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4 肖像画
紫翠が、不審げな表情で琅玕の目前に差し出した紙面には、模型にくらべれば随分ましとはいえ、慣れぬ者が見れば充分薄気味悪いであろう人体の数々。
内腑(内臓)は無論のこと、全身の筋肉のつきかた、主要な血管の走りかた、関節の骨の噛み合いかた、胴体やら腕やら脚やら全身の各所を輪切りにした断面図やら、実にさまざまな部位が現物さながらの写実性でもって紙上に描かれている。素描だけでも十頁近くの枚数があるが、どういうわけか、紫翠が食いついているのは遺体の頭部ばかりが描かれた頁であった。
正面、左右の横顔、顎下からの斜角、後頭部、その他、片半分を頭蓋骨にされた絵、唇のあたりを引き剥がされて口元のあたりの構造を描いた絵、頭を真半分に割って脳味噌をそのままくりぬいた図まである。
素描の周囲には、余白を埋め尽くすようにびっしりと様々な注意書きを記した琅玕の字。その上端、紙の縁にやや大きめの字で、ちょうど二十年前の日付と、覚え書きが記されていた。
“身元不明、無縁仏。性別・男性、属性・不明なれどもオメガにあらず。年齢・不明なれども概ね二十代の後半から三〇歳前後。中肉中背なれども栄養状態いささか悪し、云々“。
「これが、どうかしたのか」
実際に解剖の手伝いをしておいて(させたのは琅玕だが)、いまさらたかが顔の素描を見て気味が悪いというわけでもあるまいに、と揶揄うと、
「そういうことではありませぬ」
妙に真剣に反論された。
どうも要領を得ないが、紫翠は、ここに描かれている遺体のぬしが一体、どこの何者なのか、とにかくそれが不思議でならないらしい。
「そう言われても、知らんものは知らん」
解剖のために入手した遺体というのは、たとえばたれも名前すら知らぬ行き倒れであるとか、あるいは流れ者の乞食であるとか、素性のはっきりせぬまま死んだ者も多い。そういう場合、いちいち身元を調べたりすることはほとんどない。そう説明すると、
「そんな、まさか」
と呟いたきり、紫翠はなにやら沈黙してしまった。
「一体、なんなんだ」
言いながら、なにげなくあらためてもういちど紙面に視線を落とし―――今度は琅玕も、先刻の紫翠同様に硬直した。
「い、一体なにごとですの、お二方」
紫翠の義姉は、突然の訪客に呆然としている。
無理もない。年若い義弟と、先日ともに訪ねてきたばかりのその夫(しかも政府高官)が雁首そろえて血相を変え、そのうえなんの予告もなく邸に押しかけてきて、驚かぬ者はおるまい。
おまけに、ふたりがろくな挨拶もなく、勝手になだれ込もうとしたのは、
「お待ちください、なりませぬ、一体なんの御用でございますか」
この家の前の女主人、今は亡き義母の部屋―――故人とはいえ女人の私室であった。
さすがに女中数人が立ちはだかって止め、紫翠はしかたなく、
「義姉上、お願いがあります」
そう言って、義姉に向きなおった。
「このお部屋の飾り棚の中に、肖像画がひとつあったと記憶しております。それをお借りしに伺いました」
「肖像画?」
そんなものを一体どうするのか、当然ながら義姉に訊かれたが、紫翠は後で御説明致します、どうかお早く、とひたすら急かすばかりで答えない。
「わかりましたから、とにかく、おふたりともお待ちなさいませ」
兎にも角にも、義姉は紫翠と琅玕を応接室に押し込んで待たせてくれた。
「私と異母兄の父親は、いわゆる妾である私の生母を含め、都合三人の妻を持ちました」
紫翠の説明によれば、早世した最初の正妻が異母兄の母で、そのつぎに迎えた後妻、父のふたりめの妻が暮らしていたのが、さきほど紫翠が強引に押し込もうとした部屋だった。
紫翠にとっては系図上の義母にあたる。この義母は江氏といい、隣国の岐から嫁いできた女性だが、紫翠とはほとんど馴染みがない。この江氏は子を産まなかったが、最初の正妻が産んだ男児が健康に成長したからことさら問題は起こらず、順当にその男児が家督を継いで、それが紫翠の異母兄である。
その父は、隠居後に若い女中に手をつけ子をひとり産ませた。
「それが、お前か」
「左様にございます」
若い女中、つまり紫翠の生母は、
「いわゆる貧家出身のオメガ女性であったと聞かされています」
通常は、オメガもアルファも上流階級に多く生まれる。中産階級や貧困層に生まれることはめずらしい。
もし、この階層にたまにアルファやオメガが生まれることがあれば、アルファならば将来を期待し、親兄弟や親戚たちが有り金をはたいても学問教養を身につけさせ、出世の糸口を探す。オメガも同様で、美貌を磨き行儀作法を学ばせ、良家から嫁や妾の口がかかるのを待つ。大概は、女中づとめの名目で奉公に上がり、そのうちに主人の手がつくのが一番一般的なパターンであった。紫翠の母は、いわば後者の典型であった模様。
ただしこの母親は早世したため、紫翠は寺に預けられて育った。
