第三話 地下への入り口と手強い番人

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第三話 地下への入り口と手強い番人

 タリア半島の付け根付近位置するネツィアは、リドリア海に接する潟に作られた街である。  街の規模こそやや小さめながら、立地の重要さと成り立ちの特殊さ、文化の華やかさから古くから様々な別称で呼び親しまれてきた。  海の都、商都、リドリアの真珠、ルコの金獅子等この街を言い表す表現は数有れど、外部の人間にも街の住人にも最も好んで使われる名といえばやはり水網都市であろう。  街の中央を通る大運河や路地のように入り組んだ水路、そして街の下に巡らされた地下水路にその名の由来を見て取ることができる。  もちろんこれらはネツィアの街の自慢の名所であり、近くを通る住人に話を振れば喜んでその歴史や水路にまつわる物語を聞かせてもらえることだろう。恋物語や人情話、荒唐無稽な小噺まで話題は尽きることがない。  また、地下水路ならば中を見学できたりする場所もある。街のすぐ下に広がる光景は、特に子供たちに人気が高く学校の校外学習にも使われるほどである。  そんな、ある意味住人たちにとっても丁度良い暇潰し場でもある地下水路だが、万事の例に漏れず時には例外という事態が発生する場合もある。例えば、今この時のように。  あまり観光客の来ない町外れの地下水路の入り口近くにある管理事務所のひとつ。  普段なら近所の老人たちの休憩場所として利用されることも多く、非常に高い平均年齢を誇るこの場所であるが今日はいささかいつもと違う様相を呈していた。  正規の職員である女性と臨時職員の服装をした青年は比較的よく見掛ける組み合わせであるが、その二人に加えて通常時より平均年齢を引き下げる要素である来客が四人訪れていた。言うまでもなくファル達一行である。  油断するとすぐ明後日の方向に足を向けるファルを引っ張って来たわけだが、いつも通りのんびりとしたファルに対して何処となく疲労を滲ませたラズ達の様子に、彼らの苦労がうかがえる。  ともあれせっかく到着したのだからとファルが一歩前に出ると、それに応じるかのように職員の女性が爽やかな笑みを浮かべて、受付はあちらとばかりに臨時職員の青年を指差して事務所奥の給湯室に向かう。  流れるようなその動作に、面倒臭いから逃げたな、と内心で意見を一致させる五人である。  まぁ、良いかとファルが肩を竦めて青年に向き直った。 「あのさ、クイ兄ちゃん、地下水路から通じている第四蒸気動力炉って確か今年整備時期で稼働していないから、結構近くまで近寄らせてくれるんだったよね。ここの入り口から近かったはずだから、見学させてほしいんだけどな」 「駄目」  にこやかに要望を伝えるファルに対し、クイと呼ばれた青年がにべもなく断る。  とりつく島もないと言う表現の見本のようなその様子に思わずファルがたじろいだ。  事務所の中に数瞬の沈黙が流れる。 「蒸気動力炉の見学が無理なら工業地区の方にあるメインダクトでも良いんだけどね。クイ兄ちゃんが無理でも、ラズたちと見に行くから心配しなくても大丈夫だよ」 「却下」  咳払いをして気を取り直すと、若干方向性を変えて再度訴えてみるが冷淡な態度は変わることもない。  まるで聞く耳を持とうとしない兄の様子に、いつもはのんびりとした性格を強調するように弧を描く相棒の眉がひくりと引き吊ったのをラズは見逃さなかった。  どうやら、長丁場になりそうだなと微かな諦めを滲ませた溜め息をそっと吐いた。  心暖まるとはまるでかけ離れた最初の会話から暫し。 「何をどう言われ様が駄目なものは駄目なんだっ」 「だから、何で駄目なのか理由を聞きたいんだって」  いつもは比較的から静かな管理事務所から響いた大きな声に、建物の前を通りかかった近所の住民達が、思わず足を止めて顔を見合わせる。  緊迫した様子はないものの、さりとて穏やかな様子でもない声音に何事かと幾人かが窓から中を伺うも、小柄な少年と職員の制服に身を包んだ青年が対峙する様に、一同納得の表情を浮かべる。  