あの日にもどって

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「海、行かないか?」 「急にどうしたのよ?」 「まあ、な。ちょうど今くらいの時季だったからな」 「いいわよ。手間をかけさせるけど、あなたさえよければ」 「手間だなんて思ったことはないさ。さあ、行こう」 「着いたぞ」 「景色がきれいね。それに風が心地よくて」 「それだけか?」 「……? ええ、他に何かあるかしら? あ、向こうに島があるわね」 「そうか、憶えてないか……」 「ごめんなさい」 「謝らなきゃならないのはオレのほうさ。もっと早く、ここに来るべきだったんだ。ここはな……ここは――」 「あなた?」 「オレたちが初めて……その、デートした場所なんだ。あの端から端まで追いかけっこしてさ」 「そうなの。でも車椅子じゃ走れないわね」 「事故じゃしかたないよ。お前が生きているだけで儲けものだ。それにこれも悪くないもんだ。お前の背中を押して歩いている感覚がね」 「その事故のことも、よく憶えてないのよ」 「忘れてるほうがいい。そういうのは」 「でも大切なことまで忘れるのはイヤなの。楽しかったことも苦しかったことも、全部憶えておきたいのに」 「いつかオレのことも忘れちまうのかな……」 「そんなのイヤよ。いいえ、あなたのことだけは絶対に忘れないわ」 「そうだな、医学は日々進歩してる。いつかその病だって完治できる日がくるかもしれないもんな」 「私の自覚があるうちにそうなってほしいわ」 「それで、な……ここに連れてきたのには、ちゃんと理由があるんだ」 「どうしたの?」 「さっきの話じゃないが、オレたちも気がつきゃこんな歳だ。いつどうなってもおかしくない」 「不吉なこと言わないでよ」 「でも大事なことなんだ。どっちが先に逝ったとしても――絶対に後悔するから。だから今日にした」 「いったい何を……?」 「オレたちさ、いつの間にか結婚してたろ? いつの間にか夫婦になってて、子が産まれて、それから……」 「そうだったかしら?」 「そうさ。オレのせいだ。あの時は照れくさくてお前にきちんと気持ちを伝えなかった。男は背中で語るもの――なんて古い感覚だったのかもしれないな」 「あなたって不器用だものね。でも、そういうところ、私は好きよ」 「お前がそう言ってくれるから甘えてたんだ。でも今日、オレたちはここに来た。忘れものを取りにな」 「忘れもの?」 「あの時、し忘れていたプロポーズをしたいと思う」 「プロポーズですって? でも、それは……」 「いいんだ! 今回は甘やかさないでくれ! 決心がにぶってしまうだろ」 「……分かったわ」 「すまんな。婚約指輪までは用意してないんだが……うん、よし……言うぞ!」 「ふふ、いつでもいいわよ」 「お前を愛してる。これから先、どんなことがあっても絶対にお前を守る。幸せにしてみせる。だから……オレと結婚してくれ!」 「つい最近も結婚記念日をお祝いしたばかりなのに、プロポーズなんておかしな話ね」 「ちゃ、茶化すなよ。それで……返事は……?」 「そんなの、”イエス”に決まってるじゃない」 「よし、やったぞ!」 「あらあら、子どもみたいにはしゃいじゃって」 「当たり前だろ。これがどれだけ緊張するか……!」 「そうよね、きっとすごく緊張したのよね」 「だからそう言って――」  知ってるわ。  だって私、思い出したもの。  ずっと昔、この海であなたに告白された日のこと。  あなた、顔を真っ赤にしてさっきと同じ言葉でプロポーズしてくれたのよ?  よっぽど緊張してたのね。  その時のこと、あなたはすっかり忘れてるみたいだけど……。  ううん、忘れていたのは私も同じね――。  だからこれは私たちふたりの忘れもの。  初めてで、二回目の、愛の告白――。    終
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