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「…よし。漸く書けた。」
北山二丁目のノワール北山の2階角部屋。
棗藤次、絢音と記されたマンションの一室で、藤次は墨まみれの顔を拭いながら、満足げに手の中の紙を見つめていると、オートロックのインターフォンが鳴ったので応対に出ると、行きつけの和食屋「巽屋(たつみや)」の追い回し、健太、順平、寛太がいた。
「ああ。頼んどった仕出しか…ちょおまって、今開ける。」
そうして3人を招き入れ、仕出し弁当を受け取っていると、なにやら布に覆われた…瀟酒な柄の大皿に盛られた料理が一つ。
「なんねこれ。弁当以外、頼んだ覚えないで?」
不思議がる藤次に、健太は白い歯を見せて笑う。
「親方と女将さんがどうしても持ってけて。鯛と、旬の魚介の盛り合わせです。」
言って布を取ると、尾頭付きの鯛の造りの周りにこれでもかと盛り付けられた旬の魚介と、野菜で作られた花々。
「おおきに。幾らや?あの業突く張りやから、かなりの高額、ふっかけてきよったんやろ?」
そういって財布を取り出す藤次に、ニキビの跡が若々しい…まだ10代の新米順平が慌てる。
「阿保言わんで下さい!!そんなん貰って帰ったら、僕ら店の敷居跨がせてもらえまへん!!」
「せやけどお前、これどう見ても…」
戸惑う藤次に、一番年嵩のある寛太が笑う。
「親方と女将さんから、弁当の金も含めて、一銭たりとも貰ってくるなと、キツう言われて来ました。せやから、僕らの顔立てるためにも、それは納めてもらいまへんか?藤次はん。」
「お前ら…」
困り顔の藤次に、3人は笑って声を揃える。
「お子さん誕生、おめでとうございます。」
*
そうして身支度をしていると、またもインターフォンが鳴ったので応対に出ると、今度は八百屋の善吉、豆腐屋の幸助、花屋の拓実がやってくる。
「ああ…いつも内方が、お世話になってます。」
「巽屋の旦那から話聞いて、いてもたってもおれんなって、押しかけてもうた!絢音ちゃんは?」
「いや…まだ、これから、迎えに行くところで…」
「ありゃりゃ。そりゃあ、早合点やったな!ほんならコレ!ご祝儀!!絢音ちゃんの好物の苺!!市場でいっとう上等な奴、仕入れてきた!!さくらもも!!食わせたって!」
「ええっ!!」
「ウチは豆腐屋やけど、子持ちの先輩として、オーガニックコットンのオムツケーキ!!何枚あっても邪魔になるもんやないし!!」
「ちょっ!!」
受け取れ受け取ってと、次々と耳を疑う高級品をぐいぐい腕に押し込まれて戸惑う藤次に、最後の一人…絢音が懇意にしていた花屋のイケメン店員拓実と向き合う。
「いつもご贔屓に。花屋の…大橋です。」
「ああ。話は聞いてます。なんや、色々オマケしてくれたり、荷物運んでもろたり、世話になってるみたいで…」
「ええ。あない小さい身体で、旦那さんおらへん家1人で守ったはる思うたら、なんや痛々しゅうて…つい色々面倒みてしまいました。差し出がましいことして、すんまへん…」
言って、拓実は小さなプランターに植えられた苺の苗の周りに瀟酒な花々を寄せ植えしたものを、複雑な顔をした藤次に渡す。
「善吉さんの苺には劣りますが、皆さんで育てて召し上がってください。苺の花言葉は「幸せな家庭」…どうぞ、お幸せに…」
「ああ…おおきに…」
「住まい遠くなってもうたけど、儂らはいつでも待っとるさかい、いつでも遊びに来てやと伝えてくれや!ホンマ、おめでとう!!」
「せやせや!旦那はんの前で言うんもあれやけど、絢音ちゃんの笑顔は、俺らに元気くれる!!活力や!こんなんでお返しなんておこがましいけど、ほんまに、おめでとうございます!!」
