待ち人

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 北海道は広い。明治時代の開拓以降、多くの開拓民が訪れ、多くの市町村ができた。そして、各地に炭鉱ができ、多くの人が働いた。それと共に、北海道には網の目のように鉄道ができ、人々や物資、石炭などを運んできた。  だが、エネルギー革命やモータリゼーションによって炭鉱は閉山になり、農村では過疎化が進んだ。札幌や函館、旭川などの都会は賑わっているものの、農村ではまるで正反対だ。そんな中で、網の目のように合った鉄道は次々と廃線になり、ローカル私鉄は全くなくなってしまった。  国鉄を引き継いだJR北海道はあまり経営がよくなく、2010年代に入って再び廃線が相次いでいる。どこまで廃線は続くんだろうか?  そんな中、廃線もあれば廃駅になる駅もある。北海道の駅の多くは1日の平均乗降客数が0人台で、そんな中で廃駅も相次いでいる。  冬の北海道の山林の中のトンネルを、長いディーゼル特急が走っている。本数が少ない中で、ディーゼル特急は貴重な移動手段だ。だが、そんなに人は乗っていない。 「天別(てんべつ)、停車!」  ディーゼル特急は次の天別駅で反対側から来るディーゼル特急と行き違う。もうすぐ天別駅だ。運転手はブレーキをかける。もうすぐディーゼル特急はトンネルを抜ける。その先に光が見え、光は徐々に大きくなっていく。  ディーゼル特急は長いトンネルを抜け、行き違い駅にやって来た。天別駅だ。ディーゼル特急は更に減速した。ここでディーゼル特急の行き違いを待つようだ。  天別駅は何もない山林にある、いわゆる秘境駅だ。だが、かつては100戸ぐらいの家屋があった天別という集落があったという。天別の産業は酪農で、ここで作られていた牛乳やそれを加工した乳製品は極上だったという。だが、豊かな生活を求めて若者は去り、高齢化が進んだ。そこに住む高齢者は息子や娘の家に引っ越し、あるいは死んだ。そして天別は過疎化が進み、集落は消滅した。だが、天別駅は残り、ここに集落があった事を伝えていた。そんな天別駅も、来年3月14日のダイヤ改正で廃駅になり、信号場に降格になる。  ディーゼル特急は天別駅に着いた。だが、ドアは開かない。運転停車だけのようだ。向かいのホームには誰もいない。最後にあのホームに人がいたのは何日前だろう。  と、運転手の北川は待合室に1人の女性が座っているのが気になった。その女性は老婆で、80歳代だろうか? 高齢なのに、寒い雪の日なのに、何をしているんだろう。とても気になる。 「ん?」  北川は待合室をじっと見ている。先日もここを通ったが、やはりあの女性がいた。あの女性は一体誰だろう。 「あの女性、気になるな」  程なくして、行き違いのディーゼル特急がやって来た。そのディーゼル特急はあまり減速していない。ディーゼル特急は向かいのホームに進入し、停まらずに通過した。そのディーゼル特急も乗客はまばらだ。  しばらくすると、出発信号が青になった。それを確認して、ディーゼル特急は駅を出発した。北川はあの女性が気になって気になってしょうがない。だけど、仕事を全うしなければ。  待合室にいる女、島村たずは89歳。この天別の集落で生まれ育った。年老いた今は上川にある息子夫婦の元で暮らしている。  そこに、1台のミニバンがやって来た。たずの息子、章一(しょういち)だ。章一は上川で農業を営んでいる。章一は家を抜け出して天別で気の待合室にいるたずを気にしているようだ。  章一はミニバンから出てきた。天別駅はワフを改造した駅舎だ。昔はもっとしっかりとした駅があったそうだ。だが、老朽化のため20年ぐらい前に解体され、今ではワフを改造した駅舎となっている。北海道ではそんな駅をよく見かける。カラフルな外観で鉄オタを魅了している。だが、天別駅の外観は白地にJR北海道のコーポレートカラーの黄緑のラインの外観だ。  章一は待合室に入った。そこにはたずがいる。またもや待合室にいる。章一はため息をついた。もう何回目だろう。 「おばあちゃん!」  章一の声に気付き、たずは章一の方を向いた。 「章一・・・」  たずはため息をついた。結局今日も会えなさそうだ。だけど諦めない。来るまでここでまとう。 「おばあちゃん、寒いから帰ろうよ!」  章一は早く帰ってほしかった。ここで凍死して、迷惑をかけたくない。早く温かい家に帰ろう。 「留吉が帰ってくると思ってね」  たずは太平洋戦争で出征して、帰ってこなかった弟、留吉の事を待っているようだ。