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昭和の買い物事情
仕事が進まないまま、日曜を迎えた。
今朝も自宅の最寄駅に向かう。出勤ではない。日曜日は実家に通う日だ。
駅中のショッピングモールを歩いていたら、左の視界に違和感を覚えた。
店が替わったらしい。ハンガーラックに十枚ほどのコットンパジャマが掛けられている。はっきりとは覚えていないが、ここは衣服を売る店ではなかったはず。
「お母さん、好きそうだな」
パジャマの袖を手に取った。淡い紫色の花が、プリントされている。
以前、母にサーモンピンクのパジャマを持っていったら「派手過ぎる!」と叱られた。
いつもと違った母を見たかった気もするが、仕方がない。
女性なら衣服にこだわるのは当然だ。たとえ八十歳を過ぎても。なお私も一応女だが、服に対する執着は薄く、成人になっても母が買ってくれる服を着ていた。実家にいたとき、自分で服を買ったことはない。
サーモンピンクのパジャマはデビューすることなく、兄の奥さんが薄紫色のパジャマを買い、事なきを得た。
下り列車に乗り二つ目の駅を降りると、会社に行ける。
今日は逆だ。上り列車に乗り終点で降りる。その後、二回乗り換えると、実家の最寄り駅に着く。自宅から二時間ほどだ。
改札を抜け、道を挟んだ向かいのコンビニに入った。
書籍コーナーの前に立ち、母のために雑誌を物色する。旅の雑誌か女性誌か迷うが、今日は政治スキャンダルが得意な週刊誌にした。
父が食べそうなグラタンといなり寿司、母が好きそうなプリンを追加する。ついでに自分の昼食をかごに入れた。
財布は二つある。自分の財布と親の財布。父が毎月いくらか金をくれるので、文字通り財布を別にしている。
二つの財布をリュックから出して迷う。自分の昼食代を親の財布から出していいものだろうか? あとで自分の財布からお金を移せばいいやと開き直り、レジカウンターに商品を置いた。
実家の町は、今では高級住宅地として知られるが、四十年前は畑が残る田舎だった。
当時日本は、第二次オイルショックで苦しんでいた。
幼稚園児だった私は日本の苦しみなど知らず、夕方になるとこのコンビニの場所に通っていた。母に手を取られて。
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