベルフレアに向かって口を開く。
「ミス·ベルフレア·リッパー……お気を悪くするかもしれませんが」
「なんだい? 気にしないから言ってみてよ、ルル」
「私はまだ信じられないのです。あなたのようなか弱い少女が、一人で連続殺人をしていたことを」
ルルは、必死の形相で言葉を続けた。
ベルフレアには、普通の人間にはない暗殺の技術があるのかもしれない。
だがそれでも、ずっと捕まることなく何人も殺し続けられるものではない。
彼女はまだ子供なのだ。
人殺しに秀でていたとしても、逃げ道の確保や潜伏場所など、ベルフレアだけで用意できるとは考えづらい。
必ず協力者がいるはずだ。
ならば今日の死刑執行の日に、仲間が助けに来る可能性は十分にある。
「もし、あなたの仲間がこの場に来ているのなら、私を人質にしてでも逃げてください。生きてください」
広場にある高座――処刑場へと上がり、騒がしい民衆と衛兵の見守る中、ルルはベルフレアの耳元で囁くように言った。
仲間が助けに来るのならば、自分はけして邪魔はしないと、声を殺しながらも力強く。
ルルの言葉を聞いたベルフレアは、そっと彼女にその小さな体を預けた。
身長差があるせいか、ベルフレアの頭がルルの胸に埋まる。
「ルル、あたしからお願いがあるんだけど」
「なんなりと申してください。私にできることならばなんでもします」
「なら、あたしが死んでも悲しまないでね。あんたは命の重さを知ってる人……。だからこそ、そんなルルの心の重荷になりたくないんだ」
微笑みながら言ったベルフレア。
ルルは、そんな彼女の笑みを見て、涙が溢れそうになっていた。
ベルフレアの仲間は助けに来ないのか。
それともそんな者は最初からいなかったのか。
絶望感に襲われたルルに、衛兵が早く死刑を執行するように声がかけられた。
周囲にいた兵が彼女に、処刑人の剣――エクセキューショナーズソーを渡す。
戦闘用の刀剣と異なり刀身に切っ先がない鍔はきわめて短いものだ。
これは突くための機能が不要であるためであり、斬首刑のために使用する剣であることを示している。
ベルフレアが兵士に跪かされ、首を前に出すように引っ張られていた。
そしてルルはエクセキューショナーズソーを握り、両膝をついて首を差し出しているベルフレアを、見下ろす位置へと移動した。
「すみません、ミス·ベルフレア·リッパー……」
「あんたが謝るようなことじゃないでしょ。この状況はさ」
「違う、違うのです。私は……あなたの頼みをとても聞けそうにないのです……。お許してください……」
ルルは、剣を構えることなく、片手で泣き顔を拭う。
そんな彼女とは対照的に、見物に来ていた民衆たちの声は大きくなっていた。
雨が降り出したことで数こそ減ったものの、広場にはまだまだ男女が集まっている。
広場の側にある高い建物からは、いつの間にか現れた貴族たちが見下ろしている。
中には、まるで喜劇でも観ているかのように笑いながら。
その様子は、甘いものに群がる蟻のようだった。
ルルは、そんな光景を眺め、ついに涙を流してしまっていた。
建国記念日とは。
特別な一日とは。
人の命を奪うことを楽しむものだったか。
ルルは、いつまでこんなことを続けるのだと、堪えていた涙が両目から流れてしまっていた。
「やっぱりそうかい。でも、その日はまだまだ先の話だよ」
「えっ?」
ベルフレアがそう言うと、突然群衆の中から何人もの人間が高座に上がってきた。
彼ら彼女らは武器を持って衛兵を倒し、広場をあっという間に制圧していく。
いきなりのことに言葉を失っていたルルが立ち尽くしていると、ベルフレアはいつの間にか拘束を解いて立ち上がっていた。
そして、年相応の無邪気な笑みを見せ、その小さな手を差し出す。
「ルル、今日は特別な一日になるよ。今からあんたは死刑執行人じゃなくなるんだからね」
ベルフレアの声が広場に響き渡ると、民衆から歓声が上がった。
それは広場だけからではなく、遠くからも聞こえてくるようだった。
「ミス·ベルフレア·リッパー……あなたは一体……?」
「あたし? あたしは革命家の娘だよ。父さんの意志を継いで、今日こそ国を変えてみせる。さあ、ルル。あたしと一緒にこの国を変えよう!」
気がつけば雨が上がり、雲の間から陽の光がさし込んでいた。
ルルは、太陽に照らされたベルフレアを見て、彼女の差し出した手を握り返した。
どうやら今日こそ、本当の意味で特別な一日になるのだなと思いながら。
了
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