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15 交渉
ここ玄牝観の観長、沈氏は、おおむね王葎華と同年代くらいの年頃の、上品で落ち着いた雰囲気を持つ中年女性である。
おなじ上級坤道のいでたちをしていても、どこか下品さのぬぐいきれないところのある王葎華などとは、いかにも人種が違う。皇族ではないものの、それなりの家格の岐の貴族出身で、先代観長の信頼も厚かったと言う評判だが、にもかかわらず、どういうわけかこの観長沈氏は、ろくな修行もしていない出来星坤道の王葎華を妙に気に入っていて、何かと重用しているらしい。
一体どのへんが気に入ったものか、紫翠などは野次馬根性でもって聞いてみたい気がせぬでもなかったが、いまはそれどころではない。
琅玕の、王仁礼の遺体を掘り起こして解剖をしたい、という申し出に対し、
「何という無茶なことを仰るのですか。墓を掘り起こしてお亡骸を切り刻むなど、そんなことはたとえどんな理由があろうがなかろうが、決して認められませぬ」
冗談ではない、と血相を変えて大反対する観長沈氏。まあ予想通りの反応ではある。
「観長どの、ことは犯罪事件にかかわる問題でござるぞ」
少しぐらい難色を示された程度でひるむ琅玕ではない。
が、王仁礼が皇族の血を引く御落胤だの何だのいう事は、まだあまり知る人間を増やしたくはないため、観長には伏せている。そうなると、ただの遺体の身元確認のために墓を暴いて解剖をすると説明するしかなく、若干、説得力に欠けるのは止むを得まい。
「しかたがあるまい」
あまり権力ずくな手段は取りたくなかったが、などとぶつぶつ言いながら、琅玕はなにやら懐から書状を取り出した。
「…これは」
さすがに観長の顔色が変わった。
―――事件解決のため、どうか遺体の解剖を赦されたし。
署名は「華国国主・華公代理 華緑閃」。
非公式文書ながら花押も入った、まぎれもない直筆の書状であった。
琅玕は、どうやらこれあるを昨夜すでに予測し、周到にも義伯父たる華公代理閣下のお墨付きを用意していたらしい。
(こんなものがあるのなら、いちいち王葎華を説得などせずとも、先に観長にこれを見せて有無を言わさず要求を通せば良いはずでは)
非公式文書とはいえ、実質、国主からの命令にひとしい指示が来たのであるから、そういう強引なやり方も可能であるはずで、そちらの方が圧倒的に面倒がない。琅玕はあえてそうせぬのだろうか。疑問には思ったが、紫翠は口には出さなかった。
観長沈氏は、伝家の宝刀を抜かれた後もなお数瞬、逡巡し、その後、
「…その解剖とやらは、いますぐでないといけないものですか」
と、おそるおそる聞いてきた。
「可能なものなら、いますぐが望ましゅうござる」
解剖は日中、太陽の光の充分な時刻に野外でやるのが一番よいとされている、らしい。人工の灯りで自然太陽光同様、もしくはそれ以上に明るくなるものがあれば話は別だが、この時代そんなものはまだない。明かりが足りなければ、肌や内臓などにあらわれた微細な特徴を見逃すかも知れぬ。
「ただ吹き晒しの場では、土埃などが作業の邪魔になる場合もあるので、周囲には幔幕等を張った中でするのが理想的ですな」
この時点で、時刻はまだ辰の刻のなかばごろ(朝の午前8時頃)、今日はよく晴れて空気も澄み、風もなく、まさにうってつけの解剖日和(?)だそうな。
困惑する観長のことなど意にも介さず、琅玕は、
「できれば墓から掘り起こしたその場で執刀をしたい」
などと、輪をかけて無茶なことを言い出した。
「それでなくとも王仁礼の遺体は、死後すでに七日ほども経ってしまっている。さいわい今の季節は真冬、それも死後わりとすぐに埋葬されているから、今ならまだ原型(…)はだいぶ保っていよう」
だが今を逃せば、あとは遺体はどんどん腐っていくばかり、もう数日も経てば、どうにか人間のかたちは保っていても、体の各所にあらわれた微細な特徴などは見えなくなってしまいかねない。
「その、閣下が先ほどからおっしゃっておられる『特徴』というのは、一体何なのですか」
心底、嫌そうな顔で、観長が問うた。
聞けば、普通は解剖で身元の特定は出来ぬと言うではないか。にもかかわらず、王仁礼にかぎっては特定が可能だという、それは一体なぜなのか、と観長沈氏は、意外とそう言うことを知りたがる性分なのか、なかなか鋭いところを突っ込んだ。
琅玕は、動じない。ちらりとかたわらの王葎華を横目で見る。
王葎華は、不愉快げな表情で視線を避けたが、口に出してはなにも言わなかった。 琅玕は視線を戻し、あらためて観長に向き直り、
