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3.厥魚群 (けつぎょむらがる)
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わたし:厥魚群(けつぎょむらがる)というのは、鮭が群がり川を上るという意味だそうです。
なぎさ:鮭の遡行って初冬だったんだ。寒いのに最期の大仕事って大変だね。わたし:うん、あれを本能だからと突き放して考えるか、愛おしいものだと見るかではだいぶ違うね。
わたし:夏目漱石の「彼岸過迄」に主人公と友人が国府台から柴又まで散歩する様子が描かれています。それを辿ってみました。青空文庫から引用しますけど、フリガナは省いています。
この日彼らは両国から汽車に乗って鴻の台の下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤の上をのそのそ歩いた。
なぎさ:鴻の台って国府台のことかな。京成の駅があるね。
わたし:はい、この写真は西岸の葛飾側から見たものです。近づいて千葉側の土手からはこんな感じです。
ところが、京成本線の江戸川橋梁が完成し、江戸川駅ー市川新田(現・市川真間)駅間が開業したのは1914年のことなんです。この小説は1912年の作品なんで京成は使えません。
なぎさ:葛飾の彼岸は遠いんだね。
冬の土手葛飾の彼岸にくすむ空
わたし:いいですねー。この小説のタイトルの由来は、漱石クイズの基礎編なんで言及しませんが、大病を患った漱石が連載の予定時期に引っ掛けたちょっとしたウィットとともに、あの世=向こう岸を掛けていたと想像するのはありでしょう。
なぎさ:言及してるのも同然だけど、あの世って新説?
わたし:知りませんけど、「門」とか「明暗」とか無頓着と言うか素っ気ないタイトルばかりなのに凝ったタイトルだなって考えない方がおかしいでしょう。
なぎさ:なるほろー。「こころ」なんかまだ愛嬌のある方だよね。あの世を過ぎる迄って、解脱か? 転生なのか?
わたし:こほん。で、1894年に開通した総武本線で来たわけで、当時は両国橋駅が始発でした。両国駅に改称されるのは1931年なんですが、一般にはその前から呼ばれていたのかもしれません。
なぎさ:そんなことよりJRだと市川駅でしょ? 「鴻の台の下」って言うには遠いんじゃないの?
わたし:そうなんです。市川駅から人力車を仕立てて土手に取りついたってことなんでしょうけどね。あとのどんなふうに川を渡ったのかわからないところと併せ、はっきり言ってディテールを省略しているというより疎かな感じなのは、漱石の実体験じゃなくて人づてに聞いた話を元にしてる気がします。
なぎさ:もちろん根拠なんかないんだろうけど、今ならWikipediaやストリートビューを駆使できたんだろうねえ。
わたし:まあ、寺田寅彦が面白おかしく話をするのを曖昧な表情で聴いている漱石を想像するのも楽しいです。
わたし:市川橋の近くですが、ここは橋ができる前から千葉街道の渡し場があって、経済的にも、江戸の防衛上も重要な地点でした。
なぎさ:うん、まあ。小説の続きは?
わたし:はい、こんな感じです。
敬太郎は久しぶりに晴々した好い気分になって、水だの岡だの帆かけ船だのを見廻した。須永も景色だけは賞めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴れ出した敬太郎を恨んだ。
わたし:今は高い堤防が設けられているので風景は全く変わっていますね。
なぎさ:見上げると国府台の丘に、川には帆掛け船かぁ、浮世絵にしても油絵にしても様になりそうだね。
わたし:その風景は40年以上経った戦後でもあまり変わっていなかったんでしょう。1947年のカスリーン台風と1949年のキティ台風で葛飾区と江戸川区はほぼ全域が浸水する被害を受けます。長い年月掛けて治水事業を頑張って、それからは被害はずっと減りました。カスリーン台風のWikiの図です。
柳原排水機場、巨大な水門とポンプですね。
なぎさ:そっか。今でも台風で被害が絶えないもんね。
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