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「ただいまー」
小声で家にあがると、まず手に持ったケーキの箱を冷蔵庫にしまった。返事があるはずのない真夜中の帰宅。タダ同然で借りた解体寸前のアパートメントは、雨風を凌げるだけでもありがたかった。
子供部屋を覘くと、10才の弟と7才の妹が寄り添うように眠っていた。あたしに力を与えてくれた大切な弟妹。その寝顔を見るたびに、今日も無事に終わったんだなと思えた。
最後の仕事で化粧もコンタクトも外し、ノーメイクに眼鏡の自分に戻っているあたしは、寝室に向かうとベッドの下からアンティークな宝石箱を取り出した。それは弟と妹の母親からもらった宝石箱だった。そこに今夜の稼ぎを入れると、感謝を口にして、またベッドの下にしまった。
弟と妹は後妻の連れ子だった。あたしの母親は暴力夫からひとり逃げ出した。居たところで、あたしへの暴力は始まっていただろうし、それが少し早まっただけで恨んではいない。
後妻の彼女も運が悪かったのだ。病弱で二人の子を養うためだけに、あたしの父親と一緒になったのだから。うっぷん晴らしができる家政婦でしかなかったことを本人も分かっていただろう。それでも自分の子のように、あたしのことも庇ってくれた。そんな日常が続く訳もなく、暴力と心労で彼女は病死した。そしてあたしは覚悟を決めてアイツから逃げ出した。弟と妹がその毒牙にかかる前に。
二人の為に出来るだけ時間に融通が利くレジのアルバイトをして家計をやりくりした。皮肉なものでアイツのおかげで女になっていたあたしは、抵抗もなく夜の仕事で稼ぐことができた。その稼ぎは二人の学費のために貯めている。
弟も妹も我慢強い。それが頼もしくもあり、可哀そうでもある。だからせめて世間がこぼした夢のかけらでも、明日が祭りの後だろうと特別な日にしてあげたい。奇跡を知らない私たちは、蠟燭に灯す明かりの価値を知っているのだから。
〈Fin〉
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