「観長どのは、王仁礼が、無理心中の生き残りであることはご存知でございましょうな?」
紫翠はあっと声をあげそうになったが、すんでのところで堪えた。
観長は、琅玕の問いに、ええ、と声を低めて答える。
「葎華さんから伺っておりますよ。それが理由でおつとめ先のお邸を追い出されたのだとか」
琅玕は例によって、それ以上の説明をしなかったが、察するところ王仁礼はかつての奉公先で、落ち度なくしてなんらかのトラブルに巻き込まれたのだろう。
無理心中の上に生き残った―――というからには、当人は承知せぬまま、無理やり誰かに殺されそうになったのだろうか。詳細はわからねど、それはもはや心中などではなく、ただの殺人未遂ではなかろうか、と紫翠などは思う。が、世間などというものはどういうわけか、こういうとき一方的な被害者にすぎないはずの王仁礼に対して、無闇と冷たいのが常だった。この種のトラブルに巻き込まれたオメガはたいがい一方的に解雇され、その後はまともな奉公先も嫁ぎ先もないのが普通である。
(だからこそ、王仁礼は一度は廓づとめにまで身を落としたのか)
おそらくは母の王葎華も、息子をもう一度、陽の当たる場所へ出してやりたくて、共家の奉公人募集の報に飛びついたのに違いない。そこに自分自身の欲望も多少は絡むにしろ。
観長沈氏も、同じような意見を持っているらしく、
「お気の毒に、わたくしは生前の御子息に直接お会いしたことはありませんでしたけれど―――非力な女性や、女性でなくともオメガは、世間ではなにかとそういう理不尽な目に遭わされがちなもの。当観は、そういうめぐまれない女性やオメガのかたがたの、ほんの少しでも助けになれることをこころざしておりますのよ」
「それは大変結構なことでござるが、まあそれはそれとして」
その無理心中事件の時に、王仁礼は、毒薬を混入された飲食物を口にして、死の淵を数日彷徨ったのち、運良く生還したとのこと。
「そのとき彼が飲まされたのが、何という薬物か、観長どのはご存知であられるか」
「や、薬物?いいえ存じません」
唐突に妙なことを聞かれて、観長は動転しかけたが、琅玕は頓着せずごちゃごちゃと数種の薬物の名をあげる。紫翠などはだいぶん門前の小僧になりつつあるが、それでも聞き慣れぬ薬物名ばかりで、ましてや観長や王葎華にわかるわけがなかろうが、
「これらの薬物が、摂取した人体にどのように作用すると思われますか」
「し、死ぬのでは?」
「致死量摂取すれば、仰る通りですが、量が足りぬなり何なりの理由で生き残った場合も、その後に後遺症というものがござりましてな」
「はあ…」
「生還ののち、その人体には、肝の臓に重大な障害をもたらすのです」
「肝の臓?」
「だから王仁礼は酒が一滴も飲めなかった」
妊娠・出産機能に問題はなく、軽労働や日常生活を普通に送るにも支障はなかったが、ただひとつ、飲酒厳禁の条件でうちに来たのだ、と琅玕。
「この処方、世間にそれほど一般的というわけではないが、たまに自殺やら人殺しやら何やらで使う者がおらぬこともない。私は以前に一度、たまたまだが、おなじ処方で死亡した遺体を解剖したことがある」
その遺体、琅玕の診立では、肝の臓がどす黒く変色し、表面には「さながら星空を見るかのごとき」特徴的な白い斑点があらわれていたという。
「肝の臓以外の臓器には、すくなくとも外見上の異常は見られなかった。そしていまのところ、同じ、または間違えるほど似た特徴があらわれる他の病や薬物処方は発見されていない。そう簡単に入手できる処方でもないゆえ、それを摂取して生き残った人間がそうあちこちに大勢いることも考えにくい」
したがって、王仁礼とされる遺体を解剖し、肝の臓に同様の特徴が確認できれば、それはすなわち本人であろうことの証左に他ならぬ。そしてもし確認されなければ、まず別人と言ってよかろう。
「な、なるほど、そういうことなのですね」
観長沈氏は、戸惑いながらも納得はしたようだった。
ただ、それでもまだ迷いは残るようで、
「現実問題として、いまから参拝のかたがたや、すでにお泊まりのお客様たちを全員閉め出すわけには参りませんのです」
要するに、ひと目につかずに遺体を墓から掘り出したり、屍を切り刻んだりできる環境が用意できぬというのが難点のようだった。
琅玕の方は、周囲にどんな観衆がいようがいまいが、全く気にせず平気で解剖刀を振るえるだろうが、そんなものを見せられる方はそうはいかぬ。格式高いとされる道観の、檀信徒や坤道たちの行き交う目前で墓から遺体を掘り出し、さらにはその場で切り刻むなどという無茶な所業に及べば、どのような大騒ぎになるか解らぬ。皆が大挙して逃げ出しかねない。
