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「初デートで映画って無しじゃない」
「わかる! 初めましてからの二時間無言で映画見るってやばいよね。中学生ならわからなくもないけれど」
人が少なくなるこの時間、アルバイトで入っている大学生の女の子二人の話し声がたまたま耳に入った。一回りも年の離れている子たちの声は怖いもの知らずで自信に満ち溢れている。
「菊池さんはどう思いますか?」
ちょうど接客し終わったところで話を振られた。私は少し考えるそぶりをしてから、
「そうねえ。初めは食事とかのほうがいいかな」
と、無難な答えを返す。
「ていうか菊池さん。あれからどうですか。例の商社マンさん」
二人はにやにやしながら有希の反応を待っている。有希は先日、彼女らに半ば強引にマッチングアプリに登録させられた。「菊池さん綺麗なのにもったいないよ」と素早くスマホを操る彼女たちを前に有希は苦笑するしかなかった。
大人になって出会う人は大概すでに関係性ができている。年を取るにつれて恋とか付き合うことに関して鈍感なふりをして臆病になる。初めから出来上がっている関係性を壊してまで踏み込む勇気は、三十路の有希にはすでになかった。
そんな有希を見かねた彼女たちはあらゆるプロフィールにさんざんな酷評をつけながら一人の男性を紹介してくれたのだ。実は今週末、彼からデートの誘いがあった。
そのことを彼女たちに告げると、目をときめかせて有希の手を取る。
「順調じゃないですか。もちろん行きますよね?」
答えに窮していると大きくため息をついて有希のスマホを奪い取る。雪が止める間もなく彼女たちは彼に承諾の連絡を打ってからスマホを有希に返した。
「出会いはつかみにいかないと降ってなんか来ないですよ。それともほかに気になる人いるんですか」
どうやり過ごそうかとしていると、次の業務の時間になっていることに気づいた。
「私やってくるね」と言うと、彼女たちは特に気に留める様子もなく別の話題で盛り上がる。気になる人というほどでもないが、ふとしたときに頭に浮かぶ人がいる。何年も会っていないのに、その人と過ごした月日はすごく短かったのにとても深く有希の心に刻まれていた。
降りた髪を耳にかけて二回ほど咳払いをする。それからマイクを持って顔を上げた。
「ただいまより、二十時十五分上映の……」
それから有希は自分がきちんとアナウンスしていたか覚えていない。広いロビーにまばらに立つ客の中で、有希の目は自然に一人の男を見つけた。スーツを着ているだけではない逞しさを感じられた。頬がしゅっとしているからか随分大人に見える。でも、あの眼差しはかつての想い人の翼だと有希は確信できた。
翼は自分の手にした券を一度見て有希に近づいてくる。胸のあたりが急にせわしなくなり唾がよく呑み込めない。咄嗟に顔を下げた有希に翼が券を見せる。映画のタイトルは二人で見るはずで叶えられなかった映画。
有希は翼からの券を受け取り半分もぎ取る。そしてもう半分を翼に返した。
「三番スクリーンになります。ごゆっくりお楽しみください」
ありがとうございます、と知らない人のような低音でもそこに合わせられる優しい声に心が揺さぶられる。翼は有希の隣を通り過ぎてそのまま部屋の中へ行ってしまった。
呆然とする有希は翼の次に券を見せる老夫婦に気づいてすぐいつものように接客をした。
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