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8 素性
「まあ死因のことはどうでも良い。ともかくも前尖晶王家の兄王子、岐鋭錘殿下が二十年前に死んでおるのは確実なわけだ、なにしろ俺がこの手で解剖しておるのだからな」
たっぷりと時間をかけて一方的に、語りたいことを語り尽くしたのち、琅玕は念を押すように言った。
そして、
「王仁礼を雇い入れる際、うちの親戚の爺婆どもが、身辺調査をしておる」
王仁礼は元々、これも、あまり裕福ではない家に生まれたオメガであるという。
一度はさる素封家に奉公する身だったが、何事か問題を起こして解雇され、あげく妓楼づとめにまで身を落としたらしい。
「紫翠の言う通り、普通はこのような前歴の者を雇う家はないものだが、うちの親戚どもは健康、かつ妊娠出産機能に問題ないオメガであれば多少の瑕瑾を問わず、という破格の条件で奉公人を募集しておったのだ」
爺婆連中、俺の知らぬところで勝手をやりおって、と毒づく琅玕。
「王仁礼どのというお方、オメガだったのですか」
紫翠はそのことをいまはじめて知った。なんだ伝えていなかったか、と琅玕が気のない返事を返す。
かたわらから、苑環が紫翠にささやいた。
「怒らねえでやって下せえよ。先生、御親戚のかたがたに無理矢理お妾さん押し付けられそうになってて、そのせいでお冠だったのよ」
「ああなるほど、王仁礼どのは、閣下の御側室候補だったのですか」
珍しい話ではない。跡取り確保の観点から、当人の望まぬ妻帯蓄妾を周囲に強制される話など世間にいくらでもある。
だとすれば、『健康かつ妊娠出産可能なオメガであれば多少の瑕瑾を問わず』などという条件がつくのも納得がいく。
「先生の兄上っつうお人がなあ、失礼ながら、とにかくお子が出来ねえらしくてな」
正妻だけでなく、若い妾を何人連れてきても、女の子のひとりすら生まれないという。琅玕が家督を継ぐはずだったのは、本来それが理由であるらしい。
「それが先生、お国の婿さんに引き抜かれちまって、御親戚のかたがたにしてみりゃ、めでたさも中くらいなりだろ、出世はおおいにありがてえにしろ、それはそれ、跡取り横取りされちまった格好だからよ」
しかたがないので、正妻である華氏の家つき娘とは別口に妾を用意し、その者に琅玕の子を産ませ、実家である共家の跡取りにする段取りだった、のだという。
「その白羽の矢が立ったのが、王仁礼てわけだ」
いまさらだが、琅玕は歴然たるアルファである。奉公人の名目でオメガを別邸に押し込み身近に置いておけば、いずれ発情香にあてられて自然に手をつけるであろう。それが共家の親戚たちの思惑だったらしい。
「迷惑な話だ」
と、琅玕。彼に臍を曲げられぬよう、共家の親戚たちは、琅玕になにも知らせることなく一切を内密にことを運んだつもりでいたが、
「ナニ、先生の人生の一大事に関わることとあっちゃあ、ほかに誰あろうこの俺様が黙っちゃいられねえやなあ」
「苑環どのが閣下に御注進に及んだのですか」
ことの次第を知らされた琅玕は、おもてむき親戚たちに文句を言うようなことはなかったが、しかし王仁礼が雇われてよりこちら、多忙を口実に、ほとんど別邸に寄り付こうとしなかったとやら。
「要するに、逃げ回ってたわけさ。洟もひっかけやしねえ」
王仁礼の方が、琅玕をどう思ってたのかまではわからない。が、彼はなにせ死んでしまっている。今となってはどうなりようもなく、大体、彼が生きているころから、琅玕は興味を示さず逃げ回っていた。
「だからな、あんたが気を揉むようなこたあこれっぽっちもありゃしねえ、それはこの俺が保証する」
「別に怒り出したりしませんよ、安心してください」
苑環は、どうもこの件が原因で、紫翠と琅玕の間柄に亀裂が生じることを案じている様子。
が、紫翠にしてみれば、琅玕の徹底した無関心ぶりを見ていると、むしろ一周回って清々しさを感じるほどで、
「それを目の当たりにして尚、悋気の虫が騒ぐほど嫉妬深い性分ではないつもりです」
「ならよかった、なんせこっちゃ、親子二代で先生の世話焼かさして貰ってるからな、つまらんことで先生の人生にケチがついたりした日にゃ、俺がくたばっちまった暁にあの世で親父にどやされらあ」
