19 盗難

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19 盗難

 かつて菱陽起が、年下の友人である生前の岐鋭錘を宴に伴ったのは、特にこれといって他意はなく、ごく平凡に知り合いを宴席に紹介しただけのことに過ぎない。  が、そのひと月後、 「いつも通り翌月の宴にも顔を出したのだが、なにやら(あお)い顔をした先代観長に、重大な相談事があると持ちかけられてな」  やれ、宴に初参加の岐鋭錘殿下と褥を共にしただの、そのときに(かん)(ぽう)の銀の鍵を盗まれただのと聞かされて、さすがの老乾道も驚いたとやら。 「先刻も言うたが、岐鋭錘殿下と先代観長がただ寝ただけなら別に、なんの問題もないわい。しかし窃盗(せっとう)となれば話は別だ、盗まれたのが門外不出の観宝となれば尚更だ」  斜陽族とはいえ、いくらなんでも仮にも皇族の一員が、それも同じ皇族出身の者から、ことさら値打ちがあるようには見えぬ古道具(ふるどうぐ)(ぜん)とした鍵など、わざわざ盗んでいくとは普通なら考えられぬ。 「ああ、そういえば先代観長どのというのは、岐の皇族出身なのでしたな」  けさがた観につれてこられる時、琅玕がそんなことを言っていたのを紫翠は思い出す。  菱陽起いわく、 「儂がそのとき、先代観長本人から聞いたところによれば、宴で指名されたおり、ふたりで個室へ向かい、床入り前に岐鋭錘と酒を()み交わしたのち、房事を行ったという」  が、ことの済んだあと先代観長は何故か(どろ)のように眠り込んでしまい、翌朝めざめてみれば岐鋭錘の姿はすでになく、同時に決して無くしてはならぬものが消えていた―――とのこと。 「…それが、くだんの鍵でございますすか」 「左様、先代観長は細い鎖で首から下げていたというが」 「房事の時もそのまま?前後不覚に眠り込んだ後も?」 「そのようだな。先代観長は、風呂も寝る時も、どんな時でも用心のため手放さずに身につけていたと言っていた。だがそれが逆に(あだ)になったか」  あるいは酒になにか一服盛られたのやも知れぬ。が、証拠はない。  岐鋭錘は、先代観長が目覚めるよりだいぶ前、かなり早朝のうちに観を()ち、北師への帰路についていた。 「そもそも岐鋭錘が一体なぜ、わざわざ銀の鍵などを無断で拝借(はいしゃく)していったのか、来歴(らいれき)を知ってでもいたのか、それとも単なる気まぐれか、理由すらもわからんと言うておった」  ただ、先代観長本人がみずから、その理由を問いただしに岐鋭錘のあとを追っかけてゆくわけにもいかなかった。 「ものがなにしろ、本来ならば代々の観長以外、存在を知ることすら赦されぬと言うしろものだからな。うかつに周囲に疑念を抱かせるような行動をするわけにはいかぬのだ。手紙なども、万が一たれぞに盗み読みなどされた時のことを考えると、そうそう出せぬ」  万策(ばんさく)()きて、と言うか、実際にはなにもできることがなく、ほかに頼れる者もなく、思い悩んだ結果―――やむを得ず口外(こうがい)法度(はっと)の禁を破って、菱陽起にことの次第を相談したわけだった。  事情を聞いた老乾道は数日後、口実をつくって北師へ赴いた。 「内密ではあるが、要は先代観長の代理よ。岐鋭錘をとっちめて、銀の鍵を取り返し、わけを聞くべく尖晶王邸を訪ねたのだが」  まさか物言わぬ(むくろ)に迎えられるとは思わなんだ、と菱陽起。赤熱病など、このあたりではまだ噂すらも聞かぬ頃だったという。 「儂は、岐鋭錘殿下のちょうど死の翌日に尖晶王邸を訪れた格好でな」  当然のことながら、(やしき)(うち)は騒然。それでなくともかの家では、それよりひと月ほど前に第二王子、岐玉髄殿下が愛人と手に手を取って出奔してしまっており、王家内はあいつぐ変事にぼう然とするばかりだったようだ。  そのまま、菱陽起はなりゆきで葬儀にも出席したという。 「そのあいだに一応、岐鋭錘が銀の鍵や、それに類するものを所持していた形跡がないか、ことの次第は伏せた上で遺族にそれとなく、聞くだけは聞いたのだがな。たれも心当たりのあるものはおらなんだ」  まさか腹の中に隠して琅玕のところに行っていようとは。 「驚いた話よ。こんなことはたとえ神仏でもご存知あるまい」  …そうして銀の鍵の行方も、岐鋭錘が先代観長からそれを盗んでいった理由も、(そろ)って謎となる。  やがて清寧に戻って来た菱陽起から、経緯を報告された先代観長は、ずいぶんと落胆しきりだった――とやら。 「まあ当然のことだな、気に()まん方がおかしい。とはいえ見つからんものは見つからぬのだからどうにもならぬ」  それでなくともその後は世間全体が、やれ流行病(はやりやまい)だ、今度は(いくさ)だ、となんだかんだで大混乱、これでは失せ物探しもへったくれもない。 「そうして十数年、時ばかりが(むな)しく経ち幾星霜(いくせいそう)、いまから数年前、先代観長は、ふとした風邪をこじらせて世を去ったが」  その臨終(りんじゅう)の席には菱陽起も呼ばれた。そして、くだんの鍵の一件は、前後の経緯も含めて、唯一の事情を知る第三者であるところの菱陽起立ち合いのもと、あとを(たく)された当代観長の沈氏に申し送りされた。 「あわせて鍵の行方をひそかに探索(たんさく)するよう、先代観長は新観長に遺言したのだが、諸事情あって、新観長の沈どのは、鍵の探索に積極的ではなくてな」 「諸事情とは?」 「いや、それは後で語ろう。ちと込み入っておるでな」 「はあ」  菱陽起としても、部外者であるから、あまり強いて新観長に探せ探せと命令じみた事は言いにくい。黙って見守るしかなかったという。
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