27人が本棚に入れています
本棚に追加
冬空心(ふゆぞらごころ)
好きって何ですか?
ベッドの上で裸のままの二人が居る。
私の事好きかと低い声で聞かれた質問に対し、そう真顔で答えた一人の青年。
感情のない答えを言い放ち、彼は何も言わずにベッドから起き、雑に脱ぎ捨てた服を拾い上げ身に着ける。
「相変わらずお前は可愛げがないな」
「それはどうも。だけど、これからも僕と会ってくれるんでしょ?」
「お互いの利益の為。お前もそうだろう?」
「それは、否定できないね」
「まあいいさ。私は今の、この関係が気に入っているからな」
そう言って中年の男は、視線をベッドの横にあるサイドチェストへ向ける。
彼は促されるまま引き出しを開けるとそこには封筒が一つ置いてあった。
少し厚みがある。
「また、時間が合ったら会おう」
「僕で良ければ」
封筒をグッと上着のポケットに押し込んで、青年は男の部屋を後にした。
部屋の扉が閉まる時、男の口元が怪しい笑みを見せているのを横目でチラリと見ながら。
ガラリとした廊下を歩き、フラフラと非常階段を降りていく。
先程の男の家は、都心の一等地の高級マンション。
当然、エレベーター完備なのだが、彼はいつもここを使う。
(丁度良いお金稼ぎだな)
それから先程まで居た部屋をチラリと覗いてから、彼はそこを後にする。
ダウンジャケットの両ポケットにそれぞれ手を入れ、闇夜へと消えて行く。
12月の夜の都会はかなり冷えて来た。
「さてと。次は…」
とある駅に向けて歩く道すがら、彼はすぐに携帯をチェックし始めた。
夥しい数のDMが画面を埋め尽くしている。
その光景に彼はニヤリと笑う。
卑猥な言葉、画像、自分を侮辱する言葉、陰陽全てがまるでカオスのように横たわっていた。
だが、それを彼は何の感情を抱かぬまま、返答したり、消したりと歩きながら、黙々と作業をこなす。
そう、次の「相手」が待っているのだ。
彼が男と身体を重ねる行為を続けているのはただの時間潰しとその日暮らしの日銭が欲しいだけだ。
元々定職にはつかず、最低限のバイトだけであちこち転々としていた。
親もおらず、友人もそれほど居ない。
ただ毎日を浪費していくだけの人生。
全てのきっかけはSNSでたまたま上半身裸の画像を間違ってアップしたところから始まった。
見た目が童顔で細身、身長も165cmぐらいしかないので、良く年齢も間違えられることもあった。
そんな25歳男性の綺麗な身体に反応した人々から、次第にDMが届き始めた。
中には金銭を提示する人が居り、最初はさもしいなと思い軽蔑しつつも、徐々にその蠢く黒い魔力に惹かれてしまう。
底の無い沼へ身体を落としていくように。
そしてついに、彼はその時住んでいた場所から近いと言う理由だけでその人と会ってしまった。
相手は自分より一回り以上も離れている男性だった。
会社役員、と言う事だけ覚えている。
されるがままに身体を触れられ、彼の初めてを全て奪って行った。
それが、先程の男。
だが、そんな事をされても彼の心は何も感じなかった。
嫌がったり、跳ね退けたりすることも出来たのに、彼の身体は無のまま、男の欲望のままに染め上げられた。
多額の金銭を受け取るようになると、次第に彼は「演技」を覚えていく。
相手の願った通りに演じるだけで、頂く報酬も変わったりするのだ。
自らをどんどん穢していく。
それでも、自分の心は何も感じなかった。
月に数回、たった数時間をあの男に捧げるだけで自分はその後の束の間、生きて行く為の糧を得られる。
そう割り切れば良いだけの事。
そう、それだけ。それだけなんだ。
その後も、綺羅星の如く不特定の男達と何度も身体を繋ぐ行為をしたが、何の感情も湧かなかった。
街のあちこちでは、広告などで愛を謳うドラマや映画が溢れている。
すれ違うカップルも沢山居る中を青年はただ一人、黙々と歩いていく。
(誰かを好きになるって何?)
いつも自問自答してみるが、答えを導く事は出来ずに居た。
電車を乗り継いで、彼は都心から離れた東京北部へとやって来た。
これと言ったランドマークはないが、人通りは結構あった。
すると、円状のベンチのようなモニュメントが彼の目に入った。
(あそこで待つとするか)
冷たいベンチに腰掛け、駅のホームの自動販売機で買った温かいお茶を飲むと、少し気持ちが落ち着いた。
空を見上げると、ビルの合間から冬の夜空が広がっていた。
自分の心とは違って、星達は美しく輝いている。
(…虚しいな)
そう思ったが、すぐに考える事を止めた。
彼は大きく息を吐いて自分のスマホの画面に視線を落とし、その時を待つ。
すると、
「TKさん、ですか?」
ふと、背後から声を掛けられた。
耳なじみの少ない、自分の呼称。
彼が振り返ると、そこにはスラリと背が高く、スーツ姿の男が居た。
見た目は所謂イケメンと言われるであろう、好青年という感じであった。
その青年の頭の上からつま先まで隈なく、まるでロボットのスキャンのように彼は悟られないように目で追って行く。
コイツは一体どういう奴なのか。
自分にとって利があるのかどうか。
そんな事を感じ取るように。
そしてすぐ、彼は言葉を続けた。
「えっと、真輝さんで良かったですか」
「はい。初めまして」
二人は軽く挨拶を済ませて歩き始める。
「それじゃあ、移動しましょうか。俺の家、すぐ近くなんで」
「はい。お願いします」
そんな仮初の関係を築こうとしている二人は、駅前の少し薄暗い商店街へ消えて行った。
最初のコメントを投稿しよう!