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18 宴の秘密
「ここの先代の観長から、儂は、この“鍵“について相談をされたことがあるのだ、もうだいぶ昔の話だが」
「…先代?の、ここの観長殿?がでございますか」
“銀の鍵“を持っていたのは、王葎華の昔の愛人、息子の王仁礼の父たる前尖晶王家の第一王子、故・岐鋭錘ではなかったか。
「岐鋭錘殿下は確かに一時期、鍵を持っておったようだな。だが、彼は本来、鍵の正当な持ち主ではない」
「え?」
「先代観長の岐氏から、無断で強奪して行ったのだ」
「強奪とは誰がです、まさか岐鋭錘殿下が?」
「その通りだ」
儂が、先代観長から相談されたというのはそのことについてだ、と老乾道。
さすがの琅玕も、眉間に皺を寄せて沈黙。さすがに、仮にも皇族たる身がそのような強盗じみた真似をしたとまでは予想していなかったのだろう。当然のことだ。
「儂にも、若干の責任がないとは言えぬ立場だ。岐鋭錘殿下を、かつてこの宴に紹介し、連れてきたのは、他ならぬこの儂だからな」
「話が前後するがな、先刻聞いたのと同じ質問をもう一度するぞ」
この宴についてどう思う、場所柄ではのうて内容についてだ、と菱陽起。
「何です柄にもない、そんな遠回しな事を言うくらいなら、さっさと核心を突いたらよろしかろう」
面倒くさそうに琅玕に言われ、老乾道はにが笑いをしながら、今度は紫翠の方に、
「坤道どもの姿について思うことはないかな」
と、少し具体的なことを聞いてきた。
「はあ、それはまあ」
若坤道にしろ年嵩の幹部坤道にしろ、およそ修行者らしからぬ奢侈な装いが目につくが、
「富裕層を相手の宴ならば多少は仕方がないのでは?」
「ふふふ、紫翠どのと申したか、秀才と聞くが、なるほど生真面目なことよな」
妙な含み笑いをする菱陽起。
はたから琅玕が、
「なんだ、言っておらなんだか。ここの坤道どもはこの宴の最中のみ、妓女に早替りするのだ」
「は⁈」
「これこれ共どの。物事は正確に描写せねばならん、物や金銭のやりとりはないゆえ売買春にはあたらぬぞ。当然、違法でもない」
あとから観への喜捨額を増やす程度のことはあるやもしれんがな、強制ではないゆえ問題になるようなことではない、云々。
「この宴で客どもは、自由に坤道を選んで伽を命じることができる。ただし坤道の方も嫌なら拒否は許されておるゆえ、命じるは言い過ぎか。つまり客と坤道次第ということだな」
「こちらの御前、菱先生とても、褥で御母堂(王葎華)と懇意になられたのでござろう」
と、あっさり暴露する琅玕。菱陽起は菱陽起で平然と、儂は若い女より年増が好きだでの、などと澄ましている。
(なんともはや)
この国では、上古のころは、売買春を含め性愛が罪悪であるという価値観は存在しない。
が、その後、数百年前に礼教なる思想が成立する。これにより、いささかなりとも価値観が変貌した。この礼教、なにかというと禁欲を説く大層堅苦しいしろもので、およそ大衆受けしそうにもないものだったが、時の国家が徹底して押し付けたので何となく定着してしまい、いまに至る。
科挙はこの礼教に則った設問が大半を占めるので、紫翠のような役人稼業の者はつい、性愛にかかわる話題全般をよろしくない方向に捉えてしまいがちだが、世間一般の感覚はもう少しおおらかなのが普通である。また、礼教は思想体系としてはかなり新しい部類で、道教をはじめ、ほとんどの信仰思想はそれよりもずっと古い時代に発生成立しており、たとえばここのような道観では存外、堅苦しくもなければ禁欲的でもなかった時代の趣や習俗をいまでも色濃く残していたりする。
「古い文献を調べると、ここのように黒山羊娘娘など、豊穣や母性をつかさどる女神を祀る観ではたいがい、房事(性行為)を奉納する儀式の存在が確認出来る。この宴も、おそらく元は祭神に供犠を捧げる密儀だったのであろうよ。無論、いまでも続いておるところは珍しいがな」
どのような経緯をたどってそういう密儀が、実質的に富裕層の社交の場と化したかはわからない。ちなみに、なかには宴席で相手をした「馴染客」である裕福な男の、後妻や側室におさまる坤道も結構いるらしい。
「それに、儂のような物数寄でなくとも、若坤道でなく年増の幹部坤道を相手に選ぶ男客は存外多いものよ」
ここのような規模の大きい道観で、発言権のある幹部クラスの古参坤道と懇意であれば、さまざまな面で便利なことがあるようだ。
「褥でなら、よそではなかなか聞けぬ情報が手に入ったり、あるいは普段なら通らぬような要求が通ったりせんでもない、それを目当てにあえて年増どもと寝たがる輩は結構いるものだ」
と、菱陽起。なるほど単に快楽目的だけでなく、損得勘定をめぐらせつつ女を抱く計算高い客も多いと言うことか。年増趣味を自称する菱陽起本人も、おそらく本音はそうなのだろうが。
「で、そうして客に指名され、応えたは良いが、決して奪われてはならんものを盗られてしもうた者がおる」
さすがに、そう言われてぎょっとした。
「と言うことは、岐鋭錘殿下が二十年前、幹部坤道のどなたかと、その、寝所での関係を?」
「ああそうだ。褥で、門外不出、歴代観長たち以外の者は存在すら知らされぬ秘密の鍵を巻き上げられてしもうた」
「な…」
あぜんとする紫翠。かたわらで、無言無表情のまま片眉だけをあげる琅玕。
「岐鋭錘が指名したのは、先代観長の岐氏だ」
観長とても客から指名されて、嫌でなければ受けるのは普通のことゆえ、それだけならことさらとやかく言うようなことではないらしい。
「まあ、そのころ岐鋭錘殿下は二十代のなかば、先代観長は五十の坂を越したあたりで、だいぶ年齢のひらきはあるにしろ、宴で若い男が年増坤道をえらんではいかぬ規則があるわけでもない」
それゆえ儂も、当時は観長を責めづらかったものよ、と老乾道はにがい顔で述懐した。
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