そうして頭を下げる3人に、自分は今までこんな気の良い人達を憎らしく思っていたのかと、藤次の心は小さく軋んだ。
*
「ほんなら、お世話になりました。」
花藤病院のロビー。
数人の看護師と助産師に見送らせて、藤太を抱いた絢音と頭を下げると、助産師と看護師が花束と小さな包みを渡す。
「これ、読み聞かせに使うて下さい。お母はんの好きな猫ちゃんのお話と、何軒か回ってみたんですが、お父はんのお仕事の絵本はなかったさかい、有体ですが、正義の味方の桃太郎…どうぞ。」
「ありがとうございます。きっと藤太も、喜ぶと思います。」
「ええんです。子育てもやけど、身体の事とか困った事あったら、いつでも相談乗りますさかい、いっぱい、可愛がってあげてくださいね?」
「はい。」
そうして車に乗り込み病院を後にすると、藤次がやおら口を開く。
「八百屋と豆腐屋と花屋が、祝いくれたで。いつでも会いに来いて、言うてた。ええ人達やな。あないな人達にまで悋気起こしてた自分が、情けなったわ。」
「どうしたの?そんな…藤次さんらしくもない殊勝な言葉。いつもみたいに言ってよ。余所見すなて。」
「茶化すなや。あと、2人でよう行った巽屋の大将と女将はん(おかあはん)からも、充分過ぎる祝いもろた。…ほんま幸せモンやな。この子。」
「そう…」
腕の中でスヤスヤ眠る藤太を優しく見つめる絢音を横目で見ながら、藤次はまた口を開く。
「なんや…すっかり顔が母親やな。そない優しい幸せそうな顔、ワシの前でもしたことないやん。」
「そう?」
「そうや。妬けるな…」
「いやあね。そんなヤキモチ妬かなくても、私がいつも一番好きなのは、あなたよ?藤次さん。」
「…おおきに。ワシも、好きや…」
そうして家に着くと、玄関前のロビーで、京都地検の…見知った顔達に遭遇する。
「あらぁ。丁度今ベル鳴らそうとしたとこよ?お帰りなさい。藤次クン。絢音さん。」
「部長…今日はわざわざ、お忙しい中拙宅に赴いて下さり、ありがとうございます。」
「あらいいのよ。こちらこそごめんなさいね?ウチの人が都合つかなくて来れなくて。是非またウチに来てほしいとの事だから、考えておいてね?」
「はい。是非、伺わせていただきます。」
「良い子ね。藤次クン。」
「まあ、立ち話もなんですし、皆様上がって下さい。ささやかですが、おもてなしさせていただく用意をしておりますので…」
絢音の言葉に全員が頷き、オートロックを潜り抜け部屋へ向かい、一同はリビングへと腰を下ろす。
「しかし…本当にウチから近いな。と言うことは、お前も電車か?通勤。」
「ああ。駅までは歩きで電車乗って、そっから地検までまた歩きや。まあ、乗り換え無しやから楽やけど、前に比べたら、ちょっと通勤時間伸びたかな?」
「それなら、一緒に通勤しなよ!最寄り駅同じでしょ?仲良くしなよ!」
「冗談だろ?朝からコイツのアホ面なんか、見たくないな。」
「こっちこそ!絢音の笑顔に見送られて幸せ気分に浸っとりたいのに、お前のすましヅラ見て萎えとうないわ!」
「奇遇だな。俺も同感だ。」
「いやあだ!!こんな所で惚気ないでよ2人とも!!」
そう言ってケラケラと笑う抄子の影にいた佐保子と稔は、絢音の腕の中で眠る藤太をうっとり見つめる。
「可愛い…奥様には失礼かもしれませんが、本当に、あの検事のお子様なんて、信じられないです。」
「と言うか、棗検事がお父さんって言うのが、自分未だに信じられないッス!!だって検事…いつも自分達に、女は胸と」
「おいこら笹井!!何しれっとワシの秘密、こんなめでたい席で暴露しようとしとんねん!!消せ!!今すぐその記憶全部消せ!!」
「あら。秘密なら、私も幾つか持ってますよ?青柳検事と櫻井検事からですけど…棗検事、お心当たり、ありますか?」