名物と言うほどではないものの、時折見掛ける光景に問題無しと結論付けるとそれぞれの暮らしへと戻って行く。  世はなべて事もなしとでも言いたげな大人の対応であるが、そう簡単にいかないのは巻き込まれた側である。  飾り気のまるでないその室内で繰り返される不毛な問答に、青年の同僚の女性と少年の仲間の子供達が呆れた様子でお茶を飲んでいた。 「意地が悪いぞ、クイ兄ちゃん。何も無理難題を吹っ掛けているわけじゃなし、少し位頼みを聞いてくれたっていいじゃないか」  頬を膨らませて大きく腕を振りながら文句を言ってくるファルに、クイと呼ばれた青年が、あのなぁと額を抑えて嘆息する。 「何処が無理難題じゃないんだ。充分無茶を言っているだろう。何でもかんでも自分基準で物事を測るなといつも言ってるだろうが」  妙に実感のこもったぼやきをもらすと、きっと鋭い視線を傍観組みへと向ける。 「ちょっとフィオ先輩、のんびりとお茶なんか飲んでないで、仕事するかこいつを説得するかしてくださいよ」  如何にも不機嫌そうな表情のファルを指差し同僚の女性にそう訴える青年だが、返ってきたのは「でもねぇ」という真面目さとはほど遠いなんとも頼りにならない返事である。 「仕事するには賑やかで気が散るし、仲裁するには兄弟の会話に割り込むのも、悪い気がしたのよね」 「そんな気は遣ってもらわなくて結構ですから、せめて仕事している振りくらいはしてくださいよ」  握りこぶしを作りつつ重ねて強く訴えるが、先輩事務員は後輩の頼みなど何処吹く風といった様子でのんびりと茶を啜る。  先輩の助力があてにならないならば、とファルの友人三人組に視線を転じるが、 「こっちに振っても無駄ですからね」 「クイさんに説得できないのに、僕達が出来る筈ないだろう」  三人の内二人があっさりと協力拒否。残る一人は視線を合わせないように明後日の方を向いていた。 「揃いも揃って薄情者どもめ」  眉間にしわに寄せて唸るが、そんな事で恐れ入るような細い神経の持ち主はこの場にいない。  それ以上無駄な文句を言うのを堪えて向きを戻すと、もうひと押しとでもおもったのか期待を込めた表情で自分を見上げる弟の姿が視界に入る。 「あのさ」 「何をどう言おうが、駄目なものは駄目だ」  変わらず譲歩の余地もない兄の態度に、一変して思い切り不機嫌そうな表情を浮かべる。  少しの間を置いて再度口を開きかけるが、 「でもさクイ兄、ファルの文句も最もな点はあるぞ?」  それより一瞬早く頬杖をついたままのラズが口をはさむ。  相棒の口添えにファルがぱっと表情を明るくする。 「確かに、急に入場禁止って言われても納得はいかないな」  ラズに続いてウィスもファルを援護するような台詞を口にするが、これは特に助け舟が目的というわけではなく、単に進展のない会話に飽きがきたからであろう。  その点は、それは女性人二人も同じらしい。 「実際のところ、入場を制限しろなんて指示は上から来てないものね」 「ちゃんとした根拠のある理由なら、ファルもあきらめるでしょ?」  面倒くさいからさっさと終わらせようという魂胆が丸見えとは言え、傍観組が実質的にファルの援護に回ったことにクイが顔をしかめた。  多少一方的に過ぎるのは青年とて自覚しているが、ここで甘い顔をしてしまえば後に自分が面倒なことになるという彼なりの事情があるのだ。弟はかわいいが、それとこれとは話が別だ。 「簡単に言ってくれますがね、ファルが見た目より頑固なのは、先輩も知っているでしょう?」 「そうね、なんと言ってもターク家の末弟くんだものね」  溜息混じりの後輩の言葉に、フィオが小さく笑いながら同意する。が、微妙な言い回しに兄弟が何か言いた気な様子で顔を見合わせた。  他の兄弟は確かに癖が強い性格をしているが、自分だけはごく普通だと主張したいらしい。  自覚かないこと甚だしいが、フィオの言い様に異論があるのは当人達だけらしく、他の三人は彼女に同意見のようで揃って大きく頷いた。 