そのへんのことは、たとえ犯罪解決のためとかどうとか、どう事情や正論を説明したとて、おそらく無駄かと思われる。観を経営する側としては、それがわかっていておいそれと許可を出すのは難しい。
「ふむ。…」
琅玕は、指先で顎のあたりをつまんで暫時、視線を宙に漂わせた。
そして数秒後、例によって唐突に、
「では観長どの、墓地からそう遠くないあたりに、小屋か四阿のようなものはござらぬか」
「…小屋?でございますか?」
ないことはない、と観長沈氏。ただし顔色を見るに、琅玕がそんなことを聞いてくる理由はさっぱり理解してはおるまい。
「この観の墓地は、東隣が庭園になっております」
木立や築山をうまく配置して、互いに見えぬように配慮されているが、距離的にはすぐ近くで、この庭園のなかの池のほとりに石造りの四阿があるとのこと。
「結構。ではそこで解剖を行います。時刻は今深夜」
「深夜?でございますか?」
「左様、昼間に作業を行うのは諦めましょう」
そのかわり蝋燭や燈明を可能なかぎり大量に用意していただきたい、夜間はどれほど灯りがあっても多すぎることはない。
「墓を掘り起こす人足はこちらで用意いたしましょう。坤道のみなさまがたのお手を煩わすことは致しませぬゆえご安心くだされ。夜陰にまぎれて、周囲に気づかれぬよう、勝手に棺を掘り起こして持ち去ります。そちらは黙認さえしていただければ、もし万が一たれぞに目撃などされたとしても、観は遺体を盗まれた被害者という事に出来ますゆえ」
「は、はあ」
さすがというかなんというか、長年の墓泥棒の経験をいかんなく発揮し、つぎつぎ手際よく段取りを決めてしまった。
「それと、もうひとつお願いがござる」
「な、なんでございましょうや」
観長沈氏は再度身構えたが、
「そう怯えずとも結構、解剖にくらべれば、それほど無理難題というわけではない」
などと適当なことを言って、
「今宵、この観では、貴顕紳士の集う宴が催される由」
そういえば、王葎華もそんなことを言っていた。
「観長どのが、昼間に観の境内で解剖を行うことに難色を示すのも、その宴に出席する客たちがすでに観内に集まりつつあるためでござろう?」
「ま、まあそうですが」
遠方から来る客のなかには、前日ぐらいに到着し、すでに観に宿泊している者もいるのだそうだ。そのため今はいつも以上に身分の高い客が境内に多くいる。そういう連中には、できれば薄気味の悪いものを目撃されたくない。
「そんな折に気味の悪い要求をしておいて、さらに重ねてお願い事をするというのも厚かましくて恐縮だが、その宴、私も参加させていただきたい」
「⁈」
もはや今日何度めかわからぬが、またまた妙なことを言い出した。
「はあ、それは、まあ構いませぬが、急にどうなすったのです?これまで閣下がお誘いに応じて下すったことは一度もございませぬはず」
観長沈氏いわく、琅玕はいまや押しも押されぬ国家の重鎮であるが、婿入り以前も医の名家の跡取りで、この観で開かれる宴にはおおいにふさわしい人物である。そのため、もうずいぶん前から何度も招待状を送っているそうな。
「で、閣下はずっとそれに無関心…」
「ナニ、御覧の通り私は無粋者」
優雅な場所で雅に振る舞うなどということほど荷の重いことはない、不作法ゆえに場に迷惑をかけかねぬゆえお断り申し上げておった、などと澄まして言い、
「しかしながら、此度は明確に目的というものがある。そういう場合は話は別だ」
「はあ」
そのくせ、その明確な目的とやらがなんであるか、やはり具体的には語らない。
観長沈氏も、ことさらそれを強いて聞こうとはしなかったが、
「しかし宴は今宵おこなわれますゆえ、閣下は、今深夜にはその、腑分けとやらをなさるのでございましょう?」
「ああそうか、時間がいささかかぶるのでございますな」
宴は戌の刻(午後七時)頃にはじまり、卯の刻(午前五時)頃に果てるのだそうだ。宵の口から明け方まで、わけもなく夜通し飲んで騒ぐのだからご苦労な話だ。琅玕が招待に応じなかったのは、どうせ単に面倒臭いとかそういう理由に決まっているが、気持ちはわかる。
「ではまず先に宴の方に出席し、その後、ほどほどのところで脱けさせていただいて、解剖の方に取り掛かることにいたしましょうか。無理に飛び込み参加させていただいておいて勝手をするようで、大変申し訳ござらぬが」
「ど、どうぞお好きになさってくださいまし」
なかば放心したような観長沈氏の生返事。無理もあるまい。思いもよらぬ展開に完全に毒気を抜かれているらしい。
その側では、王葎華が、最初から最後まで貝のように無言で押し黙っている。
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