第四章「取り戻せない時間」

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 忘れられない一日を羽月の住むアパートで過ごした二人、今度は羽月が浩二の暮らす樋坂家にお邪魔することになった。  羽月が奮発して料理を作り、一緒に食事するということになり、買い物へと出掛けた。  スーパーマーケットをデートの時と同じように手を繋いで歩いた。  こうして手を繋いで歩いていれば学園で交際を秘密にしている意味はないのだが、二人は学園以外ではそこまで気にしないようにすることにした。  普段、唯花などの影響で和食の多い浩二のためにクリームシチューを作ることになり、生鮮食品を中心に買い出しすることになっていた。 「……たまねぎ、にんじん、じゃがいも、豚肉と、後はいいわよね?」 「いいんじゃないか? それとも、りんごとかシーフードも入れるのか?」  勝手に口を付いて出た言葉だったが、浩二はそういえば唯花の作ったシーフードカレーやりんごの甘味を加えたカレーも美味であったと思い出した。  クリームシチューを食べた記憶はあまりなかったが、それはシンプルな材料だった気がした。 「それも魅力的な案だけど、今日はいいかな。カレーも肉じゃがもシチューも材料似たようなものなのに、気付いたら材料腐らせちゃうのよね……」 「そうなのか?」 「一人暮らししてると、まとめ買いして失敗することはよくあるのよ」  浩二には一人暮らしの経験もなく、余り物を隣近所が普段から食べさせてくれているので、そういった経験はなく、理解の及ばないところであった。  昼食の時間に間に合うように早めに買い物を済ませて、互いにエコバッグを持ちながら樋坂家までやってきた。 「男の人のいる家に入るのって、やっぱり緊張するなぁ」 「そういう経験、本当にないのか?」 「自分の家族以外だったら本当にないって、前にも言ったわよ。私、男の人と約束してお出掛けしたりするような親密な関係になったこともないんだから」  玄関の前で緊張している様子を匂わせながら羽月は言った。  真面目な羽月らしいことだったが、浩二はそれくらいの経験はあると付き合う前は思っていたのだった。 「でも、案外生徒会長は羽月とも遊びたかったのかもよ?」 「ないないって! 会長はお人形さんみたいな書記の子がお気に入りだったんだから。いっつもデートに誘っては断られてたけど」  軽いノリで接する会長の、断られるのが分かっているのに話しかける姿を思い出して、羽月は久々にとんでもない破天荒だったなと思い出した。 「そういうのはフェイクの可能性あるから。本心では真面目な羽月がタイプって可能性もあるだろ」 「うーん、ないと思うけど。そうだとしたらとんでもなくメンドクサイ性格ね……」  引っ越してしまった生徒会長の話しとなると羽月は容赦がなかった。 「そんなことより、早く入りましょ」 「そうだったな、ついつい話し込んじまった」  話しを切り上げて、玄関へと再び向き直る。  浩二が生まれた時からずっと住んでいる一軒家。  庭として使えるほど広いスペースはないが、自動車一台停める駐車スペースはある。  しかし、両親が他界してから自動車は引き払ってしまったため、ずっと停められておらず、そこは空いたスペースになっている。 「でも、やっぱり緊張するのは変わらないわね」 「そうか? うちは真奈もいるから、普通の家庭と似たようなものだと思うぞ」  緊張しているという羽月に浩二はそう言った。 「家族がいるって考えると、それはまた別の緊張があるでしょうよ」  浩二は確かにそうかもしれないと思ったが、相手は真奈なのでその心配は杞憂であると考えた。 「あまり、気にしないでいいぞ。せっかくの休日なんだから」 「うん、ありがと。一人でいるとほとんど読書してるか勉強してるかだから、一緒にいられるだけで嬉しい」  真面目な羽月らしい返答であるが、確かな愛情を感じるハニカム笑顔で曇りなく浩二に言った。    うんざりすることだが、この時代においても、人間は勉強というストレスと向き合わなければならない現実に変わりはない。  それがもし興味関心のあることであれば娯楽と似たように受け入れられ暗記学習も捗るが、勉学に興じる中で、そういった楽な気持ちになれることは思春期であれば尚更そう多くない。  時代が進んでも革命的な技術が開発されて、勉強する必要がなくなるということはなく、効率的な学習法なるものは、宣伝文句のように無数に存在するが、地道に勉学に向かうという根本的な学習法が必要であることは、時代を経ても変化していない。  つまりは、学力は時間をかけて地道に行う努力あってこそ実になるものであることに変わりないというわけだ。  そういうわけで、一人暮らしで真面目に暮らす羽月は、勉強に時間を割く習慣を変わることなく続けている。  学園でも優秀な羽月は自分のことを凡人と言っているように、人よりも何倍も努力を持続的にしているということだ。  部活動というものが凛翔学園にはありながら、そこを逃げ道にせず、勉学に勤しむ羽月の姿は模範的ともいえる。 「ご機嫌だな」  密着するようにそばを離れない羽月の姿に思わず浩二は呟いた。 「それは、毎日が楽しいもの。  幸せって、こういう事を言うんだなって、つくづく思い知らされてる」 「全部、俺のせい?」 「当然でしょ、休日の過ごし方まで変えちゃうんだから」  付き合って以来、学園では見せないような表情や仕草、言葉を羽月は掛けてくれる。その恋人ならではの特別な関係であることが、浩二にとっても嬉しく、照れる気持ちが止まらなかった。  丸くなったようで、素直になったようで、時折甘えてくる羽月の姿を浩二はそれが自分にのみ向けられていることが分かると、一段と愛おしく思うのだった。
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