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5 葛城さんの正体
数日後、私は、商店街の役員の方から、例の犯人が警察に自首したことを聞いた。
君、君の生き方次第で必ず運命は変わって行くから。
投げやりになって、人生を棒に振らないでね。絶対だよ。
私はあの時のことを思い浮かべながら、タブレットを開いて、今日の予約を確認した。
あっ!
19時の予約欄に葛城さんの名前があった。
そして、メッセージ欄には、
『先日は勝手に帰ってしまって、申し訳ありません。
あの時、私が伺った本当の理由をお伝え出来れば良かったんですが、自分の頭と心の整理が付きかねておりました。
あの日以来、ようやく自分なりに整理が付きましたので、お伺いしたいと思います。
よろしくお願いします。』と、入力されていた。
私の心拍数は一気に跳ね上がった。
私に会う本当の理由……?
犯した罪を告白する気だろうか?
もし、葛城さんから、私の母を殺めたと告白されたら、私はどんな反応をすべきだろう?
……そんなこと、予め決めておくことじゃないか。
許せるか許せないかと問われたら言うまでもない。許せるはずがない。
罪は償って然るべき。議論の余地はない。
私の白いソックスが母の鮮血で見る見るうちに赤く染まっていった光景を、つい昨日のことのように思い出す。
さあ、もうすぐ対決の時間だ。
私は葛城さんの予約時間が近づいてきたので、足早にラウーラさんの部屋に行った。
「お疲れさまです。」
「YUKIちゃん、いらっしゃい。
あの青年、自首したみたいね。」
「そうですね。
あの時のラウーラさんの対応、正解でしたね。さすがラウーラさん。」
「そんなことないわよ。YUKIちゃんが居てくれたお陰よ。心強かったわ。」
「いえいえ、私なんて……
でも、彼の人生、転機が訪れるといいですね。」
「本当ね。」
「それで、あの、ラウーラさんにお願いがあって来たんですけど……」
「何?なんでも言って!」
「それでは、お言葉に甘えまして。
19時に予約が入っている、私のお客さんなんですけど。」
「うん、うん。」
「ちょっと込み入った事情がありまして、何かあったら警察を呼んで貰いたいんです。」
「えっ!?
なになに?どういうこと?
大丈夫なの?」
「正確にはお客さんではなくて、個人的に繋がりがある人なんですけど……
何も無いとは思うんですが、一応、念の為。」
「……個人的なこと?
深くは聞かないけど、気を付けてよ。
ずっとYUKIちゃんの部屋を気にしているから。不穏なことがあったら、すぐ警察に連絡するわ。」
「はい、ありがとうございます!心強いです。
では、失礼します。」
「気を付けてね!」
ラウーラさんは心配そうに私を見送ってくれた。
私は自分の部屋に戻るとカフェオレを入れた。
とにかくリラックスして、冷静になっていないと……
カフェオレを飲み終えそうな時に、入り口のチャイムが鳴った。
来たっ!
「葛城です。入ってもいいですか?」
葛城さんの感情を押し殺したような声が響いた。
「あ、はい。どうぞ。」
動揺が声に現れているのが自分でも分かった。
「失礼します。」
葛城さんが姿を現した。前回会った時と変わったところは無い。
「今日でお会いするのは3回目。いや、私が覚えている限りでは4回目ですね。」
私は少し意味深に言ってみた。
「えっ?
ああ、由紀子さんが子供の頃に私と会ったということですね。
でも、私のことを覚えていなかったんじゃないですか?」
「はい。でも、前回お会いした後に思い出したんです。
正確には、記憶が繋がったというべきでしょうか。」
「記憶が……そうだったんですか……」
「そうです。」
私は真実の扉を開く鍵となる質問をした。もう後には引けない。
「葛城さん。
母がアパートで亡くなったあの日、私はアパートの外階段で男の人とぶつかりました。
そのぶつかった男の人、18年前のあなたですよね?」
「えっ?
