待ち人

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 その頃、今日の業務を終え、北川は居酒屋で飲んでいた。今日は忘年会だ。明日は休みだ。飲んで疲れを取ろう。おでんでも食べて体を温めよう。  この日の居酒屋はけっこう人がいる。週末だからだろう。その中には、飲みつぶれて寝ているような人もいる。  今日は職場の同僚の井上と一緒だ。井上も明日は休みだ。一緒に飲んで疲れを取ろう。 「どうしたんだい?」  よく見ると、北川は何かを考えているようだ。 「天別駅のホームに女性がいるんだ」  北川はあの老婆の事を思い出した。どうしてあの待合室にいるんだろう。鉄オタだろうか? この近くに住んでいる人だろうか? 「珍しいな。あそこ、秘境駅として知られてるのに」  天別駅は秘境駅だ。利用する人なんて、鉄オタぐらいしかいない。あの老婆が鉄オタなわけがない。じゃあ、地元の人だろう。でも、天別の集落はもうない。なのに、どうしてわざわざここで待っているんだろう。 「ふーん」 「誰だろう」  井上は首をかしげた。井上も気になるようだ。 「確かに気になるね」 「うん」  井上は生中を口に含み、イカの塩辛をのせ、大根を食べた。明日は休みだ。しっかり飲んで疲れを取ろう。 「あんまり気にすんなよ。人の事なんだから」 「うーん・・・」  北川は頭を抱えた。やっぱり気になる。身内に会って、その理由を知りたいな。 「さぁ、飲めよ飲めよ、今日は忘年会だぞ!」  井上は熱燗の入った徳利を差し出した。北川はお猪口を出し、井上は熱燗を注ぐ。 「そ、そうですね」  北川は熱燗を飲んだ。冷えた冬に熱燗は体も心も温まる。 「うーん・・・」  だが北川は考え込んでしまう。どうしてあの老婆はいつも天別駅にいるんだろう。誰も来ない駅なのに。  大晦日の夜。章一と雪子はリビングでくつろいでいる。昨日、札幌で働いている進一と妻子が帰省してきた。家はいつもより賑やかだ。  孫の北斗(ほくと)は2階でテレビゲームをしている。5人はリビングで紅白歌合戦を見ている。来月の3日までは家族そろって過ごす。これが一番の楽しみだ。 「おばあちゃん、どうするよ」  そんな中で、章一が考えてるのはたずの事だ。放っておいたらまた出て行く。気を付けておかないと凍死してしまう。 「気を付けておかないと、また駅に行っちゃうよ」  雪子や進一、その妻の茜(あかね)も気にしている。それまでは自由に行動できない。もし、たずが亡くなったら、旭山動物園に行きたいな。 「そうね。気を付けてないとね」 「凍死したら大変だよ」  雪子は頭を抱えた。また出てしまったらみんなに迷惑をかけてしまう。もう迷惑をかけて頭を下げるのは御免だ。 「ちゃんと見張っとかないと」  章一の横では、たずがテレビを見ている。テレビでは紅白歌合戦がやっている。が、たずは全く面白くないようで。無表情だ。 「母さん、もうおじさんは帰ってこないんだよ」  章一はたずにお願いした。もうみんなに迷惑をかけないでくれ。あまり出歩かずにじっとしていてくれ。 「だけど、また会えるんじゃないかと思って」  たずは相変わらず留吉の事を思っている。もう帰ってこないのに。それほど忘れられないのだ。 「もう死んだんだよ、わかってよ」 「本当に死んじゃったのかな? 絶対に復員して帰って来るって」  たずは信じている。必ず留吉は戻ってくる。そして一緒に暮らすんだ。おいしいご飯を食べて、そして残りの人生を共に過ごすんだ。 「もう戦死したって知らせが来たでしょ? わからないの?」 「もういいわ。部屋に戻る」  たずはむっとした顔をして、部屋に戻っていった。章一はたずをじっと見つめている。いつもこうだ。だけど、仕方がない。何とかならないんだろうか。 「母さん・・・」  章一はじっと見ている。いつになったら正気に戻ってくれるんだろうか? それをひたすら待つしかないんだろうか? 「仕方ないわよ。死んだ弟の事を思ってるんでしょう。放っておきましょ?」 「うん」  と、章一は1枚の白黒写真を撮りだした。それは木造駅舎がある頃の天別駅の写真だ。どうやら開業した時の写真のようだ。多くの人がいて、みんな嬉しそうな表情だ。彼らは天別の集落の開拓民で、駅ができる事で農産物の輸送が活発になり、市町村への移動がしやすくなった。これでもっと天別が活気づくと期待していた。だが、高度成長期の頃から過疎化が進み、天別はなくなった。この写真に写っている彼らの子孫は今、どこで暮らしているんだろうか? 彼らは、天別という集落の事を知っているんだろうか? 「これが天別駅の昔の写真なのね」  雪子はその写真に見入った。今の周囲からはとても信じられない光景だ。こんなに多くの人が住んでいたんだ。天別駅にも賑やかな時代があったんだね。そんな時代に住んでみたかったな。 「とても賑わってたんだね」 「だけど、今はもう誰も人がいなくなったんだって。そして、家屋はみんな取り壊されて、今では無人の山林になったんだ」  章一は時々、天別があった辺りを電車で通る事がある。そこでの思い出はよく覚えている。だが、その賑わいはもう戻る事はない。そして、天別という集落の事は積もる雪のように真っ白に消えていくだろう。 「寂しいわね」 「そして天別駅ももうすぐ廃駅になる」  章一も雪子も天別駅が廃駅になり、信号場に降格する事を知っている。天別という集落があった事を証明してくれる唯一の建物だ。これからもその名前を受け継いでほしい。だけど、その信号所がなくなると、もう天別の名称はなくなってしまう。そして、天別という名称は完全に消えてしまうだろう。 「残念ね」 「時代の流れなんだよ」  と、章一は立ち上がり、雪の降る空を見上げた。天国から留吉はどんな思いで見ているんだろう。 「おじさん、天国からどんな気持ちで見てるんだろうね」  雪子も空を見上げた。だが、留吉の姿はない。いつになったら、たずは留吉を出会えるんだろう。出会えたら、どんな言葉をかけあうんだろう。
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