当時すでに老人であった実父は、本当は子を手元で育てたかったようだったが、まだ健在であったふたりめの妻、江氏の反対に遭い断念。江氏より先に父は没し、紫翠は結局、成長後には実父生母ともに一度もあいまみえる機会を得られなかった。
紫翠が、オメガと判明したのは十四歳の頃である。
実父の逝去後、あとを継いでいた異母兄のもとにその旨が知らされ、はじめ異母兄はよろこんで紫翠を手元に引き取ろうとした。オメガなる人種、時代や国柄によっては相当虐げられる事例も少なくないようだが、すくなくとも今この時代この国に於いては、概ね、出身階層の別なく貴重な人的資源として大切に扱われるのが一般的になっている。まあ理の当然と言うべきで、いつの時代も支配者階層の大半はアルファだが、そのアルファたちの子を産めるのは、ほぼオメガにかぎられるのだから、将来の政略結婚の駒が手に入るというのを拒む道理はない。
が、このたびも江氏は反対した。
己の夫を奪った若い女とその息子が、よほど憎かったのであろうか、この江氏の生前は、紫翠はずっと実家の敷居を跨げずにいたとやら。とはいえその二年後に、江氏は世を去り、そうして紫翠はようやく実家に迎えられる。それが今から四年前のことだという。
「その間、いまに至るまで、義母上が生前に暮らしていた部屋はいっさい手をつけられず、定期的に掃除をする以外はそのままにされているそうです」
紫翠は普段は特に用もなし、滅多に近寄りもせぬ部屋だったそうだが、
「私がこの家に迎えられていくらもたたぬころ、まだ勝手のわからぬ邸内で道に迷い、一度誤って這入り込んだことがあるのです」
そのときに、部屋の中で『ある物』を見かけたのだという。
「ある物とは、一体なんだ」
そこへ、義姉が戻ってきた。
その手には、懐におさまるほどの小ぶりなサイズの肖像画の額がひとつ。
「これのこと?」
「そうです、それです」
素人目にもあまり上等なものではない。ありていに言えば安物である。そのうえ結構な年代物のようで、ところどころ経年劣化と日焼けで絵の具が変色し、額も角がすり減って塗装が剥げかかっている。油彩だが、原画をもとに画工が分担作業で量産したものだろう。
それでも、描かれている人物の美貌は、ひとめ見ればよくわかる。
豪奢な窓際で、若い男性が書物を読む姿を描いている。やや巻毛の見事な黒髪、少し目尻のさがった大きな瞳。モデルとなった人物は、おそらく化粧などは一切していないだろうが、くっきりとした二重瞼にうっすらと紅を掃いたかのように見える影がさす。白磁のごとき柔肌、すらりと通った高い鼻筋、わずかに厚めの唇。
服装は、貴族の男性の日常着であるが、
(まさか女の男装ではあるまいな)
などと、野暮が着物を着て歩いているが如き琅玕ですら、一瞬そんなことを考えた。
もっとも、本当に女の男装だったとしても、生半可な美貌ではないことには変わりない。
「これを、見覚えていたのです」
紫翠が、そう呟いた。
「ただ、これが誰なのかまでは、私は存じ上げませぬ」
聞きながら、琅玕は無言で鞄から紙挟みを取り出した。
開くと、中にはあの解剖所見が挟まっている。紫翠が顔色を変えて凝視していた、あの頭部の素描の描かれた頁を出し、その横にくだんの肖像画をならべて置く。
「…よく似ている。お前が驚くのも無理はない」
というより、同一人物を描いたものとしか思えぬ。描き手は別人であるから、その蹟が完全に一致するわけではないのだが、それでも、まず十中八九は琅玕と同じ結論を出すだろう。
かたわらでは義姉が、わけがわからぬという表情で無言のまま、不審げに二人を眺めていたが、
「義姉上、この肖像画、一体どなたを描いたものか、ご存知ではありませぬか」
義弟にそう問われ、ますます妙な顔をする。
紫翠いわく、
「誰かまでは知らねど、この種の量産品の肖像画は、世間で人気のある役者であるとか、著名な遊女であるとか、あるいは美貌で知られた名家の貴公子であるとか、そういう人々が描かれるものであると聞き知ってはおります」
と、紫翠。琅玕もうなずいて、
「ああなるほど、服装からすれば、さすがに遊女だ役者だということはなかろうな」
このころは身分や立場で身につけるべき装束がほぼ決まっている。まさか本当に琅玕の妄想のように女の男装などということもあるまい。であれば、どこぞの御曹司か。
義姉本人は、よく覚えておらぬようで、
「そういえば、お姑様が生きておいでの頃、お話を伺ったことがあるような、ないような…」
しばし首をひねって考えていたが、やおら肖像画を手に取り、裏を返すと、留め具をひねって額縁の裏板を外し、中の板絵を取り出した。
「ああ、やっぱりここに」
板絵の裏には、黒い絵具で走り書きがあった。
“岐玉髄の肖像 尖晶王家第二王子 輝安十七年蚕月“
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