……はい、そうです。私です。」
葛城さんは迷うこと無く認めた。
「その時、既に母は部屋の中で刺されて息絶えていた……
そうですよね?」
「……はい、そうです。その通りです。」
葛城さんは落ち着き払っている。
「あの時、葛城さんは部屋から出てきたところだったんですよね?」
私は葛城さんの顔をじっと見据えた。
「はい。
あの時、私は房枝さんと部屋にいました。」
葛城さんは素直に認めた。冷静そのものと言った感じ。
その言葉には淀みがない。真実を語っていると思う。
私が覚悟を決めて、核心を突く質問をしようと口を開いた時、葛城さん自らが語り出した。
「あの時、あの部屋で何が起きたのか、全てをお話します。
今日は、そのために来ました。」
「あ、はい……」
「18年前のあの日、私は房枝さんと10年振りに再会しました。
それまでは、連絡は取っていたのですが、直接会うことはありませんでした。
再会する数日前、突然、房枝さんから連絡が来て、折り入って話があると言われました。
房枝さんは思い立ったら後先を考えないで行動する性格でしたから、あまり驚きませんでした。
そして、私はあの日、房枝さんに会うためにアパートへ行きました。」
葛城さんは同じ調子で淡々と話していた。
私は、葛城さんの話を聞いている間、嫌な胸騒ぎが治まらなかった。
「私がアパートを訪ねると、房枝さんは独りで部屋にいました。
私は、部屋に入るなり、房枝さんの精神状態が尋常ではないことに気付きました。
落ち着きがなくて、顔面が少し引きつっていました。
そして、目は血走って、唇は小刻みに震えたままでした。
私は、努めて優しく『会うの、久しぶりだね。話って何?』と聞きました。
房枝さんは、私が視界に入らないかのように、ブツブツと何かを呟いていました。」
確かに、晩年の母は精神的に不安定な時が多かったと思う。
「少し間を置いてから私に気づいた房枝さんは、『ああ、あなたなの?会うの 何年振りかしら?』と言いながら、ソファに私を座らせました。
一瞬、私を呼んだこと、忘れているのかなと思いましたよ。
話があるって言うから来たんだと説明すると、『そうだったわね、ごめん。』と謝りましたが、どこかうわの空のようでした。
『由紀子ちゃんはいないの?』と聞くと、友だちと遊びに出かけていると言っていました。
それから、思い出したように私を呼び出した理由を語りだしました。
『あなたは聞きたくもないでしょうけど、最近、伊月さんが亡くなったの。
癌だったのよ、すい臓癌。
癌が見つかった時には随分進行していて、手遅れだったみたい。
入院して間もなく、亡くなってしまった……
結局、役者としても芽が出ずじまいの生涯だった……
伊月さんが旅立ってから、私も気力が湧かなくて、何をするにも億劫になって、楽になりたいなと思うようになって……』
『楽ってどういうこと?
君には由紀子ちゃんがいるんだよ。』
『分かっているわよっ!あなたに言われなくたって。
私だってちゃんと考えているわ。
だから、あなたを呼んだのよ。』
『俺に何をして欲しいんだ?突然呼び出しておいて。』
『あのね……私を殺して欲しいの。』
『はっ?……わざわざ冗談を言うために呼び出したのかい?』
『私は真面目よ。』
『どこがだよ。』
『自殺は出来ない。
やっては行けないことだし、由紀子がいる。
それに、自殺したって生命保険がおりないでしょ?
だから頼んでいるのよ。
あの子には、せめてもの償いとして、保険金が必要なの。まとまったお金がないと……
私は自分勝手であなたに迷惑ばかり掛けてきたことは分かっているつもり。
本当に申し訳ないと思っているのよ。
由紀子がいるのに、私は妻子のある伊月さんを選んだ。
あなたが出ていったのは当然。
本当に私は最低な人間。
謝っても謝りきれない。
私が伊月さんと付き合っていることをあなたが知ってしまった時、殺してやりたいぐらいだと言っていたでしょ?』
『それは言葉のあやで、つい感情的になって言っただけだ。
そんなことくらい分かるだろ?』
『とにかく私はあなたの疫病神なのよ。
もうこれで疫病神に付きまとわれなくて済むのよ。
最期の頼みを聞いてっ!』
『断わるっ!俺はもう帰るっ!』
私が帰ろうとすると、房枝さんは無言のまま、キッチンから包丁を持ち出して来ました。
そして、事もあろうか自分の首筋を切りつけようとしたんです。
『何やってんだっ!!馬鹿なことすんなっ!!』
『どうせ私は馬鹿よっ!
あなたが私の頼みを聞いてくれないなら、自分で自分の命を終わらせるわっ!
