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第一幕 胸に閉じ込める
「茨城さん大丈夫? 顔が赤いよ?」
ややハスキーな上司の声が降り落ち、パソコンに向かってキーボードを叩いていた茨城百子はゆっくりと顔を上げて上司の方を向いた。その顔はほんのりと上気しており、微妙に瞳の焦点が合っておらず、ひと目見ただけでただ事ではないような雰囲気が漂っていた。上司は思わず百子の額に手を当てる。明らかに自分の体温より温かいのを把握した上司はきっぱりと言い放った。
「休日出勤しろと言ったのはこちらだけど、今日はもう帰りなさい。ほら、そこそこ熱いし、今画面を見た限りだと誤字脱字が多いわよ。4日後には発表なんだから、今はちゃんと休みなさい」
百子はのろのろと自分の額に手を当てる。朝から何となく調子か悪いと思いながら出勤したが、まさか熱が出てるとは思わなかった。会社のプロジェクトのリーダーをやっている身としてはこのまま仕事を続けたいところだったが、仕事の効率が落ちてる以上は留まってもあまり意味がないと思い直して首を緩く振った。
「……ではお言葉に甘えて、本日は早退させていただきます。ありがとうございます」
「お大事にね」
百子はぼんやりとする頭で同僚に引き継ぎをしてから、ややふらつく足取りで職場を辞した。梅雨明けの抜けるような青空を仰いだ彼女は、瞳を刺すような太陽光線から思わず顔を背ける。
(外は暖かいね……あれ、今日って真夏日だったはず……暑いのに温かいなんて、やっぱり熱があるんだ)
どうやら少しずつ自分の体は寒いと感じ始めているらしい。思った以上に体調が悪いようだ。早退させてくれた上司と、残りの仕事を引き受けてくれた同僚に感謝しながら、重たさを増した体に鞭打って、彼氏である弘樹と同棲している家に辿り着いた。
力があまり入らない手で鍵穴を半分だけ回し、玄関のドアに寄りかかりながらゆっくりと開けると、玄関の異変を見てただいまという言葉が引っ込んだ。
(何で……何でここに私のじゃない靴があるの?)
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