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ストレイ・ドッグス
読書灯の小さな光の下、額をこつんと床にあてた。
木目模様のフローリングは、先週よりわずかにぬるくなっていた。今年の梅雨は長引きそうだと天気予報は言っていたけれど、見えないところで季節は夏になろうとしているらしい。どうりで裸でいても平気になったはずだと思っていると、頭上から静かな男の声が落ちてくる。
「ほらミサキ、ご挨拶は?」
同時に跪く頭を素足で踏まれた。撫でるように動かされると、しゃりしゃりと髪の擦れる音がやたらと大きく頭に響いた。まるで頭蓋骨のなかが空っぽになったみたいに感じながら、いつもと同じ始めの挨拶を口にする。
「……わたしはご主人様の犬で、ペットで、愛玩動物です」
一言一句すべて彼から教え込まれた台詞。そこにわたし由来の言葉は一つも含まれていないはずなのに、どうしてだか吐き出す声は徐々にかすれて揃えた膝頭を湿らせてゆく。
「――だからどうぞわたしを可愛がって、心ゆくまでわたしでお楽しみください」
言い終える頃には土下座の内側の酸素を使い尽くしてしまったようで、大きく息を吸い込んでもなお心臓は脈を乱したままだった。
「よく言えたね。えらいよ。最初の頃はあんなにぎこちなかったのに、すっかり上手に言えるようになったね」
聞こえてきた声は路地裏の空気みたいにひんやりしていて、けれど確かに慈しむような音を持っていた。世界中で私以外にまだ誰も聴いたことのない、特別な音。
ごきげんそうに揺れる足を伝って、彼のたぎる欲情が頭のなかに送り込まれてくる。足をどかされると、さながら熱せられた気球みたいに体がふわりと宙に舞っていきそうな心地がした。おもりを失った頭を上げれば、彼はわたしの首筋に手を伸ばしてそこに巻かれた革の首輪に触れた。
「これもだいぶ違和感がなくなったよね。肌になじんだ証拠かな。よく似合ってるよ」
ダブルベッドに腰掛けた彼は愛でるように言いながら、まっすぐにわたしだけを見ていた。そこにいつも周囲に振りまいている愛想笑いは欠片もなく、まるで心の深部を映したような昏く静謐な表情をしている。そのまなざしは何か勘違いしてしまいそうに甘く、けれどぐにゃりと屈折した光をたたえていた。
興奮しているのだ。女を虐げて。いい趣味してる――と心の内でこぼしながら、それでも惜しみなく注がれる視線から顔を背けることはできなかった。
どんなに耳を塞ぎたいことを言われても、返せる言葉は何一つとしてなかった。わたしは自分の足でこの部屋に来て、みずから服を脱ぎ首輪を着けた。粟立つ肌にはすでに汗がにじみ、踏みつけられた自尊心は脚に纏わりついた時の下着と同じようにくしゃくしゃと丸まったまま元に戻ることを放棄してしまっている。
正直に言えば、彼に触れて欲しくてたまらない。もっと詰ってくれていい。もっともっとひどいことをして、早くわたしを傷つけて――。
「ミサキ。膝立ちで待て」
与えられた指示にわたしは嬉々として、けれどそれが表に溢れてしまわないようのろのろと腰を持ち上げた。
ナイトテーブルの引き出しから彼が取り出したのは、小ぶりな遊び道具だった。リモコンで遠隔操作のできるローター。以前夜のお散歩で使われた時、何度もわたしを打ち負かしたものだ。きっと彼も覚えているのだろう。だからそれを選んだのだ。
彼はU字をしたおもちゃの一端を、わたしの下半身に潜り込ませた。そこは自分でも知らないうちに綻びを広げていたらしく、丸みを帯びた先端をなすりつけられればぬるりと滑り、たいした抵抗もみせないままシリコンの塊を飲み込んでいった。
根元のくびれた部分までなかに収まると、U字のもう一端が茂みに隠れた小さな芽にぴたりと密着した。
反射的に下腹をへこませ、軽く距離を取ろうとしたところを彼に見つかる。
再度ナイトテーブルに向かった手は世話が焼けるとでも言うように黒いガムテープを取ると、まるでバツ印をつけるかのようにわたしのそこに二本線を貼ってローターが動かないように固定した。
次の展開を想像し、小刻みに腿を震わせているわたしに彼が言う。
「さあ、どうして欲しい?」
「……スイッチを入れてください」
「このままでもじゅうぶん良さそうに見えるけど」
「でも、このままだと……もどかしいから」
「いけないから、の間違いだろ」
わたしがきゅっと唇を噛むと、彼は口元だけで意地悪く笑った。
「足でも舐めてろ」
眼前につま先を突きつけられる。きっと本心を答えなかったせいだ。その仕打ちにさっそく視界が潤むのを感じながら、わたしは彼の膝にのせられた素足に手を伸ばした。
捧げ持つように両手を添え、親指に唇を落とした。そのまま口に含んで爪の輪郭を舐めると、仕込まれたローターが褒美とばかりに一瞬震えてすぐにまた沈黙した。
口内にちょうどよく収まるごつごつとした親指を吸い、指の股にまで舌を這わせる。薬指にやわく歯を立てた瞬間、内に埋もれた部分が連続して動き始めた。ちらりと上目で見れば彼は双眸を細めて続きを促し、小指にキスを落とすと待ちきれずにふくれていた芽にも振動を与えてくれた。
ビィィーという耳障りな音も、彼の欲情のほどと比例しているのだと思えばとても好ましいものに感じられた。指一本触れられなくても、一緒に快楽を貪っているのが分かる。じゅぶじゅぶと猥らな音を立てて舐めしゃぶれば、震えはまた一段と強くなった。
腰を引きくねらせても、時間稼ぎにすらならなかった。快感に食いつかれた体は理性を振り切って、勝手に高みに向けて駆け上っていく。
「ごめんなさい、止めてください、もう……っ!」
「いくなよ」
叱りつけるように言いながら、それでも彼はローターを止めてはくれなかった。むしろわたしに見せつけるようにして、再びリモコンのスイッチを押す。
このまま許可もなく果てればどうなるか――。想像したのがいけなかった。
「あ、――ッ!」
「……だめじゃないか。許しもなくいったりしたら」
大丈夫、怒ってなんかいないよ、とでも言いだしそうな慈愛に満ちた声音で彼は続ける。
「おまえはおれの犬なんだろ?」
わたしはいま彼の犬でペットで愛玩動物で――彼のもの。絶頂の余波に震えていた下腹が、再びもの欲しそうにきゅうっと疼いた。
【続きはどうぞ本編でお楽しみください】
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