留吉はもう戦死しているし、もう帰ってこないと聞いている。たずもそれを知ったはずだ。なのにどうしてここで待つんだろう。幻聴でも見ているんだろうか? 「おばあちゃん、もう帰ってこないよ! 家に帰ろうよ!」  章一は早く温かい家に帰ろうと提案した。だが、たずは帰ろうとしない。帰ってくるかもしれないと思っているようだ。 「いや、私は待つの!」 「寒いから帰ろうよ!」  章一はたずの肩を持ち、待合室からミニバンに移動させた。たずは肩を落としている。結局、今日も会えなかった。いつになったら、会えるんだろう。早く会いたいな。  たずをのせると、章一はミニバンを走らせた。そして、また待合室には人がいなくなった。  その夜、上川の家で章一は妻の雪子(ゆきこ)と晩酌をしている。章一はすでに缶ビールを半分飲んでいて、頬が少し赤くなっている。 「今日も天別駅に行ってたの?」  章一はたずを迎えに行った事を思い出した。昼下がり、目を離したすきにたずがいなくなっていた。何度もこんな事がある。医者は幻聴だと言い、見張っておかないと勝手に出歩く事がるだろうから気を付けておけと言われている。 「そうなんだよ」  章一はあきれていた。あと何年かはこんな日々が続くだろう。もし亡くなったら、介護の疲れをいやすためにどこか旅行に行こうかなと思っている。 「もう帰ってこないのにね」  雪子も留吉の話を聞いた事がある。もう死んだとわかってるのに、天別駅に行ってしまう。何とかならないかと考えても、幻聴だからしょうがない。 「しょうがないんだよ、幻聴なんだよ」 「うーん」  章一は深く考え込み、あたりめをつまんだ。それを見て、雪子もあたりめをつまむ。 「弟さんはもう死んじゃったのにね」 「そうだな。相当会いたいんだろうね」  章一はたずの気持ちがよくわかる。もう帰ってこないとわかっていても、大切な人に会いたいという気持ちが天別駅に引き寄せるんだろうか? 「留吉おじさんの話、何度も聞いたよ」 「私も聞いたわ。特攻隊員だったんでしょ?」  留吉は特攻隊員だった。特攻隊員は太平洋戦争末期に結成された部隊で、死ぬ事覚悟で敵艦に体当たりするという。その多くは10代から20代の若者で、人生これからという年代だ。そんな人々が国のために命を落とすなんてかわいそうだ。 「うん」 「確か、天別駅から旅立ったんだってね」 「ああ」  章一は天別駅の方を向いた。章一はたずから聞いた昔の話を思い出していた。  それは1942年、留吉にも召集令状が届き、戦地へ旅立つ事になった。天別駅には出征する人々が集まり、彼らの身内がそれを見守っている。これから国のために戦ってくるんだ。勝ってまたこの地に帰ってくるんだ。  その中に、若き日のたずと留吉の姿があった。留吉は軍服を着ている。これから戦場へと向かっていく。辛い日々だけど、戦争に勝てばまた平穏な日々が訪れるだろう。 「本当に行っちゃうんだね」 「ああ。ごめんな」  たずと留吉は抱き合った。寂しいけれど、しばしの別れだ。戦争が終わったら、また会おう。 「いいんだよ。お国のためなら」  留吉は客車に乗り込んだ。他の出征する人も乗り込んでいる。彼らの家族は手を振っている。 「勝ってここに戻ってくるから、待ってろよ!」 「うん!」  突然、汽笛が鳴った。そして、列車が天別駅を離れていく。人々は手を振っている。たずも手を振っている。  見送る人々は列車が見えなくなるまで手を振っている。無事に帰って来る事を祈りながら。そして勝って帰って来る事を祈りながら。  次第に章一の眼には涙が浮かんできた。結局、留吉は特攻隊で出撃して亡くなってしまった。遺骨だけになって帰ってきて、たずは泣き崩れたという。たずは死んだと知っているはずだ。 「結局帰ってこなかったんだね」 「特攻隊はそんな運命だもの」  雪子は学校で習った特攻隊の話を思い浮かべていた。それを聞いて、目を覆いたくなるようだった。だけどそんな時代もあったんだ。そして、平和に生きている今を大事にしていこう。 「辛いよね」 「早く会いたいんだろうな」  章一にはたずの気持ちがわかった。だけど、もう会えない。会えたとしても、それは天国での話だろう。だけど、1日でも長く生きていてほしい。そして、死んだときに再会できればいい。 「きっと天国で再会できるさ」 「だといいけど」  死んだ後の事なんて、想像できない。だけど、イメージが浮かぶ。天国でたずと再会して、互いに抱き合う場面が。
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