保険金もどうでもいい。由紀子のこと、頼んだわよっ!』
房枝さんは包丁を握った手に力を込めようとしました。
私は、咄嗟に房枝さんに飛びかかって、包丁を取り上げようとしました。
包丁を取り合って、2人でもみ合っているうちに、何かのはずみで房枝さんは床に倒れてしまいました。
『ぐっ!』
その時、運悪く、本当に運悪く、手にしていた包丁がちょうどお腹に刺さってしまったんです。
私が唖然としていると、房枝さんの顔はみるみるうちに青ざめていきました。
『これでいいの……』
虫の息の房枝さんが一瞬笑顔を見せたように私は感じました。
『房枝っ!しっかりしろっ!』
私は倒れている房枝さんを抱き起こしました。
それでも房枝さんはぐったりとしたままで、身動きひとつしませんでした。
刺さった場所が悪かったのでしょう。
私の両腕の中で、嘘みたいにあっけなく天国に行ってしまいました。
その時の私は、房枝さんの異常な精神状態が伝染したかのように、正常な判断能力が欠如していたようです。
この状況になってしまったからには、房枝さんの遺志を尊重して、他殺のように見せかけようと思ったんです。
房枝さんの手から包丁を剥ぎ取ると、台所の水道で血を洗いながして、上着の内側に隠しました。
そして、強盗でも押し入ったように見せかけるため、部屋の中を少し荒らして、テーブルにあった財布から紙幣を抜き取りました。
私の痕跡が残らないように指紋を拭き取ると、細心の注意を払って部屋を出ました。
細心の注意を払ったつもりだったんですけど、階段で由紀子さんと鉢合わせしてしまいました。
私は、あの時、由紀子さんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
このままでは、由紀子さんがお母さんの変わり果てた姿を目の当たりにしてしまう。
それでも、私は逃げるしか無かった……」
「何故ですかっ!?
葛城さん、あなたは私の実の父親なんですよね?
お父さんなんでしょ?
なんで逃げたんですかっ!?」
私は我慢し切れなくなって、葛城さんの話の腰を折ってしまった。
葛城さんは私のお父さん……
「私が由紀子さんと一緒に部屋に戻って警察に通報したところで、房枝さんが 事故で亡くなったとは信じてくれないでしょう。
私の言葉に耳を傾けてくれるはずがない。
離婚して10年も経ってから現れた元夫に疑いの目が向けられるのは間違いない。
そうすると、由紀子さんの父親は母親を殺した殺人犯だということが既成事実になってしまう。
保険金目的だと気付かれるかも知れない。房枝さんの遺志が水泡に帰してしまう。
由紀子さんのために、それだけは絶対に避けなければならない。
父親が母親を殺したなんて、そんな十字架を由紀子さんに一生背負わせるわけにはいかない。
私は、由紀子さんが母親の変わり果てた姿を目にするショックと、父親が母親を殺した事実を受け入れなければならないショックを悪魔の天秤に掛けてしまいました。
そして、前者を選んだ。由紀子さんの思いも考えずに……身勝手に……
本当は、警察に真実を訴え続けるべきだったのに、あの時の私は、思慮が浅く、軽率でした。
全く救いようがない男です……
すまない……由紀子、本当にすまなかった……」
目の前の父は両肩を震わせていた。
それから、大きく息を吐くと、再び語り出した。
「私は、アパートから逃げ帰った後、マレーシアに住んでいる友人のツテを頼って、クアラルンプールに移住しました。
結果的に海外に逃亡したみたいな形になってしまって……
私は、心を日本に残したまま、20年近く向こうで暮らしていたんですが、ある日、ネットで由紀子さんらしき占い師の人の記事を偶然見つけて、日本に帰りたいという思いが日に日に強くなっていきました。
……房枝が生きていた時でも、娘の姿は房枝がたまに送ってくる写真でしか見たことがなかった。
死ぬ前にもう一度だけ娘の姿が見たい。
帰国して捕まるかもしれない。それでも構わない。
もう一度だけ、由紀子と話がしたい。由紀子をこの手で抱きしめたい。
会って話をすることが出来れば、もう何も思い残すことは無い。
後はどうなってもいい……」
しばらく、私は言葉が出なかった。
私の魂は激しく揺さぶられて、目の前の現実を整理することが全く出来ていない。
ずっと苦労させられた母。
私がいるのに浮気した母。
身勝手に命を絶った母。
私を置いて出て行った父。
母の死を止めることができなかった父。
私が母のなきがらを目にすることを止めなかった父。
そして、逃亡した父。
その父が、今、私の目の前でポロポロと涙を流している。
18年間、私は母が刺殺されたと信じていた。
犯人がどこかに潜んでいるものだと信じていた。
