チケット1/6

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 映画は二時間三分。それまで翼は三番スクリーンの部屋にいる。  すぐそこに翼がいると思うだけで恥ずかしいくらいに鼓動が速くなる。翼はどうしてこの映画をいまさら見ようと思ったのだろう。もしかしたら翼はまだ自分のことを、と考えたがそれはすぐに否定した。翼はきっと嫌っている。あの時からずっと。そしてもう菊池有希という人間のことは忘れているはずだ。  謝れるのであれば何度でも言いたい。有希は仕事をしながら当時のことを思い返していた。  当日、十五歳の有希は鏡の前で目をつぶっていた。暗闇の中、周りに響く軽やかなリズムに心を躍らせていた。 「今日はデートかしら」  はっと目を開けるとハサミを持った女性の顔があった。有希が物心ついてから髪を切るときは彼女にお願いしている。  それよりもなぜわかったのだろう。どうしてと聞けば彼女は有希の髪をとかしながら、 「だって有希ちゃんが前に切ったのって二週間も経っていないし、そんな嬉しそうな顔をしていたら誰でも気づくわよ」  言われて胸の内だけでは収まらない熱が顔にまで出る。でも今動けば自分の頭から熱よりも赤い血潮が飛ぶので顔を隠すこともできない。ただ熱くなる有希に彼女とご主人が嬉しそうにしている。 「お父さんには内緒にしておくわね」  ドライヤーで軽く乾かした頭に彼女は手を置いて編み物をするように髪を指に絡めていく。途端に瑞々しく甘酸っぱい香りが有希の頭部をまとう。 「檸檬の香り」  彼女は軽く頷いてさらに小瓶のスプレーを二回吹きかけた。すると、爽やかだった香りが濃厚な熟した果実の香りに変わった。 「彼に大人なところも見せないとね」  有希は恥ずかしさと嬉しさで自然と口角が上がる。翼とは十一時に駅で会う約束になっている。有希は一人誓っていた。今日、翼に自分の気持ちを伝えると。翼とは違うクラスだし関わる時間は少ないのだが、彼といると緊張して、それが止まってほしく無くて、幸福に感じる。翼がデートに誘ってきたってことは、と何度も期待したが有希はすぐにかき消した。期待以上なんて滅多に起こらない。傷つくのはもちろん避けたいが、翼に気持ちを伝えないほうがよっぽど傷が深いことに気づいたのだ。  立ち上がった有希の服についた髪の毛を彼女が箒で掃いてくれる。二人でデートや翼について談笑していたところ、彼女のご主人が受話器を持ったまま有希を呼ぶ。有希はすぐさま美容室を飛び出した。  病院に着いてからも有希の耳元で救急車のサイレンが鳴り響く。消毒の独特な匂いは普段訪れないからこそやけに気になる。隣に座る母は頭を抱えたまま動かない。わずかに動く丸まった背中で確認できるものの、まるで抜け殻のようだ。  父が倒れたと聞いて病院に駆けつけてからすでに三時間が経過している。翼との約束の時間はとうに過ぎている。行きたいのはもちろんだが、父が手術室から出てこず、母がこの状況ではここを離れるわけにはいかない。有希も翼も携帯電話は持っていないので連絡のしようもない。  薄暗い廊下で有希は自分が期待したことを恨んだ。父の突然の出来事は自分が翼に対して期待したせいだと。
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