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金魚すくいの屋台の横に通りかかると、コウ君が目の色を変えました……まっくらなのは相変わらずなのでもちろんそういう意味ではなく。水槽を埋め尽くさんばかりの小さな赤い金魚の群れの動きにくぎ付けになっています。
私達の時代からすでに三百年以上経っています。当時は宗教的な儀式で用いられる子亀の飼育が盛んで、お祭りでも子亀すくいが人気でした。現在は遊戯用の小魚の養殖が進んで、このような屋台に進化したのだそうです。
「やってみよっか。家に魚でもいれば、ちょっとはさびしくなくなるかもしんないし……」
家にお魚の一匹でもいれば、それを眺めたりお世話したりで、日々の孤独が紛れるかもしれない。フウ君はそんな風に考えていました。身内を次々と亡くしてきた心の傷がいよいよ深刻になっている気がします。が、
「さびしい?」
「コウはさびしくないの? ユウにい、も……親もいなくて」
「さびしくないよ。フウがいるから」
「……そう」
「なんか、へん?」
「変じゃない……」
というわけでふたりでお金を払って金魚すくいをしてみたのですが、コウ君は肩が全快していない……それどころか、見た目は八歳でも中の子は四歳ですから当然すくえませんでした。フウ君が辛うじて一匹だけすくって連れ帰り、とりあえずバケツの中へ。
餌だけはカイン君の宿でお客さんの目を楽しませるために飼育しているお魚のものを分けてもらいましたが、ちゃんとした水槽は明日改めて探しに行こうということになりました。コウ君の通院もありますし、当日に全て済ませるのは難しいという判断です。
決して、バケツの中に一日放置したからというのが原因ではありません。翌朝には金魚は死んでしまっていました。
そもそも金魚すくいの金魚というのは、連れ帰ってもすぐ死んでしまうのが大半で。飼育し続けられるかどうかはその金魚が強い個体か否かという、運の要素が大きいものだったのです。所詮はお祭りの遊びということで、すぐに死んでしまっても文句をつける人も少なく……。そういう意味では、連れ帰って長生きさせられる子亀すくいの方が道義的には正しかったのではないかしらと思ってしまいます。
「フウ、さかなしんじゃって、さびしい?」
「……さびしくないよ」
自宅の裏の森に、ふたりで金魚を埋めました。といっても不自由な体のコウ君はついていって見ているだけで、金魚を運ぶのも土を掘るのも埋めるのも、全てフウ君がしました。
でも、小魚とはいえふたりで迎えようと決めた命を、ふたりで弔った。その経験は「コウ君ではないコウ君」とフウ君の心の距離を近づけてくれたのではないかと、私は思いました。
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