それが、実際には事故死。
倒れた拍子に、手にしていた包丁がお腹に刺さって亡くなった……
……なんか冗談みたいな話。
でも、目の前にいる父は、間接的であれ、そのきっかけを作ったことに間違いはない。
仮に、父が手出しをしなければ、母は自害していたんだと思う。
いずれにしても、母は、あの日、命を絶つ運命だった。
あの日、母が人生の終わりを迎えたことは揺るぎのない事実だ。
残った問題は、突然私の前に現れた父の存在。
今、改めて思うと、父の人生は母に振り回されっぱなしだったんだろう。
私が生まれたのも束の間、母は自分勝手に妻子のある男性と不倫した。
父は、そんな母に愛想をつかして、私を残して家を出て行った。
それでも、父は、その後も母と連絡を取っていて、母と私のことを気にかけていた……
言い方は悪いけど、母は父の優しさにつけ込んだと思う。自分から父を捨てておいて、いざ不倫相手が亡くなると、悪びれることもなく、父に助けを求めた。
心を病んでいたことを差し引いても、身勝手が過ぎる。
それでも、父は、母を突き放そうともせずに、あの日も母の求めに応じてア パートにやってきた。
10年ぶりに再会したというのに、母は自分を殺してくれと父に懇願する。そして、母は実際に父の腕の中で命を絶った。
母が亡くなって以来、父は一体どんな思いで18年もの時を過ごしてきたんだろう?
私には想像もできない。
18年の時を経て、今、目の前で涙を流している父の望みは、娘の私に会うこと。
自分で言うのもなんだけど、そういうものなのかも知れない。
ただ、正直なところ、私にとっては、今更感がなくもない。
母が亡くなって孤児になった私は、児童養護施設で育った。
辛いことも少なくなかったけど、楽しいこともそれなりにあった。
両親がいない現実を受け入れることができるようになった。
それなのに、今更、父親が現れた。
私はこれからどう向き合えばいいんだろう?
……そんなにかしこまって考える必要も無いか。
どう転んだって、私の父は私の父。
この関係が変わることはない。
時の流れに身を委ねよう……
「お父さん、顔を上げて。
私のお父さんなんだよね。
私のお父さんって、どんな人なんだろうと子供の頃から何度も思いを馳せたわ。
お母さんはお父さんのことを話したがらなかったから、余計に気になっていた。
ようやく会えたんだね。
お父さん、由紀子です。
よろしく。」
「父の宇田川道隆です。」
「そうだ、お父さんの苗字って、宇田川だったよね。」
「うん、知っていた?」
「前に戸籍を取った時に知った。
そう言えば、どうして本名じゃなくて、葛城蒼司なんて偽名を使ったの?」
「18年ぶり会う由紀子がどんな反応をするのか想像できなくて、他人のふりをしてしまった。
ゴメン……」
「ううん、今更気にしていないわ……
葛城蒼司って、知人の名前なの?」
「単なる思い付きだけど、堅そうな名前がいいかなって思って。」
「そうなんだ。
宇田川道隆も十分お堅い名前だけど……
でも、さっきは、お互いに何か変な挨拶だったね。」
「うん、慣れていないから。」
父と私は、お見合いでもしているかのように、お互い、ぎこちなく笑った。
「…………。」
「…………。」
私は沈黙に耐えられずに会話を続けた。
「ぎこちない親子関係もいいよね。なんとなく……
……そう言えば、お父さんは占いに来たんだから、占っちゃおうかな。
はい、こっちを見て。
さあ、これからの人生を具体的に想像して。」
「うん、分かった。お願いします。」
私はお父さんの頭の辺りに意識を集中しようとしたけど、涙でかすんでよく見えなかった。
あれっ?
私も知らないうちに涙をこぼしていた。感情が高ぶっている。
しっかり見えるのか自信がない。
そんな時、ふと不安がよぎった。
勢いに任せて占うなんて言っちゃったけど、お父さんの光彩が闇のままだったらどうしよう?
娘の前で涙を流す人が闇色になる訳がないと当たり前に思ったけど、なんの確証もない。
闇が見えても、それを隠したり、嘘をつくことは出来ない。私のポリシーに反する。
恐る恐る、お父さんを観察した。
お父さんは静かに目をつぶっている。
しばらくして、お父さんの頭の周りの空気が蜃気楼のように揺らめき始めた。
しかしながら、それ以上の変化は起きなかった。
ホッとしたと言うか、ガッカリしたと言うか、色づくことも無く、無色のまま。
ここからが始まり、ここからがスタート、という意味だと思う。
今までの人生がリセットされて、これからの生き方で色が付いていく、そういうこと。
「お父さん、目を開けていいよ。」
「どうだい?」
「私は、意識を集中すると、人の運命が光彩で見えるの。不思議でしょ?
