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疑心(ぎしん)
ぼんやりと意識が戻り、ゆっくりと目を開ける。
嗚呼、そうだ。
僕はあのまま、真輝さんのベッドに二人で寝たんだった。
だが、彼の視界の先に居るであろう真輝の姿はなかった。
上体を起こして、彼の気配を探す。
寝室の扉を開くと、台所で何か作業をしている真輝の姿があった。
「おはよう、ございます」
「おはよう、巧翔くん。昨日はゆっくり寝れたかな?」
「はい。フカフカのベッドでした」
巧翔は顔を俯かせながら応える。
何故なら、本当は少し緊張してあんまり寝れなかった、なんて恥ずかしくて言えなかったから。
「ハハハ。なら良かった」
そう言いながら、真輝は手招きをする。
何だろうと巧翔はそれに従う。
「少しくらいなら、朝ご飯、食べられる?」
「…はい。でも、僕、もうすぐ帰らないと。仕事、あるんで」
「えっ? そうなの? マジかー。もう少し一緒に居られると思ったのに」
真輝は落胆の声を上げる。
「ご、ごめんなさい。早めに言っておけば良かったですかね」
「…ううん。気にしないで」
すると、真輝の目つきが変わる。
「だって、僕達。また、会えるでしょ?」
(ッ!?)
まただ。
彼の声を聴くだけで、自分の身体が動かなくなる。
彼は無意識のまま、静かに頷くのだった。
それから真輝が用意した朝ご飯を二人仲良く食した。
誰かと朝食を食べるなんて、いつ振りだろうか。
そんな事をぼんやり考えながら、巧翔は優雅な時間を過ごした。
外向けの服装に着替え、巧翔は帰り支度を整える。
真輝は何処か寂しそうな顔をしながら、彼を見つめていた。
玄関前で二人は別れの挨拶を交わす。
「また、遊びに来てね」
「はい。是非とも」
急に口数が少なくなった巧翔。
何故か身体が震えてしまう。
「巧翔くん?」
心配になり、真輝が駆け寄る。
「真輝さん、本当に楽しかったです。ありがとうございました」
すると、巧翔は思い切り背伸びをして、真輝の唇にキスをした。
「ッ!」
突然の事に、真輝は目を見開いたまま呼吸を忘れてしまった。
「そ、それじゃあ…」
巧翔はそう言って、どこか逃げる様に真輝の家を後にするのだった。
大きな音と共に、玄関の扉が閉まると、真輝はその場に崩れ落ちた。
「た、巧翔くん…。キミは、本当に…」
真輝は唇に触れた彼の柔らかな感触に、まるで呪術にかかったようにしばらく動く事が出来なかった。
巧翔は一人、駆け出していた。
何かから逃げる様に無心でただ走る。
何故、自分はあんな嘘まで吐いて彼の家を出たのか。
何故、こんなにも自分の心が動いてしまうのか。
そして、何故別れ際に彼にキスをしてしまったのか。
抱いた事のない感覚に、巧翔は何故か泣きそうになっていた。
ただ身体を重ね、欲望のままに快楽を与え合うだけで、そこに優しさはあっただろうか。
優しさ? 好き?
性的な関係を築かずとも、心を満たす事が出来る事が分かり、怖くなってしまったのだ。
(僕は…。僕は!)
それからしばらくして、
逃げ込むように、巧翔は自分の家に戻って来た。
都心のワンルーム。
テーブルが一つ、布団がただ引かれたままの五畳ほどの部屋。
最低限のモノしかない無機質な自分の部屋が、とても広く感じた。
呼吸を整える自分の声だけしか音がしない。
その時、彼の持つ携帯が震えた。
何か通知が来たみたいだ。
【是非ともお会いしたいです】
あの男と同じくらい歳の離れた男性からのDMだった。
それなりの金額の提示があった。
巧翔はすぐに返信しようとしたが、指が止まった。
考えないようにしているのに、何故か真輝の顔が脳裏にチラつくのだ。
(だけど、これが僕の生きて行く術だから。今の僕には、やっぱりこれしかないんだ)
彼はそんな事を想いつつも、知らない男性に向けて返信を送るのだった。
【では、○○日の○○時、〇〇で待っています】
何度かやり取りをし、ようやくアポイントの連絡が終わると、彼の持つスマホがまるで鉄のように重く感じてしまい、巧翔はそのままそれを床に落としてしまった。
何もかも投げ出したい気持ちになりつつ、巧翔は布団の中に逃げ込んだ。
頭まですっぽり被り、身体を丸めてただ時間が過ぎ去るのを待つのだった。
次に巧翔が目を覚ますと、いつの間にか夕方になっていた。
寒い部屋を暖めようと、エアコンを付ける。
無意識のまま、彼は押し入れの戸を開ける。
最低限の服が掛かっている中、そっと大切に置いてある一眼レフカメラを見つめる。
あの人が褒めてくれた、自分の写真。
「何かまた、撮ってみようかな」
静かにそう呟いて、巧翔はカメラを手に取ると、一人、ファインダーを覗くのだった。
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