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挿話 ケイン先生とベス
手間のかからなそうな子だな、というのが、魔術師学校入学の日にベスを見たケイン教官の感想だった。結局彼女の卒業まで6年間、その印象は変わらなかった。非常に優秀、優等生。教師としては、育てる面白みのない生徒。これが、ケインの、教え子としてのベスに対する総評だった。
その印象がわずかに変化したのは、卒業試験の決勝を見返した時だ。下級生たちの教材とするため、精霊に記録させていたリアとベスの対戦の映像を、何度も繰り返し見返しながら、ケイン教官は首をかしげる。
(やっぱり、そうだよな。これ、わざとなのか、確認したいな)
「君さ、卒業試験の決勝の時、最後の技、止めたよね」
卒業後、王宮魔術師の詰め所で同席した際、興味を抑えきれずにケインは口にした。
「いいえ、そんなつもりは。……どういうことですか」
ベスは目を見開く。
やっぱり、無意識か。ケインは得心する。
自分の手刀が、リアの首に入る直前にスピードが落ちていたこと、そのことで、光獣の使用をリアに許したこと。説明され、彼女はため息をついた。
「……私は、自分の弱さに負けたのですね」
「いや、弱さ、とかじゃないだろ、どう考えても。まともな感覚持ってただけだろ」
呆れてケインは口をはさむ。彼女は目を伏せ、唇をかんでいる。
この考え方、少し危うい感じがするな。ケインは思う。しかし、彼女はすでに卒業生だ。ケインにできることは何もない。
*
傀儡の王との戦いから戻った時、魔術師たちに囲まれる3人を後ろから眺め、ケインは違和感を感じた。
「君、ちゃんと怪我の治療した?」
後ろから袖を引きベスに声をかけると、きょとんとした瞳が瞬く。
そういえば、とナギがつぶやく。
「ちょっと、彼女借りていくよ」
ケインはベスを引っ張って、人の群れを離れた。
医務所は無人だった。
「怪我の場所はどこ」
「……背中です」
ケインは顔をしかめる。しかし、治療を遅らせるのは彼の信条に反する。
「悪いけど、触らせてもらうよ」
ベッドにうつ伏せにさせ、手をかざしてボタンをはずし、彼女の背中を確認する。あまり鋭くないもので裂かれたような、浅い傷が一条あった。
「……魔術で受けた傷は、何を置いても早期治療。俺の初めの授業で、何度も言っただろ」
手をかざし治癒魔法をかけながら、低い声でケインは言う。
「毒や時間差で発動する術の危険性。戦闘が終わってから、命取りになることもあるんだぞ」
「……でもこれは、かすり傷です」
淡々とした声が、なぜか癇に障った。
「君、それ良くないよ」
常にない硬い声でケインは言う。
「自分の痛みを無いもののように扱うの、不健康だよ」
「……」
背中を硬くし、ベスは答えない。
(しまった)
自分らしくなく、ムキになった。途端にケインは反省する。弟子でもない独立した魔術師に、心持の高説を垂れるなど、心得違いも甚だしい。こういうところで、つい教職に就くものの悪い癖が出る。
しばらくそのまま無言の時が流れたが、やがて静かに起き上がり、ベスの美しい瞳がケインを見つめた。
「……それでは、痛い時にはどうすればよいのですか」
眉をひそめてケインは答える。
「そりゃ、痛いから治してくれって、周りの人に言えばいいだろ……」
彼女は、まばたきもせずに彼を見つめる。その眼差しの痛々しさに、ケインはようやく理解する。
やがて、その目は伏せられた。
「……先生。痛いので、治してください」
つぶやくように言った後、彼女の目から一条、涙が流れる。
そのまま声を押し殺し肩を震わせ泣き続ける姿を、ケインは呆然と見つめた。
息をつくと、シーツにくるんだ彼女の肩を抱き寄せる。その華奢さに、一瞬ケインはぎょっとする。
「エリザベス、君はよくやったよ」
静かに言い聞かせる。
あやすようにゆらゆら揺らし、背中の傷を治してやりながら、ケインは心の中でつぶやく。
(……俺は教員失格だな)
(6年間、彼女をもっとしっかり、見ていてやればよかった)
(それにしても)
虚空をにらみ、もう一度ケインは唇をかむ。
(「名門アニサカ家」の大人たちは何やってるんだ。彼女はまだ18だぞ。もっとしっかり支えてやれよ)
窓からは、暖かい月の光が差し込んでいる。
彼女の微かな嗚咽が続く。
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