最初にお父さんを見た時には無色で色が付いていなかった。
そして、今も無色。
でも、がっかりしないで。
前は漠然としすぎて無色だったけど、今は過去をリセットした状態。
スタート地点に立っている状態なの。
前にお父さんが言っていたけど、この出会いが転機になるみたい。
これからのお父さんの生き方次第だと思う。良くも悪くも。」
「なんだかプレッシャーだなあ。」
「そんなに深く考えないで。あくまでも参考程度にしておいて。
自分の生き方次第で運命は変わっていくから。」
「うん、分かった。ありがとう。
そう言えば、疑問に思っていたことがあるんだけど……
占い師の人は自分の運命も占えるの?」
「私は、占いというより、その人の光彩を分析するだけ。
でも、残念ながら自分の光彩は見えないの。
神様はそんなに都合のいい能力を与えてはくれないのよ、たぶん。」
「ふーん、そういうものなんだ。」
「立ち入ったことを聞くけど、お父さんは、これからどうするつもり?
向こうには家族がいるの?」
「家族はいない。
あの日のお母さんの姿が記憶から消えることは無いんだ。
とてもじゃないけど、他の人と一緒になる気持ちにはならなかった。」
「お母さんと離婚した後は再婚しようと思わなかったの?」
「そうだね。再婚したいと思った人もいたけど、結局、独りのまま。
親権が無いといっても、由紀子が自分の子供であることには変わりがない。
それを考えると踏み切れなかった。」
「そうなんだ。」
「でも、これで良かったと思うよ。こうして由紀子に会うことができたし。
由紀子には家族がいるの?」
「私も独り身のまま。
あっという間にアラサーになったって感じ。」
「そうか。
いい人ができるといいな。」
「そうね、ありがとう。」
「今の仕事、これからも続けるのかい?」
「うん。せっかく与えられた能力だし、性格的にも向いていると思うの。
いろいろな人の話を聞いて、時にはその人が歩んできた人生を追体験したりする。
そして、私のアドバイスが少しでもその人の生き方にプラスになれば、アドバイザー冥利に尽きるってとこかな。」
「YUKI先生は人気があるもんな。わが娘ながら大したものだよ。」
「そんなことないわよ。
でも、少しでも相談に来た人の手助けになればと思って仕事をしている。」
「いやいや、本当に立派なものだ。自慢の娘だよ。」
「ありがとう。
お父さんは向こうへ帰るの?」
「うん?
そうだな、身軽な独り身だけど、日本には居場所がないし、警察に捕まるかもしれない。
何より由紀子にこれ以上迷惑をかけたくない。」
「別に迷惑じゃないけど。なんか複雑な状況だね。」
「でも、由紀子に何かあったり、まあ、ないとは思うけど、由紀子が父さんを必要とする時には、すぐに飛んでくるよ。」
「スーパーマンみたい。」
「こっちは飛行機だけど……
そろそろ空港に行かなきゃ。」
「あ、もう帰るの?」
「うん、バタバタしちゃって、すまないな。」
「大丈夫。気を付けてね。」
「また、連絡させてもらうよ。
来る前はすごく迷っていたんだけど、日本に来てよかった。
由紀子に会えて本当によかった。」
「私もお父さんに会えてよかった。連絡、待ってるね。
……じゃあ、外まで送るわ。」
「ありがとう。」
「あっ、ちょっと先に行ってて。すぐに追い付くから。」
ラウーラさんに待機してもらっていたことを忘れるところだった。
ラウーラさんの部屋に入ると、ラウーラさんは何やら本を読んでいた。
「ごめんなさい、ラウーラさん。連絡が遅れてしまって。」
私はラウーラさんに頭を下げた。
「ううん、全然。平穏そうな雰囲気みたいだから安心していたわ。
大丈夫なんでしょ?」
「はい、問題ありません。
ちょっとだけ急いでいるので、後ほど詳しくお話します。」
「そう、楽しみにしているわね。」
私は父の後を追って階段を降りた。
先を行く父の背中は、ほんの少しだけ朱色に染まっていた。
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