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10月9日。この日は特に、敬くんとの約束を楽しみにしていた。
実は私の31回目の誕生日。
彼に直接それを伝えたわけじゃないから、祝ってもらうつもりは全くないけど、一緒にいてもらえるだけで天にも昇る気持ちだった。
今日はお互い丸一日フリーだから、都内のスパ施設に遊びに行き、その後併設されているホテルに泊まる予定。
服装もインナーも、いつにも増して気合いを入れて準備した朝に、不運は重なった。
「ごめん莉絵。母さんどうしても仕事になっちゃった」
至極申し訳なさそうに母が言った。
母は非常勤として保育園で働いており、今日になって同僚の体調不良によりスタッフの欠員が出たと言う。
「この間、おばあちゃん風邪引いたときにシフト代わってもらったから、今度は私が入ってあげたいの」
母の気持ちは充分に理解できたし、そうした方がベストだと頭ではわかっていた。
だけど、敬くんとの約束が。
「莉絵、誕生日なのに本当にごめんね。デイも今日は一杯で受け入れてもらえなくて」
困り果てた様子の母を放ってはおけなかった。
こういう時の為に実家に帰ってきたんだし。
おばあちゃんを一人残してなんて行けない。
「大丈夫。暇だし」
作り笑いして、嘘をついてしまった。
……敬くんに、連絡しなきゃ。
ドタキャンなんてして、すごく心苦しいけど仕方ない。
『敬くん本当に申し訳ないです。今日は家の事情で行けなくなってしまいました』
そんなメッセージを送ると、すぐに既読になり返事が来た。
『家のこと大丈夫?こっちは平気だよ。またいつでも行けるし』
優しい文面と猫のスタンプにホッとする。
だけど申し訳なさは変わらない。
“また”と言ってくれたけど、こういう小さな積み重ねで信用を失ってしまうかもしれない。
私が恋愛に対して消極的だった理由を思い出した。
もとよりパッとしなくてモテないからというのは大前提だけど、それプラス、例え彼ができても家のことを優先してしまうから。
今までずっと可愛がってくれて、どんな時も味方になってくれたおばあちゃんは、かけがえのない大切な存在だ。
父は単身赴任中。
今までおばあちゃんのことは母に任せきりで、そのせいで一時母は体調を崩したこともある。
もう二度とそんな過ちを繰り返したくないし、結婚をして家を出るなんてことも当分は考えられない。
やっぱり私には恋人と交際するなんて無理だ。
____『何度もごめんね』
気を取り直しておばあちゃんの部屋に行こうと立ち上がった瞬間、再び入ったメッセージ。
『ちょっとだけでいいから、莉絵ちゃんの家行っていい?顔を見たら帰るから』
文字を見てしばらく動けなかった。
喉がぐっと鳴って、涙腺が緩む。
どうしていつも敬くんは、私が一番求めているものをくれるの?
『お願い!』と猫が両手を合わせるスタンプが愛しくて、思わず指でなぞった。
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