春待心(はるまつこころ)

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春待心(はるまつこころ)

真輝と初めて身体を繋げ、愛ある時間を共にした日から数週間後。 寒さも少し和らぎ、暖かさが戻りつつある、冬の終わり。 巧翔は自分の初めてを全て奪っていったあの男性にアポイントを取った。 過去を清算するために。 新しい未来へ足を踏み出すために。 そして、巧翔自身が変わるために。 【了解した。いつもの場所で待っているよ】 その文章を見た時、巧翔は意を決した。 「よしっ」 巧翔にとってその日こそ、人生の変革の時になると確信した。 自室の窓から空を仰ぐと、雲一つない晴れやかな空だった。 話は、つい先週、真輝の家を訪れた際に遡る。 「ねぇ、巧翔くん。もし良かったら、一緒に住まない?」 「えっ?」 「急な提案だから、今すぐにって訳じゃないんだ。いずれはさ、楽しい時間をもっと共有したいなって」 「…凄く、嬉しいです。でも、僕にはどうしてもやらなきゃ行けない事があって」 「…そっか」 あからさまに残念そうな真輝。 すぐさま巧翔は言葉を続けた。 「でも、それが全て片付いたら、僕。真輝さんと一緒に居たい。我儘かも知れないけれど。ちゃんと仕事もして、真輝さんに迷惑をかけないようします。だから!」 彼が次の言葉を言いかけた時、真輝に抱き締められていた。 「大丈夫だよ。キミの想いは嘘じゃないって、分かっているから」 「真輝さん…。ありがとう、ございます」 「俺はいつでも待っているよ。だから、頑張って来るんだよ」 「はいっ!」 巧翔は今まで以上に、眩しい程の笑顔を見せた。 そして、巧翔はあの男との約束の日を迎える。 いつものように男の部屋へ足を踏み入れる。 慣れたように風呂で身体を清め、男の前にその身を晒す。 「綺麗だな、お前の身体は」 男の言葉に、巧翔は静かに頷く。 だが、心の奥底では怒りに似た感情が芽生えていた。 そのまま、巧翔はいつものように男に抱かれた。 最早、身体は熱を帯びる事はなく、演技力全開で、男の心を満足させるのに努めた。 事後、男の口から、あのセリフが放たれる。 「私の事、好きか?」 いつもの質問に、巧翔はだんまりを決め込んだ。 無言のまま服を身に着け始める。 「無視か。今日は可愛げがないな」 裸の男はフッと笑う。 すると、巧翔は鋭い眼光をしながら、男を見つめた。 「僕と貴方の関係は今日で終わりです。僕には帰るべき場所が見つかりました」 巧翔は強い口調で言い放つ。 まさかの答えに、男は驚きの表情を見せた。 「凄くお世話になりましたが、僕は、貴方の事が、嫌いです」 「ほう。それがお前の答えか」 いつものサイドチェストの引き出しには目もくれず、巧翔は荷物をまとめる。 「はい。今まで、ありがとうございました」 巧翔はそのまま足早に男の部屋を後にする。 玄関でそそくさと靴を履こうとした時である。 「巧翔」 低い声であの男に名を呼ばれた。 普段、自分の名を呼ばないので、一瞬、身体が強張った。 思わず振り返ると男の気配と共に、突如腹部に強烈な痛みが走った。 「本当に残念だよ。お前はとても美しいだったのに」 ガウン姿の男の手には、冷たいナイフが握られていた。 (えっ…) 状況が飲み込めず、視線を下にやると、自分の服がどんどん赤く染まっているのが分かった。 「なん、で…」 そのまま男は巧翔を突き飛ばす。 「すまない。お前はもう、不要だ」 そう言い残すと、大きな音を立てて、玄関の扉が閉まった。 マンションの廊下に投げ出された巧翔は一人、よろけながらも立ち上がる。 こんな場所、一秒でも早く立ち去りたい。 急いで上着を羽織り、傷を隠す。 そして、持っていたハンカチで腹部を強く押さえつけながら、エレベーターを目指した。 そのまま身体を引き摺りながら、ようやくマンションを後にし、巧翔は男の部屋を睨む。 (真輝さん…。真輝さん…) 巧翔は力を振り絞る様にして、タクシーを捕まえる。 平常を装いながら、巧翔はある場所を運転手に告げた。 「分かりました。それにしても、お客さん。顔色悪いけど、大丈夫かい?」 「大丈夫です。ちょっと、寝不足なだけなんで」 巧翔はすぐに上着の裾を整えた。 車中、巧翔はぼんやり外を見つめながら、物思いに耽っていた。 時間が経つごとに、痛みと共に、身体中から力が抜けて行く感覚に陥る。 (真輝さん。僕、ちゃんと、オトシマエ、付ける事が出来たよ) 彼の脳裏には、優しい真輝の声と笑顔が浮かんでいた。 (そっか。よく頑張ったね!) 真輝の声が頭の中で響いた。 思わず巧翔はハッとする。 そんな真輝は大きな手で、巧翔の頭を撫でている。 それだけで心の奥底から嬉しさが込み上げてくる。 とても温かい空気だ。 (これからは、真輝さんと一緒に過ごして行きたいです!) 巧翔は大きな声でそう伝える。 (勿論だよ。あのカメラで、素敵な写真をいっぱい撮ったりして、沢山の時間を共有していこう!) そのまま巧翔は真輝の大きな体に抱き締められた。 巧翔は震える手で、スマホの画面を操作する。 「真輝さん、大好きだよ…」 巧翔は文字を打ちながら、自然と静かにそう呟いていた。 しばらくしてから、運転手はバックミラーを確認する。 「お客さん? さっきは寝言かな? 寝不足って言っていたし。可哀想だから、このまま寝かせてあげよう」 運転手は青年の綺麗な寝顔を確認すると、目的地に向けて車を走らせる。 タクシーが走る大通りの街路樹には、春の息吹が芽生えようとしている。 巧翔はそんな美しい景色を見ようとはせず、穏やかな笑みを見せたまま、静かに眠り続けるのだった。
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