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変心(へんしん)
ゆっくりとした足取りで、商店街を歩く二人。
仮称・TKと言う青年は真輝と言う長身の男の後をただただ付いて行く。
ふと、彼は一つ気になった事を口にする。
「あの、なんで僕と会おうとしたんですか?」
突然背後から少し怪訝そうな声が聴こえて来た。
振り返るとその声には似つかない程、童顔で小柄な青年が居る。
本当に彼から今の声が発せられたのか。
「なんで、って?」
真輝はフッと笑って見せながらそう答える。
「だって真輝さん。普通にカッコ良いから、相手には困らないんじゃないかなって思っただけ」
「随分俺の評価高いね」
「まぁ、お世辞だと受け取って貰っても良いですけど」
「フフッ。TKさん、意外と面白いね」
面白い? 僕が? そんな事、言われた事ないけど。
「別に俺はそんなにモテた試しもないし、普通に過ごして来ただけだよ」
全然目線を合わせない青年を見た真輝は、脳内に彼の事を精一杯威嚇する子猫のイメージで浮かべた。
(なんだか、そう思うと可愛いな)
思わずまた笑みを見せてしまったが、ますます青年の猜疑心は深まるばかりだった。
それからしばらくして、真輝と言う男の家に着いた。
普通のアパートの一室だ。
「どうぞ。少し散らかっているかもだけど」
「お邪魔します」
一人暮らしに丁度良い1LDK。
黒でまとめられたお洒落な部屋だった。
奥にも部屋があるが、恐らく寝室だろう。
自分の無機質な部屋とは大違いだ。
真輝は荷物を置いてから、上着を脱ぎ、テキパキと電気ケトルに水を注ぎ、お湯を沸かし始めた。
「上着とかはその辺りにあるハンガー使って良いからね」
「ありがとうございます」
青年は最低限の言葉しか発しない。
真輝はその姿を横目で見つめていた。
すると、
「少しさ、話をしない?」
真輝の提案に小さく、良いですよ、とだけ答えた。
正直面倒だと思ったが、ソファに一緒に腰掛けて束の間、雑談をすることにした。
「TKさんってさ、その、何と言うか。色んな人と会ってるんでしょ?」
「…ええ、まあ」
「良くSNSで見かけるんだ。君のコト」
「そう、ですか」
いきなり何を言い出すかと思えばそんな事か。
「で、僕に幻滅しましたか?」
「いいや。寧ろ、逆。俺はずっと君に会いたかったんだ。その夢が叶って嬉しいよ」
そう言いながら、ニコッと笑って見せる真輝。
自分に会う事が夢だったって、どういう事?
今まで会って来た人と全然違うアプローチに青年は戸惑う。
「TKさんってさ、たまに自分で撮った写真をSNSで上げてるでしょ?」
「えっ?」
「確かに、君の身体も綺麗だけど、君の写真も美しくてさ。特に少し前にアップしていた、秋空の写真はとても感動したよ。何の穢れもない真っ直ぐな一枚だった」
確かに真輝の言う通り、彼は時々SNSで自ら撮った写真を上げる事がある。
でも、それは単なる時間潰しであり、趣味とは言えない。
それに、彼らの反応も自分の卑猥な画像よりも圧倒的に薄い。
だが、あの少ない反応の中に、真輝と言う男が居たとしたら。
「俺はね。別に君と今すぐ身体を重ねたいとは思っていない。少しずつキミと言う存在を知って行きたい。それだけなんだ」
「は?」
青年は思っても居ない答えに、言葉を詰まらせる。
「僕と、シタくないの?」
「ただの身体だけの関係になりたくない」
「何それ。意味わからない」
彼はそう言って、真輝との距離を取る。
その時、電気ケトルの音が止まった。
真輝は静かに立ち上がり、台所へと向かう。
「珈琲は飲める?」
「…はい」
少し間を空けてから青年は応える。
どうも先程から調子が狂う。
何もないなら今すぐ帰りたい気持ちになるはずなのに。
真輝の言動が読めなくて、上手く話が出来ない。
それが何故か悔しいと思った。
(何で僕は悔しいと感じるんだ…)
両手にマグカップを持った真輝が戻って来ると、ソファの前にあるテーブルにゆっくりと置いた。
「今日は寒かったよね。インスタントで申し訳ないけど、どうぞ」
「いえ。ありがとうございます。頂きます」
青年の声のトーンは相変わらず暗い。
二人並んで、マグカップを手に取り、一緒に珈琲を飲む。
先程飲んだ自動販売機のお茶とは違い、心の奥底から温かくなって来る事を感じていた。
「美味しい。久し振りに珈琲を飲んだ気がする」
まるで独り言のように青年は言葉を発していた。
「そっか。俺もキミと一緒に飲めて嬉しいよ」
そう言いながら、真輝は静かに珈琲を飲み続ける。
(綺麗な手だな)
マグカップを持つ彼の大きな手を青年はじっと見つめてしまった。
所作の一つ一つも綺麗だなと思った。
何故、こんなにも真輝の事を見てしまうのか。
その感覚が初めてでまた戸惑いを抱く。
「今日はさ、もう遅いでしょ。家に泊って行けば?」
「えっ?」
少し唐突過ぎないか。
青年は身構える。
「別に寝込みを襲うとか、そういう事はしないから。安心して」
「真輝さん、変わってますね」
「そう、かな。初めて言われたよ」
そう言って、真輝は再び立ち上がる。
「お風呂にお湯、入れて来る。ちょっと待っててね」
「あの、真輝さん。僕、まだ泊まるって言ってないですけど」
「えっ? TKさん、このまま帰るの?」
すぐさま真輝が青年に駆け寄る。
「な、なんですか?」
隣に再び腰掛けると共に、真輝は黙ったまま彼を見つめる。
「泊って行きなよ」
先程とは違う、少しトーンの落とした声に、青年はビクリと身体を強張らせてしまった。
まるで金縛りにあってしまったみたいに強烈に。
「…はい」
そう言わざるを得なかった。
「フフッ。TKさん、やっぱり可愛いね」
そう言って真輝は青年の頭を優しく撫でたのだった。
いつもなら気安く触るなと手を払い退けるのだが、今日はそんな気持ちにならなかった。
「ねぇ。TKさん。本当の名前、教えてくれない?」
「えっ? 名前?」
「そう。俺は真輝。改めてよろしく」
「本名、だったんですね」
「キミには嘘を吐きたくないからね」
真輝の想いに偽りはないらしい。
「嫌、かい?」
その言葉に、青年は顔を背ける。
「そう、だよね。まだ会ったばかりの相手に、いきなり心は開かないよね」
真輝は少し残念そうな顔をし、焦り過ぎたかなと本当に小さい声で言ってから立ち上がろうとした。
「巧翔」
絞り出すような声でそう言った。
「今…」
「はい。僕は巧翔と言います」
「そうか。巧翔くん、か。良い名前だね」
「ありがとう、ございます」
そう言って、巧翔は普段は見せない穏やかな笑みを見せるのだった。
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