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「ただいまー」
静かに家にあがると、まず手に持ったケーキの箱をダイニングテーブルに置いた。返事があるはずのない真夜中の帰宅。タダ同然で借りた解体寸前のアパートメントは、雨風を凌げるだけでもありがたかった。
ルームウェアに着替えると、ケーキの箱を平らに開く。生クリームの項垂れた角に、なぜか親近感をおぼえ買ってしまったものの。半分食べて小腹を満たすと、残りは冷蔵庫に入れた。
うがいをして、そのままベッドに倒れ込んだ。最後の仕事で化粧は落としてある。あとは、とっとと眠りに落ちるに限る。ところが今夜は少し違った。
神も奇跡もないと知っているあたしは、眠りの中でさえ夢をみない。だから寝つきも良いのだが、どうも気持ちが昂っていた。こんなことは初めてだ。
ベッドで横になりながら、今日を回想していた。
たくましい首。それを支える肩。硬い背中。触れる傷痕。そう。それは亡き夫を思い出させた。兵士だった彼は、新婚にも関わらず戦地で死神に見初められてしまった。死神のせいで神を信じなくなるなんて皮肉なものだ。
今夜最後のお客さんは、彼を思い起こさせた。でも体が感じても、心が感じた訳じゃない。回想の中で男性と彼が変換する。あたしの指が彼となり、あたしを慰撫する。
「ああっ」
心を満たし溢れたものが、快感となり全身を走り抜けた。あたしの体は、つま先まで弓なりになって果て、そして心は達した。
回想が消え空っぽになった頭を眠気が襲う。約束された快眠に身を委ねながら、もしもあの男性と再び出会ったなら、奇跡を信じられるかもしれないと思えた。
〈Fin〉
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