私の杖

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 杖が折れた… 古い友人の家からの帰り道。 自宅までの距離はまだ300mほどある。 杖がなければ進むことは出来ない。 家にいる夫へ迎えを呼ぼうと考えたが、首掛けポーチの中に携帯はなかった。 私はその場にへたり込んでしまった。 この農道は人通りが少なく、誰も助けはこないだろう。 黒いアスファルトへ視線を落とし、ゆっくり目を閉じた。 私は自分に呆れていた。 出来ないことが増えた自分に。 周りに気を使わせてしまう自分に。 ごめんなさい。 心の中でつぶやく。 閉ざされた瞼から、熱を帯びた結晶が1つ2つと落ちる。 あの頃に戻りたい。 「おーい!」 遠くから野太い声が聞こえる。 顔を上げて自宅へ続く道の先へ視線を向ける。 夫がいた。 作業着のズボンに白いタンクトップ姿の夫が駆け寄ってくる。 「大丈夫か!どこか体調でも悪いのか?」 夫の心配が胸に沁みる。 動く右手の袖で目元を拭い、私は笑った。 「杖が折れちゃってね。誰か来るのを待っていたのよ」 私の言葉に安堵したのか、夫は大きく息を吐く。 「さあ、帰ろう」 夫はそう言うと、私の背中を右手で支え、左手で私の右手を引き上げ立たせてくれた。 「おんぶしようか?」 夫の気遣いに首を振り、次は私が質問を返す。 「どうして迎えに来てくれたの?」 「なかなか帰って来ないから、心配したんだよ…携帯も家に置きっぱなしだったから。何かあったんじゃないかって」 夫は照れくさそうにアヒル口をする。 「あと…お前さんが病気で左半身が麻痺してしまい、生活が困難になった時に決めたからな。儂がお前さんの杖になるってな!」 夫は自慢げに話すと、屈託のない笑顔を私に向ける。 「ありがとう」 私は溢れそうになる涙を堪え、夫に感謝の笑顔を返す。 そして2人は歩き出した。 私が忘れていた『杖』として支えてくれる夫とともに。 皺くちゃの手と手を繋ぎながら。
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