「本当、似たもの兄弟だからなぁ」  家が隣同士の上一番下のファルと親友ということで他の兄弟とも親しいラズが実感を込めて呟くが、ウィスとセリエが同類を見るような視線を向けているのには気づかない。そして、自分達も大差なしと見られていることには気づいていない。自分のこととなると自覚が足らないのは、皆同じらしい。 「類は友を呼ぶって言うのは、こう言う事を言うのね」  小さく笑いながら呟くフィオにクイが訝しげな視線を向けるが、何でもないと首を振った。 「とにかく、ちゃんとした理由があるなら、ファルもあきらめるだろ?」 「うん、まぁ、納得のいく理由があるなら、他の方法を探す」  相棒の念押しに、ファルが微妙な表現で確答を避ける。  見た目によらず手ごわい少年にフィオが苦笑を漏らすが、口に出して何かを言うことはなく、視線で後輩に先を続けるように促す。 「リー姉の言い付けなんだよ。暫らくファルを大人しくさせておくようにって」  先輩に促され子供達に一斉に視線を向けられて、クイが何かを諦めたように大きく肩を落として白状した。 「何で?」  ファルが不思議そうな表情で首を傾げるが、それも無理はない。とりあえず現時点では、姉に止められるような問題は起こしていない。 「クイ兄、ぼく何かした?」 「心当たりが多すぎるから、おれに聞くな」  眉を寄せて見上げてくる弟に、兄が両手で顔の位置を変えながらそっけなく返す。厄介事と友達付き合いをする弟の騒動をすべて記憶していたら、まず間違いなく胃に穴があくだろう。できる限り精神的負担を軽くしたいと言うのは、当然といえば当然だ。 「うーん、困ったな」  思わぬ障害にファルが口元に手を当て考え込むが、怒られても構わないなら強行しては? とは誰も提案しない。自分からよりややこしいほうへと事態を導くような物好きは、この場ではファル以外にはいないようである。 「んー、まぁ、リー姉ちゃんの言い付けなら仕方ないか」  少しの思考ののち、右の頬をかきながら溜め息混じりに呟く。眉を八の字に下げた表情はあまり納得した様子には見えないが、この少年にしては珍しい消極的な決断に、ウィスとセリエが意外そうに顔を見合わせる。  それに対してある程度予想していたラズは「それが正解だな」と軽く頷いた。 「たまには言うことを聞いておかないと、怒り出したときに厄介だからな、リー姉は」 「やっぱりラズもそう思うか?」  相棒の同意に、再度大きく息を吐く。残念だったな、と明るい笑みを向ける兄に弟が鼻を鳴らしてそっぽを向いた。 「それで、ファル、これからどうするの?」 「もちろん、別の方法を探すよ」  セリエの問いにあっけらかんと答えるファルに、そうだろうなとその場の一同が同時に肩をすくめた。  この少年がこれ位の障害で一度決めたことを諦めるなら、誰も苦労はしないであろう。 「ラズ、監督不足だぞ」 「何言ってるんだよ、クイ兄達の教育がいけないんだろ」  兄と相棒が傍らで何やら責任の押し付け合いをしているが、当の本人は知らん顔で腕を組んで天井をにらみながら思案する。 「あのさ、クイ兄ちゃん。今日のところは諦めるかわりに、一つお願いがあるんだけどな?」  何を思いついたか一転して表情を明るくするファルに、その場にいた一同が思わず身を引く。 「今じゃなくて、もう少し先の話だけどね」 「ちょっと待て、おれは何も」 「大丈夫、大した事じゃないから。もちろんラズ達も協力してくれるよな? 友達だもんな」  実に楽しげな笑顔で問答無用に約束を取り付けると、呆気に取られている兄と友人達をよそに、それじゃぁと暇を告げてファルが管理事務所の扉をくぐる。  取り残された者達の間に沈黙が流れること数瞬。いち早く我に返った子供達が外に出ると、ファルに違いないであろう小さな後姿がすぐ近くの角を曲がった。 「おいこら、ファル、ちょっと待て。さっきの言葉は無効だ」 「決定したことだよ。もう手遅れだ」  遠ざかっていく足音とにぎやかな声に肩を落として大きく溜め息をついた青年が、先輩事務員に遠慮なく笑われたのは、当然といえば当然のことだった。
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