「あら〜。いいじゃない?部長命令。笹井君、安藤さん。仰いな。私、是非聞きたいわぁ〜」
「なっ!!!?」
「ならアタシ達が、この中で一番藤次クンと付き合い長いじゃん!!ねえ楢山君?」
「そうだな。是非とも、絢音さんの耳に入れておきたい情報…あるなぁ〜」
「楢山…こンの裏切りモン!!アレは、男と男の約束やて…」
「アレ?笹井君の女の胸の続きと言い、安藤さんの言われた検事さんて、確か女性の方よね?楢山さんとの男の約束と言い…私も部長さん同様、聞いてみたいわ。藤次さん?」
「あ、いや…その…」
額に確かな青筋を浮かばせ、言い知れぬ迫力で微笑んでいる絢音に気圧され、冷や汗をたらりと流していると、オートロックのインターホンが鳴ったので、藤次は逃げるようにそちらに駆けていくと、映し出されたのは、真嗣と姉恵理子。
「真嗣!!姉ちゃん!!よう来てくれた!今、開けるな?!」
そうして上がるなり、藤次の切羽詰まった表情に、真嗣は無邪気に笑う。
「なんだよ。さっきは地獄に仏みたいな声出して。ひょっとしてだけどもしかして、あの事絢音さんにバレたの?」
「真嗣!!!」
悲鳴のような声を上げて、自分の口を塞ぐ藤次に、真嗣はしまったと苦笑いを浮かべる。
「あらやだ…谷原さんともしてるの?男と男の約束…」
「いや…せやからその…」
「なんね。みんなでとーちゃんの暴露話?せやったらウチ、とっておきの話、持っとるえ?あれは確か…とーちゃんが7つの時、隣のクラスの幸子ちゃんに…」
「姉ちゃん!!身内の恥晒すんホンマやめて!!絢音もやけど、勤め先の上司も部下もおんねんで!!!?その事晒されたら、ワシ明日から恥ずかしいて仕事行けんくなる!!!」
「なにが恥ずかしいや。散々尻拭いしてきた姉ちゃんの身にもなり。大体アンタは、中1の時、姉ちゃんの友達の夏美ちゃんに…」
「姉ちゃん!!!!みんなも!!後生や!!ワシがみんな悪かった!!せやからもう、全部忘れてくれ!!!頼む!!!」
そう言って盛大に土下座するものだから、絢音を除く一同は一斉に笑い出す。
「ホント…隠し事の多いお父さんで、いやあね?」
「絢音…」
そう言って隣に座り、複雑そうに笑いながら、絢音は涙目の藤次に手を差し伸べる。
「ほら、お披露目…するんでしょ?そんな情けない姿で、良いの?」
「せやけど…」
「良いから。」
言って、絢音に土下座を解かされて立ち上がると、藤次は咳払いをして、机に置いた紙…辿々しい筆遣いで書いた我が子の名前を、微笑む一同の前に向ける。
「紹介遅くなり申し訳ありません。この子が、僕等の新しい家族…藤に太で、藤太といいます。どうか皆様、未熟者の僕等ではありますが、藤太同様…今後も末長いお付き合いとお引き回しの程、よろしくお願いします。」
そうして頭を下げて挨拶を済ませた瞬間、絢音の腕の中にいた藤太が笑い出したので、一同もつられて笑い出す。
「良かったじゃん藤次。お父さんかっこよかったって、喜んでくれてるんじゃない?」
「だろうな。」
「良かったね!藤次クン!」
「まあまあ、良いお父さんになりなさいよ。藤次クン?」
「これからはお仕事も、それだけ真面目にして下さいよ?検事。おめでとうございます。」
「おめでとうッス!棗検事!!」
「藤太君、素敵なお名前ですね。お幸せに。棗検事。」
「立派なお父ちゃんになりや。とーちゃん。」
「みんな…おおきに…」
…こうして、たくさんの人々に祝福されて、京都は北山二丁目ノワール北山2階の角部屋の表札に、棗藤次、絢音の下に「藤太」の文字が、新たに刻まれたのでした。
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