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9 思惑
「それでも、もしこれで、王仁礼本人が生きていたなら―――かの者の容姿からして、岐の宮廷に申し出さえすれば、いずれ皇族と認められる事だけは確実であったと思うのだがな」
琅玕がそう呟くと、かたわらで苑環が、
「母親の王葎華、あの強欲因業婆ァが知ったら、さてどんな面しやがったかねえ」
まあ贅沢に結びつかねえんじゃ興味もねえだろうが、などと言って唇を歪めた。琅玕もそうだが、この妙な破落戸も、王葎華なる女性をあまり好いてはおらぬ様子だ。
もともと、共家でオメガの奉公人を探している、いずれは主人の側妾に、跡継ぎの生母に―――という求人募集に飛びついた王仁礼の母、王葎華は、あまり乗り気でなかった息子の尻を蹴飛ばすようにして、なかば強引に共家に押し込んだのだそうな。
「自分の息子が医の名家の跡取り息子の生母さま、しかも主人はいずれ国主にもなろうっつうお方となりゃあ、御母堂もいずれはおおいに安楽な老後が期待できるだろうからなあ」
「ああなるほど、そういう思惑がおありだったのですか」
それなら、もし自分の産んだ息子が没落皇族の落とし胤と知っていたとしても、どう考えても共家の妾になる方が実利というものがある。天秤にかけたとしても、やはり共家を選ぶに違いない。
「しかし実際には、、首尾よく息子を奉公にあがらせるところまではうまくいったが、残念ながら先生から手もつけられぬうちに死んじまったと来た」
そりゃ婆ァがヒステリー起こすわけだぜ、と嘲笑う苑環。
笑い話の種にされた琅玕は、しかし涼しい顔で、
「いやいや解らんぞ。あの御母堂は、岐の帝室の内情など全く知らんはずだ。皇族などと言ってもピンキリで、尖晶王家なんぞは典型的なキリの方、そうそう贅沢は出来やせぬなどと、理解っていればそれはあちらには行かぬであろうがな。しかし知らぬとあれば、大喜びであちらに乗り換えたやも知れぬ」
「ああなるほど、そうかも知れねえなあ」
などと、ふたりで勝手なことを憶測して妙に盛り上がっている。
「だとしても、なにしろ当人が死んでしまっているのではしかたがない」
そう言ったところで、琅玕は突然、はたと何やら真顔になり、
「いや待て、その前に、そもそも御母堂、王葎華は、その昔自分の元に通ってきていた男が何者だったのか、気づいておらなんだのか?」
「ああ、そういえば」
王葎華は娘時分は北師暮らしである。にもかかわらず、美貌で名の知れた貴公子をなぜ知らぬのであろうか。
が、苑環はあっさりと、
「そりゃしょうがねえ、箱入りなら、よくあるこった」
「箱入り?」
「強突婆ァの王葎華のことだよ」
「はあ?」
「信じられねえのも無理はねえが、あれであの婆ァ、娘時分は結構なお堅い育ちのはずですぜ」
オメガったあ下手に富裕層に生まれるよりも、貧乏人の家に生まれて育った方が、世間知らずのお嬢様育ちが多いもんよ―――と、驚くべきことを言い出した。
「陋巷の路傍にほったらかしだった小汚ねえ餓鬼が、オメガと発覚した途端、親どもに陋屋の奥深くに押し込められて、その後はいいとこの妾奉公に出すために、徹底的に純粋培養されて育つからな。世間で流行りの役者だの美男だの、連中を描いた似姿絵だの、そういう俗っぽいもんは徹底的に遠ざけられるもんだぜ」
「王葎華も、オメガだったのか」
これには琅玕も意外そうな顔をした。王葎華という女性、紫翠は直接会ったことはまだなく、幾つくらいの年代なのか知らないが、オメガも年配になると発情香をあまり出さなくなる。そうなった後は、アルファであっても直接対面したくらいでは、まず属性の判断はつかなくなるのが普通だった。
「王葎華は、そうして箱入りに育った割には、どこの邸にもつとめに出ることはなかったのか」
良家から妾奉公の口がかかるより前に、尖晶王家の岐鋭錘から妻問われる身になったのだろうか、それともなにか事情でもあるのか。
「一方で息子の王仁礼は、最初は順当に某家につとめに出ていたようだが、問題を起こしたというのは、具体的には一体なにをやらかしたのだ?俺は、それも聞いておらぬが」
そう訊かれ、さすがの苑環も首をひねって、
「ううん、すまねえ先生、俺らも、そこらへんの事はいまんところは何とも」
共家の親戚たちが、王仁礼に対して行った身辺調査というのは、どうも兎にも角にも子が産める体かどうかという一点に尽きたらしい。つとめていた妓楼の主治医に体のことをだいぶ詳しく聞きはしたものの、過去の来し方に関しては、あまり熱心に調べたわけではない模様。
琅玕は暫時、無言でなにごとか思案を巡らせていた様子だったが、そのうちになにやら突然立ち上がり、
「調べろ。いささか、気になる」
言いながら、指先でこんどは金貨を一枚宙に放つ。苑環が、それを空中で発止と受け止める前に踵を返し、返事も聞かずに室を出ていく。
紫翠は、あわてて後を追った。
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