「そんなことはどうでも良いが」
琅玕が、強引に話を元に戻した。
「雇用前の身辺調査によれば、王仁礼、彼はいわゆる父なし子であったと」
「⁈」
「そして彼の母、王葎華はこれも北師の出身だ」
その王葎華は、二十年前、腹の膨れた身重の身体で、ここ清寧の下町の親類を頼って引っ越してきたという。
王葎華の生まれ育った家というのはいまでも北師に残っていて、隣近所には当時から住んでいる者たちが残っている。彼らの証言によれば、二十年前の当時、一時期この家に通う男の姿が何度か目撃されている、らしい。
「風体からして貴人だったのは確かのようだが、素性まではわからぬ。いつも分厚い頭巾で顔を隠し、見かけるのも夜かなり遅い時間帯ばかりだったとな」
「それが王仁礼どののお父上…?」
「確証はないがな」
しかし、その貴人らしき男の姿は、数ヶ月もすると見られなくなったとのこと。そうこうするうちにその家の娘、葎華の妊娠が発覚し、ことが噂になる。
「で、一家はそこに居づらくなり、赤熱病がいよいよ流行りはじめたのもあって北師を離れ、親戚を頼って清寧に都落ちして来たと」
通いが途絶えた時期と、岐鋭錘の死亡日時はほぼ同時期と言ってよい頃合いらしい。そしてなにより王仁礼のあの(紫翠は直接見たことはないのだが)容姿、と考え合わせれば、
「まあ間違いねえだろうよなあ」
「い、いやしかし」
にわかには信じられぬような話である。
これが本当なら、焼死した王仁礼は、
―――零落したりといえど、皇族の御落胤。
「ということになるではありませんか」
「その通りだ」
琅玕は、だからなんだと言わんばかりの表情で平然としている。
「尖晶王家というのは、それは血筋こそ尊いことは尊いが、先刻この苑環が言った通りの斜陽族だぞ」
二十年前当時、すでにだいぶん落ちぶれていたが、いまとなっては、こんにち家系が一応続いているというだけで、当時以上に財産らしい財産なぞ皆無に等しい状態である模様。いまの世の中、ただ貴種というだけで食っていけるほど呑気な世相ではない。
「そんなところに落胤なんぞ現れたところで鐚一文取れやせん、屁の突っ張りにもならん」
と、琅玕。
それだけでなく、聞けば二十年前、兄王子・岐鋭錘を皮切りに、前当主にして兄弟王子の父、前尖晶王・岐黒晶、そして弟王子の岐玉髄にいたるまで、尖晶王家の一族は赤熱病でほぼ全滅してしまっているのだそうな。
「この当時は、珍しい話でもなんでもない。一族郎党、一村まるごと死に絶えた例とていくらでもある」
「はあ…」
「まあ生き残りがひとりもいねえわけじゃねえんだがな」
ほんとに一族郎党全滅したなら御家お取り潰しだ、家名だけでも続いてるからにゃ子孫がいることはいるんだ、と 横から苑環が補足した。
「弟王子がな、死ぬ直前に子供ひとり産んでるのよ」
弟王子、すなわち肖像画の人物であるところの岐玉髄殿下なるその御仁は、兄王子が赤熱病に倒れるより少し前、
「なんと、愛人と手に手を取って駆け落ちしててなあ」
「ええ⁈」
また大変な話が飛び出してきた。
…尖晶王家の第二王子、岐玉髄は、愛人との逃避行ののち暫くは、杳として行方が知れなかったという。
が、数年後に偶然、辺境某所の寒村に逃れて隠れ住む姿が知れたらしい。
その側には愛人である男のほか、年端もいかぬ幼児がひとり。愛人との間に出来た子をその寒村で産み落とし、そのまま親子三人、子を育てながらひっそりと暮らしていたのだという。が、山奥といえど病魔の侵入を阻むこと叶わず、やがて愛人ともども病に倒れ、帰らぬ人となったとやら。
「それが、その幼児だけはさいわい病を逃れ、いろいろあって当局に保護されたっつう話でな。この遺児が名目だけ尖晶王家の当主に据えられて、どっかの寺に預けられて育ってるんだったかな。まあなんだ、幼児と言ったって二十年も前の話だから、もう大人になってるはずなんだが」
「ただし本当に、残っているのはその遺児と、その遺児に与えられた家名だけだ。財産どころか、尖晶王家の家屋敷すら、今はもう残っておらぬと聞くぞ」
当主が寺になぞ預けられておるのでは当然だ、と無慈悲なことを琅玕は言った。
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